日本人の特殊性の謎を解く その4


前回で日本には謎の実体が封印されていると指摘しました。謎の実体を隠蔽するには、かなり高度で複雑な仕組みが必要となります。では、どんな仕組みが必要でしょうか?日本国と日本人の中心は空洞だから、それがないように見せかける仕組み―つまり天皇制―が必要となるはずです。

この制度によって、実態はともかく、日本には中心があると思えるようになりました。これがないと日本人は生きられない。従って、武家が権力を奪取しても、アメリカに負けても、天皇が日本の中心に存在するというシステムは揺らぐことはありませんでした。この天皇を支えるのが官僚群です。官僚が徹頭徹尾他律的で集団主義的なのは、空洞を隠すシステムの上位に置かれているからです。ここが崩れると、日本全体が崩壊の危機に直面するでしょう。

次の仕組みは農村に見られます。つい最近まで、日本の農村は閉鎖的な村落共同体でした。ムラの境界には道祖神が置かれ、ムラ内部は一種の結界となり、ウチとソトは明確に区別されます。一方韓国の場合は、同じ稲作農耕民であっても、ムラの構造は開放共同体。日韓で稲作農耕民と村落共同体の部分は一致しますが、ムラの形態は大きく異なるのです。

日韓のムラに関して共同体という部分で普遍性はあっても、閉鎖共同体である部分は人為的なものや、作為がありました。でも、そのようにした目的は何でしょう?

村が閉鎖共同体なら、村人は何事であれ外に対して興味を抱くことがありません。しかも共同体内部は極めて煩雑な儀式や儀礼、行事で固められています。これは彼らの意識を外に向かわせないための仕掛けでしょう。ですから、ムラは誰かの手によって意図的、作為的に閉鎖共同体とされたと考えられます。

けれども、仕掛けはそれだけではありません。空洞構造に日本人の意識が向かわないよう、巧妙極まりない手が打たれているのです。そんなことが可能なのか、と思われるかもしれません。もちろん可能ですし、少し説明すれば誰でも知っていることばかりです。問題は、誰もそれに気付かないこと。いや、気付かないように仕向けられていることなのです。

そこで、日本人の最も重要な特性を考えてください。多分、無私の心ではないでしょうか。日本人の心性の究極は、無私の心。己を虚しくして、自分が帰属する家、会社、国家のために尽くす。戦時中であれば滅私奉公ですね。

自分を無化した状態では、意識が空洞構造に向かうことは絶対にありません。こうして、自分をなくすることが日本人にとって究極の価値観となり、最終の到達点とされてしまったのです。で、それ以上は何もない。だから日本人は無宗教で、無思想で、主義主張のない国民だと、外国人の目には映ってしまうのです。

日本人にとって、無私が全ての、究極の到達点であるのは実に都合がいいはず。自分の内実が空洞であると知ることもなく、無私である(=空洞を認識できない)のが最大の価値になりますから。よって、日本人が空洞の存在に目を向けることなど絶対にありません。遠い昔、日本人はそのように仕向けられてしまったのです。

日本人にとってウチは家族であり、守るべき仲間であり、一方ソトは排除すべき敵になります。この日本的な家族主義、ウチとソトをアジアにまで拡張したのが大東亜共栄圏構想です。大東亜共栄圏を極限にまで拡大した姿が、宇宙アニメで一世を風靡した『宇宙戦艦ヤマト』です。

我々日本人は、家族のために、会社のために、国家のために、地球のために、自分たちの宇宙のために、言い換えればウチのために、悪(ソト)と戦って死ぬのです。これは日本的な美しい心性の発露であり、他律的な価値観とそれに伴う潔い死こそが、日本的心性を代表するものとされてきました。しかしこれを酔石亭主流に言うと、日本人はその空洞構造故に、他律的に死ぬことに最大の価値を見出す―となります。

その意味は、空洞構造の実体へと日本人の意識が向かわないよう、極めて強力な呪(=呪縛)がかけられている―ということです。自分が無私に到達した段階では、直ちに喜びを伴って自己を消滅させる心性が起動するように仕掛けられている―としか考えられません。

無私で純粋な日本人の心性。しかしその裏には、見えない意図に沿って作為されたものがあったのです。

この仮説が正しいとすれば、日本人は後催眠をかけられた民族のように見えます。無私になった段階で、その奥に隠されているものが探索されないよう、日本人総体に対して何かが仕組まれているなんて、少し背筋が寒くなってきませんか?

