歴史に秘められた謎を解く その10


その9を書いてからやや時間が経過してしまいました。前回で瓢箪が数多く出てきましたので、もうそろそろ瓢箪も終わりだと思われるでしょうが、まだまだ話は尽きません。

新羅の始祖伝説では、瓢箪型の卵から生まれたのが始祖王赫居世です。この土地では瓠を朴(ぱく)ということから、その姓は朴になりました。新羅はなぜか瓢箪との係わりが濃いですね。

また朝鮮の伝承によれば、首相として赫居世を補佐した倭人の瓠公(ここう)は、タバナ(丹波または対馬か?)から日本海を渡ってきたとき、腰に瓢箪をつけていたので瓠公と名付けられました。

ところで瓢箪のことを匏(ひさご)と呼びますが、丹波国(後の丹後国)の籠神社に与佐宮があります。与佐宮は与謝宮で、与謝は匏を意味し、モーセの後イスラエル十二支族を率いたヨシュア(与謝)です。しかもヨシュアはギリシャ語でイエスを意味しています。以下は籠神社に関するWikipediaよりの引用です。

籠神社(このじんじゃ、こもりじんじゃ)は、京都府宮津市の天橋立の近くにある神社である。式内社(名神大)、丹後国一宮で、旧社格は国幣中社。元伊勢の一つであり、元伊勢籠神社とも称する。別称 元伊勢根本宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神。
社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。これによって、当社を「元伊勢」という。


籠神社のしおりによると、古代丹波の最高神である豊受大神は天之御中主神又は國常立尊とも云う、とあります。『日本書紀』によれば國常立尊は豊国主命すなわち秦王国の神です。であれば、豊受大神はアマテラスよりも高位の神となります。アマテラスが伊勢に鎮座する前に立ち寄った籠神社には様々な要素が含まれているようです。

ここで一旦瓢箪から離れ、アマテラスについてミトラ神とイエスとの関連で詳しく見ていきましょう。まずミトラ神は太陽神でありながら祭司としての一面を持ち、誕生日は太陽の死と再生を意味する冬至の12月25日となります。神の御子であるイエスの誕生日は12月25日で、はりつけとなって墓(天の石屋戸や洞窟と同義)に入った後、復活・再生しました。ローマ帝国においてキリスト教が主流となったのは、ミトラ教を取り入れたからです。その最たるものが、イエスの誕生日をミトラ神の誕生日と同じにしたことでしょう。

ミトラ教とキリスト教の関連は数多く、ここでは書き尽くせませんが、例えば復活祭や最後の晩餐など、キリスト教の儀礼や思想はミトラ教から導入されています。旧約聖書がシュメールの神話や出来事を取り入れているのと同じことですね。

イエスの人格というか神格は、ミトラ神がベースになっていました。イエスはミトラ神によって神となったのです。これは、ミトラの西洋世界に対する影響と考えられます。

一方ミトラ神は、インドにおいてマイトレーヤすなわち弥勒菩薩に、日本においては弥勒菩薩のみならず、摩多羅神に変容しました。これは、摩多羅がミトラの音訳であること、摩多羅神を当初祀ったのが弥勒菩薩を安置した広隆寺の桂宮院鎮守社大酒神社であること――などから証明できます。

弥勒菩薩も摩多羅神も元は同じミトラ神だから、名こそ違え同じ境内で祀られたということでしょう。しかも、国宝第一号の弥勒菩薩像を安置した広隆寺は、推古三十年に秦河勝が聖徳太子のために建立した寺なのです。

以上ミトラ神を媒介として、西洋と東洋そして日本までが一本の線で結ばれてしまいました。

そこで、アマテラスに登場してもらいましょう。女神としてのアマテラスは『日本書紀』にオオヒルメノムチと記載されており、太陽神である日を祭祀する巫女(みこ)でした。ところが彼女が天の石屋戸に籠り(死に)、そこから再び出現(再生)するときには太陽神天照大神に変容します。

そして宮中では、十一月の卯の日(太陰暦でほぼ冬至の前後)に、日の御子(アマテラス)の誕生式が執り行われていました。これらから、アマテラスの神格はミトラ神と同じと断定できます。しかも、ミトラ神の神格はイエスの中に流れ込んでいるのです。とすれば、アマテラスとイエスは…、ミトラ神を媒介として同体ということになります。ミトラ神は他の神々を変容させる神だと書きましたが、それはこのような意味だったのです。

さてそこで、アマテラスがイエスであるとしたら、イエスより高位の神はヤハウェ神しかいません。つまり、豊受大神はヤハウェ神の神格を付与されていたのです。宮中で祀られていたアマテラスは、崇神天皇の時代に宮中を出て各地を巡行し、垂仁天皇の時代にようやく伊勢に鎮座します。

