鎌倉ウォーク もう最終回


歩きやすい山道なのでランニングをしている方もいます。とても真似はできませんが、どんどん距離を稼ぎます。鎌倉駅前に通じる長谷隧道が近くなってきました。すると、カフェテラス樹ガーデンの案内板が…。天空のカフェテラスと評されていますので、行ってみました。

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樹ガーデンへと下る道。

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緑に埋もれる遺跡のように見えます。

バリ島の高級リゾートのような雰囲気もあります。でも、人がいません。

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角度を変えてもう一枚。

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樹の中に浮かんでいるように見えます。

誰もいないのは多分時間がやや早すぎたのでしょう。次回来た時には是非コーヒーでも飲んで寛いでみたいものです。

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こんな席も。結構広いですね。

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樹ガーデンを出てすぐに、良く手入れされた林が現れました。

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少し歩けば鎌倉の絶景も…。

あっと言う間に銭洗弁天まで下ってしまいました。銭洗弁天は何度も行っていますが、また入ってみます。太陽の下では秘密めいた雰囲気も消え写真も撮影しませんでした。鎌倉駅まで舗装された道を歩きます。

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こんな花が…。

谷戸も昔の家はほとんどなく立て替えられたリ、安っぽいアパートに変わったりしていました。一定の規制をしないと、どこにでもある街並みとほとんど同じになってしまいます。これで世界遺産になるのか疑問ですね。そんな印象を抱きつつ、駅に行く途中にあるお洒落なスタバでアイスコーヒーを飲んで帰りました。
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鎌倉ウォーク 大仏切通


前回で写真をアップした案内表示によると大仏切通までは150mです。ところが実際に歩いて見ると、それよりは長い距離に感じられました。途中大仏切通の案内柱もあるのですが、その少し先まで進んでも、切通にしては深く切り通されていないのです。これが切通かとがっかりされる方も居られるかもしれません。でも、ご心配なく。歩き続ければ迫力満点の大仏切通が現れます。

バスで火の見下バス停から登り始めた場合の順に写真をアップします。まず現れるのは巨大な切岸と崖を掘った供養塔の安置所と思われる浅い穴です。

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切岸。

鎌倉を攻撃する軍勢がこの下を通ったら、守りの軍勢が矢を雨あられと射ることでしょう。

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もう一枚。掘られた穴はやぐらではなさそうです。

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横にやぐらとおぼしき穴があります。

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解説板。

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切通のこの部分もなかなかの迫力です。

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近寄って撮影角度を変えます。道に何やら岩が…。

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岩の配置。

明らかに通行を妨害するような形で岩が残されています。敵の攻撃に対する備えとして工夫していたのでしょうね。

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岩による通行妨害部分を抜けます。

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今度は両側が鋭く切り立って道の中央に岩がデンと鎮座しています

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岩の部分を拡大。

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さらに進むと、このあたりでは深く切り込んでいません。

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一般的な山道に近くなりました。写真右側の木の柱が大仏切通を示す案内柱です。

大仏を見物しても大仏切通まで足を伸ばされる方は少ないと思いますが、かつての面影を色濃く残し鎌倉の防御遺構としては代表的なものなので是非訪問してください。一升枡遺跡や五合枡遺跡も同時に訪問されると、鎌倉幕府の防衛ラインが見えてくるような気がしますよ。ただし、一升枡遺跡と五合枡遺跡は下草のない冬場に訪問すべきと思います。

鎌倉ウォーク


女房殿から、来週に友達と箱根の金時山に登るので、その前に足慣らしをしたいが良い場所がないかとのご下問があり、早速身近な鎌倉の山歩きを提案してみました。コースは江ノ電極楽寺駅から歩き始め、稲村ケ崎小の脇から長く続く谷戸を歩いて長谷配水池に向かいます。(ここまでは以前五合枡遺跡を探訪した際に歩いたルート)

長谷配水池から一気に下り、32号線のトンネルの上を通過。すると山道の交差点となり左手100mちょっとで大仏切通に至るので、まずこちらを見に行きます。


大きな地図で見る
ここまでのルートを示すグーグル地図画像。拡大してご覧ください。

元の交差点に戻り源氏山方面にどんどん歩いて長谷隧道の上を通過。さらに進んで銭洗弁天に降り、鎌倉駅に至ると言うものです。まあ、軽いコースですから足慣らしには最適でしょう。と言うことで、鎌倉に行ってきました。

なお酔石亭主の場合谷戸歩きが好きなのでこのコースとしましたが、藤沢駅から鎌倉駅行きのバスに乗り火の見下バス停で降りて歩き始めれば、大仏切通からスタートすることもできます。もっと歩くには銭洗弁天で山道を下らず、北鎌倉まで抜けることもできます。