では、どんな作為かご説明しましょう。日本が閉鎖共同体にされたということは、空間領域が閉鎖され封印されたことを意味します。日本人の中心が空洞で意識に対する仕掛けがあるということは、心的領域の封印を意味します。それが現在まで続いているということは、事態が時間領域にまで及んでいるということです。

空間領域、心的領域、時間領域が、言い換えれば、人間の存在する全領域が、日本では封印されている。これが、謎の実体を隠蔽する壮大な仕掛けなのです。

遠い昔、誰かが、日本人から目をそらさせなければならない謎の実体を封印し、見えないようにしました。これがマインドコントロールです。意図的、作為的なタブー形成により、ある存在が無意識裡に抑制され、知覚意識に昇らず、主観的には見えない状態となったのです。それは、意識の中心部が空洞化されたことを意味しています。

自分の中に空洞があれば、自律が普遍的な世界では自己を存立できず、日本人はその世界を閉じて反転させました。そこが特異点となって、他律的集団主義という新しい世界を開き、特異な閉鎖的システムを極限にまで発展させ、1980年代には世界最強の経済国家へと自己展開を果たしたのです。

『旧約聖書』創世記の謎を解く その5で、世界には物質世界、生命の世界、心の世界の三つの世界が開かれている、しかし心の世界は、開かれるべき世界の最終段階ではない、この日本で次の世界が新たに開かれた、と書いたはずです。

ここで説明したことが、実は日本で次の世界が開かれたことの内容だったのです。第四の世界ということですね。全体を再整理すれば、

一、宇宙の開闢。物質世界が開ける。自己展開。銀河系などの宇宙の形成。
二、生命の発祥。生命世界が開ける。自己展開。多様な生物の形成。
三、人類の発祥。心の世界が開ける。自己展開。文明の形成。
四、日本人の発祥。他律的集団主義の世界が開ける。自己展開。日本人の特殊性の形成。


となるでしょう。

誠に信じがたいことですが、宇宙の開闢や人類の発祥と同じ構造の進化(相転移)がこの日本で、私たち日本人に起きていたのです。しかもこれは、極めて高度な心理操作によるものであり、偶然起きたものではありません。では、一体誰が何の目的で、いつ日本人にそのような仕掛けを施したのでしょう?

その謎を解明するには、当然のことですが、世界史を含め日本の歴史の深層に迫る必要があります。次回以降は、日本人が特殊な性質を持たされるに至った秘密を、歴史の中から探っていくこととします。

         ―歴史に秘められた謎を解く その1に続く―

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日本人の特殊性の謎を解く その3


日本人の中心にある空洞とはどのようなものでしょう?これも精神的な病理の面から検証します。例えば、ある女性が性に対して異常な拒否反応を持っているとします。この原因を、彼女が幼いとき、偶然母親と他の男との性交渉を目撃したため、と仮定しましょう。彼女はその行為を絶対に許せない。それを最愛の母親がやってしまった。母親の行為を少しでも認めれば、自分は間違いなく崩壊してしまう。そこで、彼女が自分の崩壊を防ぐには、どうすればいいでしょう?

答えは簡単。自分の体験を心の奥底に封印するしかありません。この女性は、母親と他の男性との性交渉を見たことで、精神的トラウマを負いました。女性にとってその行為は絶対に許せないものです。それを自分の最愛の母親がやってしまった。それを認めると、自分が引き裂かれ崩壊します。そこで、彼女はこの事実を自分の意識の奥底に封印し、母親の行為は存在しないものとしたのです。

心理学的には自分の見たものを抑圧し、隠蔽した訳です。この隠蔽により、母親の行為、という部分は彼女の意識上では存在せず欠落した形になっています。彼女の意識上では欠落している=空洞になっているということです。

ではここで、女性の事例と同じようなこと―ただしより重大で深刻なこと―が遠い昔の日本で起きたと仮定します。すると女性の例と同じ経路をたどり、日本人の中に空洞が形成されるでしょう。

中心に空洞があれば、人間はそのままでは自己を存立できなくなります。その危機を乗り越えるは、強固な階層組織を作り、組織の中で自分の存在を確保する以外に方策はありません。よって、日本人は普遍的な世界を反転させ、他律的集団主義という世界を構築せざるを得なくなったのです。

