平昌五輪


今日から平昌で冬季オリンピックが開催されます。日本選手の活躍に期待したいところですが、嫌な気分が拭えません。理由はもちろん北朝鮮にあります。彼らの参加目的は明確で、核開発のための時間稼ぎと、国際的な包囲網を破り厳しい制裁から逃れることにあります。北朝鮮の思惑は誰でもわかるはずなのに、韓国は見てみないふりをして、既に幾つかの制裁を緩和してしまいました。参加したいなら核開発を止め、核兵器を廃棄せよとなぜ韓国は言えないのか?そんなことは一言も言わず、相手の言うがままとは驚き呆れます。

平和のための五輪のはずが、北の汚い政治的な思惑に利用し尽くされ、南もそれに乗っている訳で、韓国は北朝鮮にズブズブにやられていると言っても過言ではないでしょう。いや、文大統領はそれを承知で行っている確信犯なのではないかとさえ思えてきます。彼はひょっとしたら隠れ北朝鮮なのかもしれません。将来南北が統一されるとして、主導権を握るのはどちらになるのでしょう?核を保有している北が圧倒的に有利だとは思えませんか?

そうなった場合、日本の安全保障は極めて厳しい状態に追い込まれます。日本の核武装論も検討の俎上に乗って来るはずです。南北統一は別としても、このままでは核開発の時間稼ぎを許し、制裁の抜け道を提供する結果に繋がりかねません。仮に北が米国にまで届き、狙った大都市を破壊可能な核戦力を保有した場合、米国内に北の核保有容認論が出てくる可能性も高くなります。この段階でも日本の安全保障は極めて憂慮すべき事態と言えるでしょう。

そうした事態を避けるためにも、あらゆる手を使って北への圧力を強化し、核廃棄に持ち込んでいただきたいと思います。
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エルサレムとは その6


ペルシャによりエルサレムへの帰還を許されたユダ王国の民(以降ユダヤ人と表記)は紀元前515年に神殿を再建します。ソロモン王が建設した神殿(第一神殿)に対して、この再建神殿は第二神殿と呼ばれます。ユダヤ人はこれで独立国家を建設できたわけではなく、ペルシャの属州として生きるしかありませんでした。

旧約聖書の大部分はペルシャの属州時代に纏められたものと考えられ、律法(トーラー)に基づくユダヤ人社会の規範が形成されました。また会堂(シナゴーグ)での礼拝も制度化されています。紀元前4世紀にはエジプトとペルシャとの戦いが何度も起こり、紀元前343年にはペルシャがエジプトを征服しますが、そのわずか10年後にはかの有名なアレキサンダー大王が登場。紀元前333年にペルシャ帝国のダレイオス3世はイッソスの戦いでアレキサンダーに敗れ、敗走します。アレキサンダーはペルシャの地中海への出口を塞ぐためパレスチナに南下し、ガザを陥落させ、エジプトまで進攻しました。ユダヤ人の大司祭はアレキサンダーを歓迎したとのことです。

その後も様々な経緯があり、ユダヤ王国はローマの支配下に入ります。紀元前37年にはローマに忠誠を誓い続けたユダヤ人のヘロデ王がエルサレムを手中に収めました。イエス・キリストもこの時代の人物となります。端折りまくりながら、ようやく紀元前後の時代にまで下ってきました。

紀元後以降もエルサレムは様々なビザンツ帝国、ペルシャ、イスラム、十字軍、オスマン帝国など様々な勢力の支配下に置かれます。天然の防壁である海に囲まれた島国ニッポンの私たちには想像もつかないような事態が、ずっと続いていたことになります。現代においてもナチスドイツによるユダヤ人虐殺で600万人もの人々が命を失ってしまいました。(注:人数には諸説あり)

犠牲者の中でよく知られているのがアンネ・フランクで、酔石亭主もアムステルダムにある彼女の家に行ったことがあります。何の罪もない少女までが、なぜかくも無残に殺されなければならなかったのでしょう?それほど遠くない過去に起きた悲惨な出来事に言葉もありません。

さて、ここまでイスラエルの人々を主にイスラエルの民(イスラエル人)と表記してきましたが、ヘブライ人やユダヤ人と言った表記ももちろんあります。これらの表記は何がどう異なるのか少し整理してみましょう。イスラエルとは神(エール)が支配すると言う意味で、元々は北の10支族の呼称でした。イスラエル人とは10支族が自分たちをそう呼んだものですが、他民族からはイブリー(=ヘブライ人でユーフラテス川の向こうから来た者の意味)と呼ばれました。