次に雄略天皇の時代となり、アマテラスに勧請された豊受大神は伊勢神宮外宮に遷座するのですが、伊勢においては、アマテラスを祀る内宮の前に豊受大神を祀る外宮を先参りしなければなりません。ここにも、イエスに対するヤハウェ神の立場が反映されています。

また瓢箪に戻りましょう。与佐宮=匏宮(ひさご)のある籠神社は瓢箪を介して朝鮮半島から巨丹にまで一本の線で結ばれてしまいます。瓠公が丹波の出身ならもう完璧ですね。籠神社はアマテラスの元伊勢伝説の地、豊受大神はここから伊勢神宮の外宮に鎮座しました。真名井神社にはダビデ王の六芒星紋までありますし、シルクロードを西にどんどん行けば、その先にはメソポタミアとイスラエルがあるのです。

以上、籠神社(与佐宮、真名井神社)とその一帯(若狭、丹波、丹後)は実に日本における巨丹でした。巨丹、伏羲、赫居世、瓠公、オノコロ島、与佐のいずれもが瓢箪(ひさご)であり、巨丹、中国、朝鮮、日本まできっちり繋がってしまうのです。だからこの地には、巨丹と同様に徐福伝説、浦島伝説、八百歳まで生きたとされる八百比丘尼伝説、水銀の丹生神社など、不老不死にまつわる伝説や事象が数多く存在します。ちなみに八百比丘尼は安倍晴明の宿敵となる陰陽師秦道満の娘とされています。

既に書いたように、巨丹と日本との関係は、中国の神話にもその反映が見られます。中国の神話は、西方の崑崙山=巨丹と、東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛洲=日本)の二系統にちなむものが多いのです。それは、巨丹から日本に到来したスサノオ族と秦氏の足取りを示すものであり、巨丹と日本が死と再生の特異点であることをも示しています。

アフリカ大地溝帯のアファール三角地帯(発散型プレート三重点)において、獣であった共通祖先はヒトになりました。そこが、心の世界(=第三の世界)が開けた特異点です。

現生人類は大地溝帯が発する気の流れに沿って、死海地方すなわち死海地溝帯の北端部であるプルアパートベイズン(死と再生のミニ特異点)に入ります。この地方には、人類発祥の秘密を記した創世記や、人類の死と再生を象徴する方舟がありました。

死海地方を拠点として現生人類は世界に散らばり、気の源は崑崙に発するとされる巨丹(死海地方と同じ死と再生のミニ特異点)に到達したシュメール人の祖は、一旦メソポタミア地方に入って、世界最初の都市文明を花開かせます。

外敵の侵入や塩害、洪水などによる生産力の低下で危機に瀕した彼らは、メソポタミアを出て再び巨丹に入り、神農や伏羲に変身。彼らの子孫たちが中国経由で、陸上と海溝のプレート三重点があり世界の気が流れ込んで収束する地点、すなわち日本に向かったのです。

続いてイスラエル十支族も巨丹で秦氏に変容し日本に到来しました。そして日本は、他律的集団主義という第四の世界が開けた特異点です。よって死海や巨丹は第三から第四の世界へと移行する中間点、中継点(ミニ特異点)になるのです。死海地方や巨丹に死と再生の記号が多く出現するのは、これが理由と見て間違いないでしょう。

日本には世界のあらゆる要素が流れ込んでいる、また日本列島の形は世界の縮図のようだとよく言われますが、そうなったのは上記のような構造があったからだと考えられます。

以上より、シュメール陸上系のスサノオ、イスラエル系の秦氏が日本に到来した経路が明らかになったはずです。ちなみに、到来の『到』の字は、『臻』とも書きます。秦氏が日本の地に至ったから臻なのです。スサノオはシュメール渡来の民で、秦氏はその弟分に当たりイスラエルの民、両者は巨丹経由日本に渡来して、猿田彦とも協力関係にあるという結論が一応導き出されました。

宇宙開闢、生命の発祥、人類の発祥、シュメールやイスラエルの民が日本に渡来した経緯などに一定の結論が得られました。謎解きの旅はいよいよ日本国内に移っていきます。最も解明が難しい、第四の世界がこの日本において開けた謎、すなわち日本人の意識構造が反転した謎(=日本人の特殊性の謎)がのようにして発生したのかを、スサノオや秦氏などの日本における活動を通して解明していきたいと思います。またそれこそが、現在の日本が抱える全ての困難や問題を解決する鍵になるはずです。

            ―日本に秘められた謎を解く その1に続く―
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歴史に秘められた謎を解く その9