この『空洞構造』こそが、日本人の特殊性の謎に切り込むための重要なキーワードとなるでしょう。しかしまた疑問が浮かびます。先ほどの女性の例は、一個人の偶発的な事件によって発生したものであり、それを日本人全体に当て嵌めるのは間違っている、と。

確かに、女性のケースは一個人の偶発的出来事でしかありません。純然たる個人の問題です。一方、日本人の場合、それが全体に及んでいます。ですから、日本国における各階層の組織から個人に至るまで空洞が存在していることになります。とすれば、日本人の中心が空洞となったのは、ある一つの、偶発的事件が引き起こしたものではないのです。

この結論に従うと、日本人の特殊な性質は、誰かによって意図され、作為されたものということになります。実に奇妙なのですが、この事態の論理的な帰結は、日本人の目から何かをそらし隠すため、誰かが意図的に日本人と国全体を空洞化させた―ということです。では、一体誰が、どのようにして日本人を空洞化させたのでしょう?

さっきの女性の例は、母親の性行為が封印すべきもの、隠蔽すべきものになっていました。これを日本に当て嵌めると、日本人は、それが何かは不明だが、極めて重大なものを、封印し、隠蔽している、ということになります。

日本人は自分の中に何を封印しているのでしょう?現段階で答えはありませんから、それを『謎の実体』としておきます。つまり日本には、正体不明な謎の実体が封印されている、ということになります。

ここまでの話を逆に辿ると―日本国には『謎の実体』が存在しており、それを封印するために、日本人の中心は誰かの手で空洞化され、結果自分がなくなった。その中で自己を存立させるには、他律的集団主義という、自律的個人主義が反転した構造にシフトするしか策がなくなり、そこから日本人の特殊性とされる様々な傾向が派生してきた―となります。これで日本人の意識構造の全体像が俯瞰できましたね。

反転した日本人の意識構造を元に戻すのは可能でしょうか?謎の実体を暴き出しさえすれば、自律的個人主義に復帰するはずとの意見も出るでしょう。しかしそれは、ほぼ不可能です。先ほどの女性の例を思い起こしてください。誰かがこの女性を誘惑して、そうとは気付かれないよう一室に案内し、性行為を強要したとします。そのとき彼女はどのように反応するでしょう?

そう、彼女は大いに取り乱し、自分を失ってしまうでしょう。テレビのサスペンスドラマみたいに、目についた花瓶を相手に叩きつけ、相手を殺してしまうかもしれません。そして殺した後、気がついて見ると、どうして自分がこんな行動を取ったのかわからない。なすすべもなく立ち尽くしているところへ警官が踏み込んで逮捕される―といったシナリオが想定されるはずです。

性的拒否反応を示す女性は、自分の負ったトラウマを意識の奥底に封じ込めています。しかし彼女は、そのせいで自分が性交渉を拒んでいるとは気付かない。そこにけしからん男が現れ、性行為を強要する。彼女の封印が破られそうになる訳です。脳は心を守れない事態に直面します。そこで脳は、心を守るため、強制的に自分を失わせてしまうという最終手段を選ぶしかなくなります。それが感情の激発、無反応、意識の喪失、最悪自ら死を選ぶという行動になって現象するのです。

心を守れない事態となったとき、脳は不思議なメカニズムを発動し、強制的に自分を失わせてしまう。ですから、日本に封印されている謎の実体に迫ろうとすると……、女性の例と同様に、大混乱を引き起こし収拾がつかなくなるのです。

日本人は普通の世界の常識とは合致しないものをベースにして、一つの世界を構築していました。これを別の言葉で表現すれば、日本人は憑物が憑いた状態にある、と言えるでしょう。古来より憑くのは狐が多いとされますが、でも、なぜそんなことになったのでしょう?