ユダヤ人の呼称はユダ王国の成立後に出てきたもので、紀元前6世紀の終わり以降はこれが国民的な呼称となりました。時代は現代に一足飛びしますが、1948年のイスラエル建国後の1950年にはイスラエルに帰還するすべてのユダヤ人に市民権を与える帰還法が成立し、ユダヤ人に関してユダヤ人の母親から生まれた者、またはユダヤ教に改宗した者と規定されました。従って、仮に酔石亭主がユダヤ教に改宗すればユダヤ人となるのです。

既に書いたように、イスラエルの民はバビロニア捕囚や第二神殿の破壊などを契機として各地に離散し、ばらばらになってしまいました。そうした中で、ユダヤ人のコミュニティーが各地に形成されていきます。もちろんこうしたコミュニティーの形成に当たっては他民族の幾つも入り混じったことでしょうから、民族としてのイスラエルの民のアイデンティティは希薄になったと考えられます。このため彼らはユダヤ人の定義を宗教に置かざるを得なくなり、ユダヤ教への改宗者もユダヤ人になった訳です。

アブラハムを遠祖とするイスラエルの民はセム系ですが、現在のユダヤ人の主流はヤぺテ系で、東欧などにいたアシュケナージとなっています。彼らもまた各地に散った集団の一つなのでしょうか?イスラエルの民はセム系の黄色人種であるのにアシュケナージはヤぺテ系の白人種だから現在のユダヤ人は偽物との見方さえあります。ただ、セム系とは言っても発祥はメソポタミアであり、私たち日本人や中国人などのアジア系とは明らかに異なっています。

その始まりが牧羊者(遊牧民)であったイスラエルの民は常に移動を繰り返しており、都度異民族の血が混じり合ったはずです。血脈における民族的アイデンティティは存在しないから自分たちの基軸を宗教に置き、ユダヤ教への改宗者をユダヤ人と定義せざるを得なかったのでしょう。従って、現在のユダヤ人が偽物かそうでないかの議論は意味がないし、彼らは島国で単一民族として生きてきた日本人の想像・理解の埒外にある存在と考えた方がよさそうです。彼らは多分、自分たちが民族的アイデンティティの喪失者であると理解していた。だからこそ、紀元前から厳しい規範に基づいた律法(トーラー)を成立させ、全く異なるアイデンティティを造り上げたのです。

ユダヤ人は一般的な民族の分類では測れない人々でした。彼らは人種や民族、生まれ育った土地・環境などを超越し、ユダヤ教と言う宗教を基軸としてヤハウェ神との契約を絶対視する共同体の構成員だったのです。だから彼らにとっては神との契約が最も重要なものであり、神によって約束されたカナンの地=イスラエル(とシリア)に帰還するのは、たとえ現在そこに誰が居ようとも、当然の話となります。もちろん現代におけるそうした思想は様々な問題と紛争を引き起こす訳で、紀元前の問題が現在まで続いている点もご理解いただけると思います。「エルサレムとは」シリーズは今回で終了とします。

エルサレムとは その5


前回で書いたように、イスラエルの民は、紀元前1232年頃モーゼに率いられエジプトを出てカナンの地に向かいました。モーセは40年もの長きにわたり荒野をさまよい、ヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、約束された地を目にしながら120歳で世を去ります。彼もまた驚くほどの長命だったようです。

モーゼの後継者となったヨシュアはイスラエルの民を率いてカナンの地を制圧し、レビ族を除くイスラエルの十二族に分配しました。なお、出エジプトが紀元前1445年との説があり、その場合ヨシュアがカナンの地を支配したのは紀元前1405年頃になります。まあ、ヨシュア一代でカナンの地を征服したとは思えず、長い時間をかけて手に入れたのでしょう。

旧約聖書ではその後は士師(しし)の時代となります。当時のカナン(パレスチナ)にはパレスチナの地名の元となったペリシテ人が攻め込んで、イスラエルの民は何度も敗れてしまいます。鉄器を持つペリシテ人に勝つのは難しかったのでしょう。けれども、その都度士師と呼ばれる英雄的指導者が登場して彼らと戦いました。一時は契約の聖櫃までもが奪われる事態となりますが、何とか奪い返しています。こうした状況が続き、遊牧民だったイスラエルの民は強力な王権の必要性を感じ始めたのです。