では極楽寺駅から歩き始めましょう。谷戸に入るとすぐにウグイスたちが「ホーホケキョ」とお出迎えです。個体によって微妙に鳴き加減が異なっているように感じられます。鳥によってうまい下手があるのです。歩くにつれてあちこちから鳴き声が耳に届いてきました。谷戸歩きの楽みの一つですね。それにしても数が多い。

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長谷配水池に向かう坂辺りに咲いていた白い花。

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坂を登りながら振り返ると…。

分厚い緑のコートを纏ったような谷戸の姿です。

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配水池からの眺望。緑以外にほとんど何も見えません。

配水池から急な階段を下ります。すぐに山道が交差しているポイントに到着。案内表示があります。

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案内板。このルートに従って歩くだけですから簡単です。

コースを外れ大仏切通に向かいます。坂を上がることになります。

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坂の途中から見た大仏方面です。但し大仏は見えません。

大仏切通は次回とします。なお今回は女房殿のお伴ウォークあるいは用心棒ウォーク(ほとんど用をなさない弱虫用心棒…)ですから、歴史の謎解きはありません。

今年らしいゴールデンウイークの過ごし方


ゴールデンウイーク後半戦初日の3日は本当に春らしい行楽日和でした。テレビによれば近場の観光地はどこも人でいっぱいだったとか。ようやく自粛モードも解除されつつあるようです。酔石亭主も思いっきり近場の鎌倉へ…。お昼の鎌倉駅周辺は以前にも増して大変な混雑ぶりです。

もっとも酔石亭主の目的地はあくまでディープでマイナーな場所。観光客など一人も居りません。どこへ何しに行ったのかは、ずっと後にご紹介するとして、ついでに撮影した写真をご紹介します。ただ、行き当たりばったりで撮っただけなので統一感やテーマはまるでありません。

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まずは定番の段葛です。

道の左右につつじが咲き乱れ良い香りを放っています。朝はまだ人も少なく本当に良い気分で歩けました。この時期の鎌倉はどこを歩いてもつつじの花をむ見ることができます。まだ週末までは楽しめると思いますので、是非お越しください。

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道路にはめ込まれた鎌倉市の市章。笹竜胆紋。マンホールの蓋にも見られます。

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上行寺の山門裏側にある左甚五郎作とされる龍の彫り物。

上行寺は無料で本堂内部の拝観が可能なお寺です。本堂の外壁には癌除、瘡守稲荷、鬼子母神などと大書された看板がかかっています。場所は安養院の向かい。

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安養院のエビネ蘭。

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安養院の宝篋印塔。

この宝篋印塔は鎌倉最古のものだそうです。つつじの花に包まれるようにして建っています。安養院はつつじで有名ですが、境内入口のものはまだこれからでした。

安養院のほど近くにあるのが日蓮で有名な安国論寺です。

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解説板。

ここは日蓮の鎌倉における布教の拠点となった場所で、松葉ヶ谷草庵跡とされています。境内は木々の緑に埋め尽くされています。

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エビネ蘭。

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御法窟。日蓮が「立正安国論」を執筆したとされる場所。

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釈迦像。どう見ても日本で製作されたものとは思えません。

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白いつつじ。

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南面窟。

南面窟は日蓮が松葉ヶ谷法難時に、白猿に導かれて避難した場所とされています。御法窟からすぐのここが本当に南面窟なのか議論があります。隠れるなら鎌倉の境界領域である法性寺辺りが適切となるのです。



鎌倉散歩 東勝寺跡周辺


以前の記事「新田義貞鎌倉攻めの謎を解く」において、稲村ケ崎渡渉伝説の謎を追及しました。これが鎌倉の始まりと終わりに繋がる問題だったからです。本来なら鎌倉幕府の最後についても書くべきでしたが、こちらはほとんど触れていません。そこでこの機会にざっと書いてみたいと思います。

元弘3年(1333年)5月22日、稲村ケ崎を越えて鎌倉市中に新田勢が乱入、各所で激闘が繰り返されました。市内の至るところで火の手が上がり、もはやこれまでと悟った北条高時は一門283人とともに東勝寺にて腹を切り、総勢870余人が亡くなります。ここに日本初の武家政権鎌倉幕府は崩壊したのです。

そして、鎌倉幕府終焉の地が東勝寺でした。寺は残念ながら現存していません。しかし跡地はあるので、東勝寺跡周辺をもう一度歩いてみます。


大きな地図で見る
グーグル地図画像です。

東勝寺跡は鎌倉駅や鶴岡八幡宮から比較的近く、行きやすい場所にあります。手前を流れる川は滑川です。滑川の手前に解説石板がありました。

東勝寺に関連するものと思いきや、さにあらず。青砥藤綱の伝説に関係した石板でした。

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青砥藤綱の解説石板。内容はご存知の方が多いと思いますが、大略以下の通り。

藤綱が夜に入って出仕の際、誤って十文を川に落としたので、五十文を払って松明を買い、捜させました。人は小さな利益のために大損したと嘲笑ったのですが、藤綱はこれに対して、十文は小額であってもなくせば天下のお金を損ずることになる。五十文は損と言っても人に益するものだ、と答えたそうです。