繰り返しになりますが、そうしなければ、日本国と日本人は自分を存立させることができなかった。自律性のない日本人から、憑物=他律的集団主義を除去すれば、自律が常識であり普遍的であるこの世界の中で居場所を失います。

逆に言えば、居場所がなかったから、他律的集団主義という憑物が憑いた状態を維持するしかありませんでした。もし憑物落としをすれば、確固たるものだと思っていた世界が、あっという間に解体され崩壊するでしょう。だから、謎の実体を暴くのは不可能になるのです。

         ―日本人の特殊性の謎を解く その4に続く―

日本人の特殊性の謎を解く その2


その1について、現在の日本人は他人への遠慮や恥もなく、世間体など考えもしない、だから昔ならともかく今は違っているとの反論が出そうです。このような反論があったとして、以下のように答えたいと思います。

現代の日本では組織の求心力が弱くなっています。依存すべき組織や集団が弱くなると、個々人は自己を保持ができなくなり、何でもありの世界へと一挙に突入してしまうのです。その例を挙げます。第二次世界大戦であれほど米兵を悩ませた日本軍も、一旦捕虜になると自分の属するものがなくなり、何もない自分がむき出しになってしまうため、米軍の求めに応じて機密事項までも喋ってしまう、ということが起きました。

また鬼畜米英一辺倒だった戦時中の軍事国家日本は、戦後雪崩を打って民主主義国家に転向しました。自分のない日本人にとって、自分を縛るものはそれが米軍であれ、民主主義であれ、何でもいいのです。

集団や組織の呪縛力が失せた今の日本人は、自分がないままに置かれています。それは自分の中に自己を律する原理や規範を持っていない状態を意味します。自分を律する規範が内部になければどうなるでしょう。当然何でもありになってしまいますね。己を律する規範がなければ、どうでもいいやと、世間体も、恥も外聞もないような行動に走ってしまう。それが表面的には以前とは違って見えるのです。しかし、日本人の内部を貫いている構造自体は全く変わってはいません。

では、なぜ日本人は自分がないのでしょう?次にその理由を考えてみたいと思います。

前回で日本人は自分がないから組織や集団に依存するしかなくなった、その結果個人よりも組織が重要視されるようになった、と書きました。では、欧米人だったらどうなるでしょう?組織の意向より自分の判断や主張・意思を間違いなく優先させるはずですね。中国や韓国などお隣の国でも、文化面の違いこそあれ、自分が中心の意識構造は白人系と同じはずです。

とすれば、基本的に世界のどの民族もそれを構成する個人は自律的で個人主義的ということになります。彼らの場合、自分を律する原理は自分の中にあり、組織の中にあっても個人の考えを優先します。これを自律的個人主義としておきましょう。

ところが日本人は、自分の中に自己を律する原理がなく、組織や集団、世間、他者の意見を自分の意見や考えとしてしまいます。日本人にとって、自分を律するものは組織であり、集団であり、世間であり、決まりきった型や儀礼です。これを他律的集団主義としておきましょう。(ここで日本人は集団主義だという場合、日本人の中に集団主義の根拠となる確固とした考え方・思想があり、それが集団主義となっているという意味では全くないことをご理解ください)

自律的個人主義と他律的集団主義。全く正反対の言葉ですね。ここから次のような結論が導き出せます。

私たち日本人の意識構造は、この世界において一般的で普遍的であるはずの自律的個人主義が反転して、結果的に他律的集団主義になっている、と。

奇妙だとは思いませんか?どうして日本人の意識構造だけが反転しているのでしょう?原因を追及するため、そのような反転が発生するメカニズムを、他の例を参考にして見ていきます。

アルツハイマー型認知症は今の日本でも大きな問題となっていますが、この症状を参考に検証してみます。アルツハイマー型認知症の症状は、周囲の人間が自分に対して悪意を持っている、お金を盗む、何かを隠している、などといった妄想を持つ点が特徴となります。

この病気は、ある種のたんぱく質が神経細胞に取りついてそれを破壊していくため、通常は問題なく統合されていた自己意識を保持できなくなり、見当識を次第に失っていくことにより発現します。記憶力や認識能力が大幅に低下し、場所や相手の見当がつかなくなって、例えば、机に置いていたはずの財布が見つからない場合、誰かが盗んだという結論に持っていくしか自分を保つことができなくなるのです。

このように認識を反転させないと、脳は自分の心を守り切れないと考え、仮構の現実を創出して心に提示し、自己を安定させようとする訳です。意識構造の反転はこうした状況下で発生するのです。

上記の症例から、人は、普通の世界の中で自分を保持できなくなったとき、普通の世界を裏返し―つまり反転し―裏返しにした世界の中で自分の正当性を認識し、その当然の帰結として、裏返しになっていない元の世界を間違った世界として認知する、ということが明らかになります。

これをそのまま日本に当て嵌めると、日本人は普通の世界(=自律的個人主義の世界)で自分を保持できないので、それを反転した世界(=他律的集団主義の世界)に身を置くことで、自分をどうにか保持しているということになるのです。

