春の土岐石展 その4


土岐石展を続けます。

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紋石です。幽玄な味わいがあります。

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茶色に薄い青が混じっています。

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青碧を基調として色々な色彩が混じっていますね。

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川で揚げた土岐石でしょうか?

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綺麗な赤碧です。

赤碧が欲しいのですが、見られそうなものはなかなかありません。いつか手に入れて赤、青、黄色と並べてみたいですね。
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春の土岐石展 その3


今回からは個別に展示されている土岐石を見ていきます。

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紋石です。文様がもっと大きいと見栄えがします。

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青碧です。

黄色も少し混じり、クサレ部分もあって土岐石特有の表情が見られます。

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石質そのものはあまりよくありませんが、白いクサレ部分が滝のような景を作っています。

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赤色と言うより肉色に近そうです。

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青碧です。

これは石も大きく枯れた青色が素晴らしいですね。濃い青部分が半分程度あれば、色彩の対比がもっと面白い景を現出させるのですが…。

春の土岐石展 その2


今回はテーマ席を見ていきます。そのテーマは「千変万化」。何しろ元は樹木だったものがさまざまな色合いの土岐石や珪化木に変化するのですから、実に当を得たテーマだと思えます。案内には、千数百万年前の樹木が倒木し、火山灰の影響により、珪素、コバルト、クロム、鉄分、マンガン等を細胞の中に取り込み、熱・圧力等により石化して、珪化木、碧玉へと変化したと書かれており、その過程が展示されていました。

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珪化木段階の展示。木の幹がそのままの形で残っています。

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写真の上部は木の幹状ですが、下部の2石は相当な変動を受けたともの思われます。

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この写真では珪化木の雰囲気を残しつつ土岐石に近くなっています。

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土岐石です。

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青碧と黄碧の混じり。こうした変化が土岐石の魅力となっています。

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碧化がここまで進むと、木の幹の雰囲気はほとんど残りません。

多分地殻変動によって木の幹がバラバラになり、礫になるまで削られて、何らかの条件により碧化が進んでこのような土岐石となったのでしょう。もしこれらの変化が一般的なものなら、土岐石がもっと沢山あっていいはずなのに、産出量が少ないのは特殊な条件が組み合わさった結果と考えるしかなさそうです。

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青碧と赤碧。

春の土岐石展


土岐石愛好会主催の第51回春の土岐石展が3月18日、19日に開催されたので行ってきました。会場は清須市のみずとぴぁ庄内で、庄内川の脇にあります。会場に入ったらまず見るのは、もちろん即売品コーナーです。

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即売品。今回は数が多いようです。

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目を皿のようにしてほしい石を探します。

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いざ選ぶとなるとなかなか難しい。
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結局土岐石ではなく珪化木を購入しました。

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裏側も見られるのでお得です。

珪化木は土岐石に比べて価格が安く、この石の場合、まるで水墨画のような趣さえあります。展示会に出品されたこともあったようで、銘は「桂林」とのことでした。石を持ってみるとやや軽く、ケイ酸分が少ないようにも感じられます。どうしてかなと思いWikipediaをチェックしたところ、以下のような記載がありました。

木化石とも呼ばれるように、古代に何らかの原因で土砂等に埋もれた樹木が、膨大な年月をかけ地層からかかる圧力により木の細胞組織の中にケイ素と酸素、水素との化合物であるケイ酸を含有した地下水が入り込むことによって、樹木が原型を変えずに二酸化ケイ素(シリカ)という物質に変化することで、石英や水晶などと同様に固くなり、化石化したものである。
保存状態が良いものは年輪や木の形まで保存される。石炭とほぼ同所的に出土することもあるが、珪化木はケイ素分を多く含んでいてかなり硬く、石炭採掘の際には厄介な障害ともなる。一部が石炭、または石炭に近い状態になっているものもあり、いわば「石炭になり損なった木」ともいえる。

なるほど、購入した珪化木は多分珪化度が低く石炭に近いのかもしれません。確認するために燃やしてみようかなどとは決して思いませんが…。

邪馬台国と大和王権の謎を探る その41


石上神宮の参道近くの神宮外苑公園には神田神社(こうだじんじゃ)が鎮座しています。祭神は高倉下命で、神武東征において熊野で神武軍が危機に陥った際、石上神宮の主祭神となっている布都御魂神(布都御魂剣)を天皇に献上したのが高倉下となります。当初の鎮座地は天理市三島町の鎮座で、平成になってから現社地に遷座したとのこと。かつては旧社地に神饌田があって、ここで収穫された神米を祭祀に用いていたようです。いずれにしても、高倉下がここで祀られているのは物部氏との関連と理解していいでしょう。


神田神社の位置を示すグーグル地図画像。

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神田神社の案内柱。

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社殿です。

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社伝の手前に岩が置かれていました。烏帽子石と刻まれています。

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烏帽子石。陽石のようにも見えます。

「先代旧事本紀」の天孫本紀によれば、高倉下はニギハヤヒの子である天香山命の別名となっています。布都御魂剣と物部氏の祖であるニギハヤヒの子に当たる人物が、物部氏に所縁のある場所で祀られているのは当然ですね。

続いて天理市一帯の古墳などを簡単に見ていきます。天理教会本部施設が布留遺跡の上にある点は既に見てきたとおりです。この遺跡は旧石器時代から始まっており、布留川に沿って東西南北2㎞に及ぶ大きな遺跡となっています。この遺跡を挟むように、布留遺跡の南側に杣之内(そまのうち)古墳群があり、北側には石上・豊田古墳群があります。既に見てきた夜都伎神社に関しても、杣之内古墳群に含まれる古墳の上に鎮座しているようです。杣之内古墳群の盟主とも言えそうな古墳が古墳時代前期(4世紀)に築造された西山古墳と小半坊塚古墳です。西山古墳は夜都伎神社に行く途中に見ることができます。


西山古墳の位置を示すグーグル地図画像。

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西山古墳です。

全長183mの前方後方墳です。前方後方墳としては日本最大で物部氏の墓と推定されています。もう一歩で大王墓級の規模に達しますので、物部氏の墓とみて間違いなさそうですが、確定的なことは言えません。詳細は以下のWikipedia記事を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

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西山古墳をもう一枚。

解説板もありましたが、錆びており読めません。西山古墳の南にも幾つかの古墳が存在しています。


西乗鞍古墳と東乗鞍古墳の位置を示すグーグル地図画像。

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西山古墳の南にある西乗鞍古墳と東乗鞍古墳。

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西乗鞍古墳の解説板。

全長約118m、古墳時代後期の前方後円墳で、5世紀末~6世紀前半頃の築造とされています。このように布留遺跡の南側に位置する杣之内古墳群(杣之内町、勾田町、乙木町一帯)は4世紀から5世紀初め築造が始まり、いったん中断して5世紀末から6世紀にかけて数多くの古墳が築造されました。どんな事情があって中断したのか知りたいところです。

布留遺跡を間に挟むようにして北側に位置する石上・豊田古墳群(石上町、別所町、豊田町一帯)は6世紀前半から半ばにかけての古墳が多いようです。石上神宮に関係するのは物部氏と市川臣系(和珥氏の系統)の布留宿禰となります。この両氏の古墳が杣之内古墳群と石上・豊田古墳群になるのでしょうか?石上・豊田古墳群のすぐ近くには和珥氏系とされる東大寺山古墳群があり、石上・豊田古墳群が市川臣系と考えれば筋が通りそうですが、そうしたことを示す具体的な資料がない以上推測に過ぎません。

以上で本シリーズは終了とします。

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