そうした頃、人々の期待を受けてベニヤミン族の青年サウルが王に即位しました。即位は紀元前10世紀頃と思われます。彼の即位後も、ペリシテ人との戦いは続いていました。ペリシテ人との戦いが続く中、巨人であるゴリアトが姿を現し、その巨体を目にしたサウル王の軍隊は恐怖におののきます。

これは大変と思っても、うまくできたもので、危機に直面すると必ずヒーローが登場します。そう、かの有名なダビデです。ベツレヘムの牛飼いダビデは石投げ器を用いてゴリアトを殺しイスラエルは危機を免れるのです。サウル王はダビデを寵愛しますが、ダビデの人気が自分を越え嫉妬のあまり彼を殺そうとしました。何とダビデは宿敵だったペリシテ人の国に逃亡し、一方サウルはペリシテ人との戦いに敗れ死去します。その後、様々な経緯を経てダビデはイスラエルを統一し王になるのです。

ダビデは首都をヘブロンからエルサレムに移し王宮を建設、契約の聖櫃も安置されました。
ダビデ王の在位は紀元前1000年から961年頃とされています。よって、イスラエルの民の遠祖であるアブラハムの時代から700年の時を経てイスラエルが王国としての体裁を整え、エルサレムが王都となった訳です。700年と一口で言いますが、日本に置き換えると鎌倉時代の終わりから現代までにほぼ等しいほどの長い期間となります。

ダビデ王はペリシテ人を降伏させ周辺の諸民族も征服します。これでイスラエルも安泰と思ったのもつかの間、ダビデは部下を殺してその美人妻パト・シェバを手に入れてしまいます。これは神の怒りに触れ、様々な問題を引き起こしました。そしてダビデの晩年、パト・シェバが強引にソロモンを次の王位につけさせます。ソロモン王の在位は紀元前967年から928年で、この期間イスラエルは平和と繁栄のさなかにありました。

ソロモン王はエルサレムのモリヤ山で神殿と王宮の建築を始めましたが、モリヤ山の場所に関しては諸説あります。ともあれ、契約の聖櫃も至聖所に安置されイスラエルの民の喜びもひとしおだったものと思われます。民の信頼は絶大だと油断したのか、ソロモン王は女に狂い彼女たちが持ち込んだ異教神の信仰にヤハウェの神は怒ります。

そのせいかどうかは知りませんが、ソロモン王の死後に王国は分裂しエルサレムの北側は10支族によるイスラエル王国(北王国)、南側が2支族のユダ王国(南王国)となりました。紀元前922年頃の話とされています。イスラエル王国は約200年続くものの、メソポタミアに台頭したアッシリアにより紀元前721年頃に滅亡します。アッシリアのサルゴン2世により10支族の民の指導者層は連れ去られ虜囚となり、連衡を免れた者たちは中東全域に離散しました。有名なイスラエルの失われた10支族です。残留した人々も非ユダヤ人の植民と通婚によりイスラエルの民としてのアイデンティティを喪失。イスラエルの民は消散したのです。

では、ユダ王国はどうなったのでしょうか?ユダ王国はアッシリアに服属しつつもかろうじて王国を保っていましたが、紀元前609年に起きたメギドの戦いで敗北。エジプトの支配下に入ります。紀元前605年にはエジプト第26王朝が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れ、紀元前597年には新バビロニアの支配下となりました。紀元前586年にエルサレと神殿までも破壊されてします。その後の紀元前582年も含めユダ王国の民はバビロニアへ連行されました。いわゆるバビロン捕囚です。

紀元前539年ペルシャ王のキュロスは新バビロニア王国を破り、ユダ王国の民はエルサレム帰還と神殿の再建を許されます。うんと端折って書いていますが、ここに至るまでにも様々な出来事が起きています。翻って日本を見るとこの頃は弥生時代で、稲作が各地に広がりつつありました。卑弥呼の登場は紀元前539年からおよそ750年も後の話になり、悲しいかな自国の史料は何一つ存在しません。比較すると日本の歴史の浅さに溜息が出そうになりますね。