日本人が、自分がない中で自己を存立させるには、強固な階層的組織を構築し、その中に自分を置いて自己の存立基盤を確保するしか方法がなかった。その結果、自律的個人主義が反転して他律的集団主義になってしまったのです。

日本の官僚が組織を絶対視するのはそこに起源があります。日本においては、個人より組織の維持存続を優先する日本特有な意識をベースとした閉鎖的共同体が形成されました。既に述べた日本型ムラ社会ですね。私たちが遠い祖先から受け継いだこれらの意識構造、社会構造から、隠蔽、先送り、横並び、合議制、共同無責任、本音と建前、世間体といった日本人の特殊性とされる傾向が派生してくるのですが、その根底には自分がない、という問題があったのです。

自分を、組織や集団・世間に丸ごと委ねると、独立した個の形成や確立は不可能になります。よって日本人は、自我が弱く、自分の意見もない、組織に依存するだけの特殊な性格を持つことになったのです。

そこでまた疑問が出るでしょう。どうして日本人は自分を失ってしまったのだ、と。それは、日本人の中心に空洞があるからです。ということで、次回は、日本人の中に空洞が形成されるメカニズムを見ていきます。

日本人の特殊性の謎を解く その1


日本から出た経験がないと気にはならないのですが、欧米やアジア系外国人との交渉や会食の機会が多かった酔石亭主は、彼らとの会話を通じて、どうも日本人は他のいずれの民族とも異なっているようだ、との印象を強く持つようになりました。彼らとのやり取りで、よく言われる日本人の特殊性という問題に直面した訳です。

自分の印象を確かめるため、日本人論に関する書物を20冊近く読んでみたのですが、この問題はかなり根深そうでした。例えば戦国時代に日本を訪れた宣教師は、日本人は他のアジアの国には見られない高い文化を持っているが、奇妙なことに全ての価値観が逆転している、と自著に記述しているのです。

500年以上も前から日本人の特殊性に関する議論があり、戦後になって、ルース・ベネディクトの『菊と刀』、土居健郎の『甘えの構造』、中根千枝の『タテ社会の人間関係』、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『人間を幸福にしない日本というシステム』など、さまざまな角度からこの問題が取り上げられてきました。

それぞれの本には、日本人は集団主義的だ、日本はタテ社会の国である、恥の文化が日本の特質だ、世間が個人より大切、日本は閉鎖共同体的なムラ社会である、日本には説明責任の中枢がない、日本人は自我が弱いなどの分析がなされてはいます。しかし、なぜ日本人がそうなってしまったのかについて、納得のいく説明はありませんでした。

日本民族は農耕民族だからとか、島国だからとか、鎖国を長く続けたからとか、大ざっぱな理由説明はあるでしょう。けれども、例えば英国も島国ですが、閉鎖的なムラ社会といった日本に見られる特徴はありません。

今まで納得のいく説明はないものの、日本人は確かに他の民族とは異なる特殊な性質を持っている。であればその背後には、人類進化と同様に、必ず明確な理由があるはずです。
そこでまず、既に議論がなされている内容を取り上げつつ、日本人の特殊性という現象の背後に何が潜んでいるのかを探っていくこととします。

以下は日本人の特殊性に関する既存の議論です。

ムラ社会
日本は農耕民族の国で四季の変化があるため、農産物の生産に当たっては村人が協力し合い事に当たる必要があり、集団の協調が重視され個人の権利や意見は無視される。協調のためムラには独自の儀礼、儀式、掟があって、掟に従わない村人は村八分という形で排除されてしまう。結果、非常に閉鎖的な村落共同体が出来上がり、それが下地となって日本人の特殊性が形成された、との議論があります。

しかし、例えば韓国も農耕が主体の国で村落共同体もありますが、日本のような閉鎖的共同体ではなく、開放型共同体となっています。とすれば、農耕民であるからいわゆる日本型ムラ社会が形成されたという議論には誤りがあります。

ムラの中でムラのために皆と一緒に同じようなことをしていれば、一定の快適さが確保される、ところが、独自の意見を主張したり、違う行動を取ったりすれば、すぐにソトへ排除されてしまう、こうした日本型ムラ社会の形成には、農耕民であったという以外の理由があるはずです。