藤綱の屋敷は滑川のもっと上流の青砥橋の近くにあったとされているので、東勝寺近くでの逸話が本当かどうか実際のところは不明です。大体夜中に出仕するのもおかしいですね。緊急招集がかかったなら、それもあり得ますが、でしたら松明を買って川を探させる余裕などありません。さらに言えば、藤綱が実在の人物かどうか議論の分かれるところです。

滑川にかかる橋を渡ります。橋の名前は東勝寺橋で、解説板もあります。

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解説板。

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東勝寺橋です。

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滑川。渓谷のような趣が残っています。

川を渡ると東勝寺の敷地になると思われるのですが、グーグル地図画像を拡大するとわかるように多くの住宅が並んでいます。こんな場所に家を建てて怖くないのでしょうか?新しい家も多いようですが、多分歴史を知らずに買ったのでしょう。

などと思いながら、東勝寺跡へ。

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解説板がありました。

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東勝寺跡です。

やぐららしきものも見られます。金網が厳重に張ってあり中へは入れません。そのまま山の方へと向かいます。すると…。

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山道の左手に解説石板がありました。

繁栄を極めた町が炎に包まれるのを見て高時は自害した云々と書いてあります。そのさらに左手奥にあるのが、泣塔と並ぶ鎌倉最怖の心霊スポット高時腹切りやぐらです。

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やぐらです。

以前訪問した際は雨上がりで道はぬかるみ、やぐらも暗く陰惨な雰囲気でした。しかし今回は明るいこともありそんな感じはありません。第一、やぐらのすぐ上がハイキングコースになっているのです。歩く足の真下に怖いとされるやぐらがあるのですが、多くの方にとっては知らぬが仏なのでしょう。

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ハイキングコースの案内板。

そもそも高時が腹を切ったのは、やぐらのある場所ではなく、東勝寺です。このやぐらは北条一族や僧侶の供養のために造成されたもののはず。そう考えれば怖くはありません。しかもここに高時のお骨はなく、あるのは供養塔だけ。彼らのお骨は、釈迦堂切通し近くにあった釈迦堂で供養されているのです。

以下Wikipediaより引用します。

鎌倉市浄明寺の釈迦堂谷奥山頂部には、「宝戒寺二世普川国師入定窟」と伝える巨大なやぐらを中心に釈迦堂奥やぐら群と称する多数のやぐら群が存在した。やぐら群には多量の生焼けの人骨があった。昔から東勝寺での戦死者の遺体をこのやぐら群に葬ったとの伝承があった。昭和40年代の宅地開発の際にやぐらが破壊され、「元弘三年五月廿八日」の銘のある五輪塔の一部が発見された。まさに東勝寺合戦の初七日の供養をしめすものであり、伝承が事実であったことがわかった。やぐら群は昭和40年頃に宅地造成によって主要部が破壊されたが、一部は現存しているという。


以上より、腹切りやぐらの事実関係がはっきりします。このやぐらで高時は腹を切っておらず、高時のお骨もここになく、あるのは鎌倉ならどこでも見られる供養塔にすぎないのです。なのに、高時腹切りやぐらと書かれたことでその言葉に呪縛されてしまい、怖い場所だという意識が定着しました。

北鎌倉八雲神社にある安倍晴明の晴明石も同様です。知らずに踏めば足が丈夫になるが、知っていて踏めば不幸になる。そうしたことが一旦伝えられ書かれると、誰も意図的に石を踏めなくなるでしょう。言葉が人の心を呪縛するのです。

秦氏の仕掛けはずっと大掛かりですが、基本は全く同じです。通常こうした禁忌の背後には何か重要な秘密や宝物が隠されています。従って、禁忌の背後にあるものを追及していくと、思わぬ事実に遭遇するケースが多々あるのです。

さて、腹切りやぐらが怖い場所だと言う意識が定着し、ここで急に気分が悪くなった(多分、前日お酒を飲みすぎていたのでしょう)などという情報が加わると、心霊スポットへの道を歩み始めます。一旦そうなれば、情報はどんどん独り歩きし、拡散していきます。最後には、鎌倉最怖の心霊スポットなんていう称号を与えられるのです。

700年近くも過ぎてから妙な取り上げられ方をして、地下の高時は苦笑いしているのではないでしょうか?今の私たちと違い、鎌倉武士にとって死は常に傍らにあるものです。戦に勝って栄達するのも、負けて死ぬのも、どちらもありふれた日常のこと。そんな彼らに、敗れて死んだからと言って怨念が残るとは思われません。だから、あまり怖い怖いと騒がない方が良さそうです。

今日から高時腹切りやぐらは、心霊スポットなどではなく、鎌倉幕府の終焉に思いを馳せる場所としましょう。
プロフィール

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