エルサレムとは その4


紀元前1700年頃メソポタミア地方のカルデアのウルにいたアブラハムは一族を引き連れカナンの地(現在のイスラエル一帯)に移り、その孫にあたるヤコブ(別名イスラエル)の12人の子供がイスラエル12支族を形成します。これがイスラエルの民の始まりですが、そもそもなぜ彼らは先進文明の地を捨てて移動したのでしょう?彼らは本来遊牧民だったからでしょうか?或いは別の理由があったのかも…。それを検討するに当たっての大きな問題は、アブラハムの実際の生きていた時代が明確でないことです。

一つの説としてアブラハムがウルを離れたのは紀元前1800年頃でこの頃ウルではハムラビ王の先代による大虐殺があり、これから逃れるためとの見方もあります。他にも生誕年が紀元前1946年とか紀元前2123年と言った説もあるため、400年以上幅がある中で実際に存在していた時代がいつだったのか確定することは不可能なようです。

仮にアブラハムの生誕が紀元前2100年頃から1700年頃の間であったとしてみましょう。この頃の歴史を俯瞰するとある大きな事態が発生していました。そうカスピ海、黒海沿岸からコーカサス地方にいたインド・ヨーロッパ語族のアーリア人が紀元前2000年頃突如として大移動を開始したのです。彼らの移動範囲は極めて広範囲で、インド、中近東、欧州にまで広がり、古代エジプトの王であるラムセス2世の軍まで打ち破っています。

アーリア人の大移動は一般的には気候の寒冷化や食料不足が原因だったとされています。では、なぜ気候の寒冷化や食料不足が突然発生したのでしょう?例えば、隕石の衝突により舞い上がった塵が地球を覆い寒冷化をもたらしたのかもしれません。調べてみると、紀元前2001年に隕石の衝突があったとの説が出てきました。酔石亭主の能力ではそれが事実かどうか確認はできませんが、もし本当だとすれば突発的なアーリア人の大移動をうまく説明することができます。

アーリア人の移動に伴い様々な民族や集団がそれに巻き込まれる、或いは玉突きされるような形で移動し始めた。アブラハムに率いられた集団もそれらの中の一つだったのではないでしょうか?仮にそうだったとすれば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の背後には隕石の衝突があったことになります。衝突がなければ、地球上にこれらの宗教は存在し得ず、イエス・キリストが存在していたとしても、単なる大工に終わっていたかもしれません。古代の人々にとって空から突如降って来た隕石こそが神だった。そんなイフを考えるととても面白いと思えませんか?

話を元に戻します。酔石亭主がアブラハムの生誕時期を紀元前1700年代としたいのは、移動してきたインド・ヨーロッパ語族に押されるような形でセム人・フルリ人などの混成民族されるヒクソスが紀元前1730年頃にパレスチナからエジプトに侵入したためです。

既に書いたように、アブラハムはネゲブ(イスラエル南部の砂漠地帯)に移った後、この地が飢饉に襲われエジプトへの移住を決意しました。エジプトに入った後、彼の妻サラに関連するゴタゴタがあってアブラハムはネゲブに戻っています。こうしたアブラハムの動きはヒクソスのエジプト侵入に連動していると考えられないでしょうか?

ヒクソスこそがヘブライ人(イスラエルの民)の祖との説もありますが、これは多分間違いで、ヒクソスの移動にヘブライ人も含まれていたと考えるべきです。混成民族のヒクソスがパレスチナに入り、「おいエジプトにはうまい食料がたくさんあるらしいぜ。俺たちと一緒に来て奪い取らないか」などとヘブライ人に言い、「そりゃあ、願ったりかなったり、是非同行させてくれ」などと答えたのかもしれません。

さて、ヤコブの12人の子供の一人であるヨセフは、旧約聖書に書かれた経緯は長いので省きますが、エジプトに行き後に宰相になっています。エジプト王朝の支配下であったら遊牧の民であるヨセフなど宰相になれるはずがありません。ヨセフ当時のエジプトがイスラエルの民と同じ遊牧民のヒクソスだったので宰相にまで成り上がることができたのです。