前回書きましたように河童は瓢箪が嫌いで、伏羲と女媧の伝説から方舟=瓢箪となります。瓢箪が方舟と同一視される背後には、胡瓜と同様重要な意味があるはずです。胡瓜も瓢箪も同じウリ科というのが面白いのですが、今回は瓢箪に関して検討していきましょう。

瓢箪は干瓢を作るユウガオと同じウリ科の蔓植物で、酒や水を容れておく器として重宝されました。また、半分に割って食器などとしても使われました。柄杓(ひしゃく)という言葉も、ヒサゴが転じてできた言葉です。柄杓といえば、尺神の猿田彦も連想されてきます。瓢箪は生活用具であると同時に、呪具や魔よけ道具としても使われました。

話は急に変わりますが、アマテラスである卑弥呼の死後、台与(とよ)が宗女となります。台与(とよ)の存在は、豊(とよ)に置き換えて考えるべきで、台与は、秦氏の支配地域である豊国=豊前国に係わるという線が出てきます。豊前国はその九割が秦氏によって占められていました。つまり豊は秦氏であり、豊国なのです。

そして、天孫降臨とは、筑紫地方にあった邪馬台国の部民が、日田盆地(ここには日向の地名が多い)を経由し、耶馬溪のある山国川を下り、豊前の中津(仲津)に到着した経緯を描いたものでしょう。天孫が降臨した場所である豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)とは、正しく台与(とよ)が祭祀する中津の国(豊前国=秦氏の国)ではないでしょうか。

これは、『古事記』という最も重要な神話の編纂(創作)に秦氏が関与していたと見るべきです。また、崇神天皇期に宮中を出て流浪したアマテラスの初代斎宮は、豊鍬入姫命(とよすきいりびひめのみこと)でした。アマテラスの斎宮は豊であり、アマテラスに招かれ伊勢神宮外宮に鎮座した豊受大神は、秦氏が創建した伏見稲荷大社の祭神宇迦之御魂神と同体視されています。アマテラスの裏側には秦氏が見え隠れしているのです。

瓢箪と何の関係もない話と思われるでしょうが、次第に瓢箪に近づいていくので我慢してください。

豊(とよ、ほう)はまた、盃の中に食物が満ちていることを表しますが、瓢(ひさご)を二つに割って作った盃を合わせ離すという意味もあります。また、盃を合わせる点からホウ(逢)とも言いました。

秦氏の豊はホウであり、匏(ひさご)もホウと読みます。豊は匏=瓢箪であり、『古事記』の国土創成で語られるオノコロ(オノコロのコロは葫盧で、これも瓢箪を意味する)島であり、蓬(ほう)莱山(=豊来山つまり秦氏が来た島)でもあったのです。

これら別々と思われたことは、残らず繋がっていきそうです。徐福が探し求めた蓬莱山は日本にあるとされ、鳳来寺山は秦氏の痕跡が多い東三河(=穂の国=豊の国)の中央構造線沿いにあります。蓬莱山は不老不死の仙人が住むとされますが、実は死と再生を司る秦氏の棲む山だったのです。また東三河地域には豊橋や豊川など豊が付く地名が非常に多いという特徴があります。

ここである結論が出ました。秦氏は豊(とよ、ほう)で象徴される存在だったのです。

豊葦原中国。邪馬台国の台与。秦氏の支配地域豊前国。オノコロ島。瓢箪。蓬莱山。豊鍬入姫命。豊受大神。これらには残らず秦氏の関与があったのです。

しかも、スサノオや秦氏に関連している事柄は、どれも死と再生の象徴です。水銀、伏羲、始皇帝、崑崙の玉、金丹、蚕、徐福、蓬莱山と、死と再生のオンパレードのように思えてなりません。不老不死薬の金丹を収める容器までが瓢箪なのです。瓢箪は、あちこちで出現するだけに、死と再生の象徴として重要なものなのでしょう。そして伏羲が瓢箪に入って洪水を逃れた崑崙(=巨丹)も死と再生を象徴する場所でした。

驚いたことに、瓢箪を検討していくと巨丹(ホータン)に行き着くような気配があります。ではここで、瓢箪とは巨丹を意味しているとの仮説を立て検討をさらに進めましょう。

瓢箪と巨丹(ホータン)は発音がほとんど同じである点も瓢箪=巨丹説の根拠になります。そんな馬鹿な、と思われるでしょうが、これからそれを論証していきます。

蘇民将来譚でスサノオは巨丹将来に宿を乞うて断られました。これはスサノオ族が巨丹から――多分疫病のせいで――追われた事実を投影していると思われます。疫病で巨丹から追い出されたスサノオ族、つまり河童はだから瓢箪が嫌いなのです。