タテ社会
日本ではちょっと前まで、トップに官庁がありその下に経団連のような経済団体があり、その下には各業界の団体があって、業界の下には個別企業、下請け、孫請けがありそのような構造が個人にまで貫かれていました。このような組織構造の中では、ムラ社会同様に皆と同一行動を取り、出る杭が打たれないよう気配りが必要となります。

日本の組織とりわけ官僚組織においては、個人の生活を犠牲にしても組織の調和を乱してはならないとされています。これを乱す人物は組織の和を乱す危険な存在として排除の対象になってしまいます。ですから、組織に調和させ服従させるための同調化圧力には凄まじいものがあるのです。

日本の官僚にとっては、自分の属する組織とその決定・利益が全てであり、個人の意志や考えが介入する余地はありません。しかも、前例主義や儀式、儀礼といったものが重要視され、結果、みんなが横並びを旨として、もたれ合い、受身になってしまいます。そんな組織の中で、例えば薬害エイズみたいな問題が出れば、組織を傷つけないよう、全員が一丸となって隠蔽し、先送りするのです。

世間
世間様に申し訳ない。世間に顔向けできない。そんなことをしたらお天道様の下を歩けない。などという言葉が昔からあります。これは、自分の行動が他者(世間、社会、企業)という外からの強制圧力を受け、それに支配されていることと一般には考えられています。

現在でも新聞・テレビなどで、日本で起きたことに関する海外の反応がよく取り上げられます。某前首相がloopyなどと海外メディアに書かれると、国内メディアが一斉に取り上げ大騒ぎになるのもその一例でしょう。私たち日本人は、外部からどう見られているのかが異常に気になる性質を持っているのです。

説明責任の中枢がない
外国人が日本人と交渉する場合、誰が決定者なのか最後まではっきりせず悩んでしまうケースがしばしば見られます。日本は責任の所在が曖昧であると彼らは思ってしまうでしょう。また官庁でも同様で、外国企業が日本に進出しようと思うと、あちこちたらい回しされ時間ばかりが過ぎてしまうのです。

上記のような日本人の特殊性に関する既存の議論から浮き彫りになってくるものがあります。それは、日本人にとっては個人より集団や組織の方が重要だ、ということです。しかし、本当にそうでしょうか?誰だって自分が一番大切なはず。自分が大切なはずなのに、個人よりも集団や組織を重視するというのはまるで矛盾しています。ではどう考えればこの矛盾を解消できるのでしょう?
 
矛盾を解消させるため、ある仮説を立ててみたいと思います。

それは、日本人は自分がないから個人より組織が重要になる、という仮説です。自分がない中で、自分の存在を保持するにはどうしたらいいでしょう?そう、強固な集団や組織を構築し、それに依存し、身を置いて、自分の存在を保持・確保させるしかありません。

何らかの理由で集団や組織が崩壊したり、集団から外れたりしたら、自分を保持できなくなってしまう。その恐怖心から逃れるため、ウチとソトを厳しくわけ、集団が崩壊しないように内部を強く固め、自分が集団から外れないよう集団のルールを厳しく守り、皆と同一行動を取る、といった意識や行動が発生してくるのではないでしょうか?

集団の掟を破るのは、自分の存在理由の崩壊に繋がる極めて危険な行為と見做され、一種のタブーとなるのです。従って集団の中で自己を主張する、自分独自の行動を取る、つまりタブーに触れる人物は排除の対象になってしまう訳です。日本人が集団や組織の意向に反する言動を取れず、個人の信念や意思を放棄させられ、自分の属する集団の意向や利益に反する異分子がいたら排除してしまう理由は、ここにあったのです。

以上より、日本人は自分がないから、強固な集団や組織を構築しそれに依存するしか自己を保持することができなかった。その結果、個人よりも集団を重視するしかなくなった、という仮説は論理的に正しいことになります。自分を抑え組織に従うのは非常に無理がありストレスが多くなりますが、(本音と建前という議論はここから発生します)自分の存在を保持するための万やむを得ない措置なのです。

現代においても、学校での特定の生徒に対するイジメや無視、公園デビューの奥さんが受ける嫌がらせなど、集団やグループへの忠誠と排除の例が見られますね。

ということで、上記の仮説をベースにして今後の議論を進めて行きましょう。それにしても、日本人の心の内部で、心理的にはやたら複雑で無理な操作がほとんど無意識裏に行われていると思いませんか?

         ―日本人の特殊性の謎を解く その2に続く―
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