エジプトのナイル川三角州地帯を支配していたヒクソスは、紀元前1580年頃に倒されエジプト第18王朝が始まりました。ここでエジプトにいたイスラエルの民の運命は暗転します。彼らは奴隷的な立場に落とされてしまったのです。300年以上もの間過酷な生活を強いられたイスラエルの民は、紀元前1232年頃モーゼに率いられエジプトを出てカナンの地に向かいました。有名な出エジプトですね。モーゼが実在の人物かどうかに関しては議論もありますが、いずれにしてもこの頃にイスラエルの民はエジプトを出て神との契約の地であるカナンに向かったのです。なお、旧約聖書ではイスラエル12支族の全てがエジプトにいたことになっていますが、実際にはその一部だったのではないかと推定されます。

今回はイスラエル民がカナンの地に入り、民族大移動の波に巻き込まれながらエジプトに移住し、再びエジプトを出ると言う経緯を見てきました。カナンの地に戻ったイスラエルの民にどんな事態が待ち受けていたのか、次回以降で見て行きます。

エルサレムとは その3


今回はメソポタミア北部(或いは南部)に位置するカルデアのウルに発祥したイスラエルの民がどんな経緯を辿りカナンの地(現在のイスラエル一帯)に入ったのかを見て行きます。創世記では11章から語られ始めます。

アブラハムの母であるテラはアブラムやその妻サラ(サライ)などを引き連れて、カナンの地に行くためカルデヤのウルを出ましたが、なぜかハランに着いてそこに住むことになり、205歳でハランにて亡くなります。その時、主はアブラハムに、国を出て私が示す地に行きなさいと命じました。

アブラハムは一族と共にハランを出てカナンの地に向かいます。アブラハムはシケム(エルサレムの北方約 50km)に着いたが、その地にはシケム人がいました。その時、主はアブラハムに、「わたしはあなたの子孫にこの地を与える」と言います。そこでアブラハムは主のために祭壇を築きます。これこそが、イスラエルがイスラエルの民にとって神に与えられた地であることの根拠となるのです。旧約聖書に登場する各地名と所在一に関しては以下を参照ください。
http://scriptures.lds.org/jpn/biblemaps/10

さて、アブラハムはベテルの東の山に移って天幕を張り、主のために祭壇を築き、なお進んでネゲブ(イスラエル南部の砂漠地帯)に移ったとあります。ところがこの地が飢饉に襲われアブラハムはエジプトへの移住を決意します。エジプトに入った後、彼の妻サラに関連するゴタゴタがあってアブラハムはネゲブに戻りました。

アブラハムはカナン地方に住み、ロト(アブラハムの甥)が別れて行った後、神はアブラハムに、この場所から東西南北見えるかぎりの土地を永久にあなたとあなたの子孫に与える、と言います。イスラエルの民の遠祖であるアブラハムに、神は彼とその子孫にカナンの地を永遠に与えると約束したのです。神の約束であるこの言葉はもちろん現代に至るまで生きています。

その後も様々な問題が起こります。そして15章において、主はアブラムと契約を結んで、「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、 カイン人、ケナズ人、カドモニ人、 ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」と言いました。神はしつこいほどカナンの地をアブラハムの子孫となるイスラエルの民に与えると約束しているのです。

アブラハムは175歳で亡くなりますが、日本の初期天皇と同様に長命だったのは不思議な感じがします。(注:もちろん彼の年齢はあくまで伝説であり現実的にはあり得ません)さて、アブラハムにはイサクと言う名の子がいました。そしてイサクの子であるヤコブの別名がイスラエル。従って、ヤコブはイスラエルの民の直接的な祖先となります。

一方、イサクが生まれる前、アブラハムはエジプト人奴隷のハガルにイシュマエルを産ませます。ハガルはこれにより主人のサラを軽視するようになりました。アブラハムは神のお告げを受けてこの母子を追い出し、イシュマエルはイスラエルの民(ヘブライ人)とは異なる民族となったのです。面白いことに、アラブ人はイシュマエルを自分たちの祖としています。現代のイスラエルにおけるユダヤ人とアラブ人の争いはここに根差しているとも言えそうですが、これもまた現実的な話ではなさそうです。

以上、イスラエルの民の遠祖であるアブラハムは様々な経緯がありながらも、カナンの地(現在のイスラエル一帯)に到達し、彼の孫のヤコブがイスラエルの民の祖となりました。これで目出度し目出度しと言いたいところですが、そうは問屋が卸しません。彼らの前には数え切れないほどの難題や苦難が待ち受けていたのです。
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