瓢箪の伏羲も…当然ながら巨丹から到来した皇帝です。巨丹に到来したシュメール人の子供が長じて中国に渡来したと考えれば、洪水の話や、洪水から逃れるため瓢箪(巨丹)に入り生き延びた話、伏羲が瓢箪から生まれたという説話に、うまく対応するはずです。しかも女媧は女瓠とも書かれ、これまた瓢箪を意味しているのです。

いかがでしょう?まだ瓢箪=巨丹説の論拠としては弱そうですか?では、もっと強力な証拠を以下に提示します。

まず瓢箪の瓢は匏(ひさご)とも書きます。匏の字音はホウです。とすれば、瓢箪はホウタン=巨丹となります。次に伏羲と女媧は崑崙に住んでいたとされ、かつ伏羲は葫盧で瓢箪を意味しています。崑崙は黄河の源流で、そこに産出する不老不死の玉が崑崙の玉。崑崙の玉の産地は正しく巨丹です。

これで巨丹=崑崙となります。しかも、崑崙と葫盧は、ころんとまるい、という基本義を共通にした同系の語で、瓢箪を意味します。

以上から、瓢箪=葫盧=崑崙=巨丹という式が成り立ちます。うまく巨丹と瓢箪が接続されました。単に発音だけでなく、瓢箪とは巨丹を意味しており、瓢箪=巨丹となるのです。


瓢箪にはもっと深い思想的な意味があります。瓢箪はこの世とあの世の境界にあるものを象徴しており、瓢箪に入った人間は死の世界に入るのですが、そこから出てくるときには再生したことになります。洪水で人類が滅亡した際、瓢箪の中に入って助かり、出てきた(再生した)伏羲と女媧はこのいい例でしょう。

『旧約聖書』のノアの方舟も、神によって死滅させられた生き物が、方舟から出て再生することを意味しており、伏羲と女媧の話と同一バージョンになります。しかも、方舟と巨丹の文字を比較してみると、方はホウとも読めるし、舟は丹とほとんど同じ漢字です。さらに、イスラエルの民と神との契約の証しである『契約の聖櫃』はアークであり、方舟もアークでした。契約の聖櫃に関しては以下Wikipediaより引用します。

契約の箱(けいやくのはこ、ヘブライ語: ארון הברית‎ aron habrit、英: Ark of the Covenant)とは、『旧約聖書』に記されている、十戒が刻まれた石板を収めた箱のことである。証の箱(あかしのはこ)、掟の箱(おきてのはこ)、聖櫃(せいひつ)とも呼ばれる。
                   
つまり……聖櫃と方舟は同じであり、方舟は巨丹であり、巨丹は瓢箪。瓢箪はホウ……。ホウは豊であり、豊は秦氏であり、それらは全部死と再生の象徴となります。ノアの方舟と、伏羲と女媧が瓢箪に入って洪水から逃れた話はまるっきり同じ。しかも、瓢箪はオノコロ(ころ=葫盧=瓢箪)島であり、オノコロ島は日本であり、イスラエルがそのまま日本に接続していくのです。

日ユ同祖論の中に契約の聖櫃は秦氏の手で日本に運ばれたとの説がありますが、一般的にはトンデモ説とされています。しかし酔石亭主が提起する上記の視点で見ると、必ずしもトンデモ説とは言い切れないように思えてきます。

メソポタミアを脱出したシュメール人は、父祖の地巨丹=方舟に入りました。そして、神農や伏羲としてそこを出立し、中国やインドに進みます。イスラエルを脱出した十支族は彼らのルートを辿り、秦氏として巨丹を進発。中国へと向かったのです。

中国に入った秦氏は、次に日本を目指しました。日本こそが常世の国でした。秦氏系の赤染氏が常世連に改姓されているのがその傍証でしょう。しかも、常世(とこよ)とは豊(とよ)の国=秦氏の国を意味しています。そこには不老不死薬のある蓬莱山(=豊来山=秦氏が来た山)がありました。どの視点から考察しても、残らず秦氏に収束していきませんか?

巨丹に関する様々な事象は、ここが死と再生を象徴する場所(=一種の特異点)であることを示しています。聖櫃であり、瓢箪であり、方舟であった巨丹。その中に一旦入って次に出ることは、取りも直さず死と再生を意味しているのです。豊(ほう、とよ)とは方舟であり、聖櫃、巨丹、崑崙、瓢箪、蓬莱山、オノコロ島(日本)、台与、豊受大神、豊前国、常世(とこよ=とよ)の国であり、秦氏の死と再生を象徴するものでもあったのです。

ちょっと恐ろしいことになってきました。『人類進化の謎を解く その4』で書いたように、死と再生は、新しい世界が開ける際の特異点を意味しています。だとすれば、死と再生を司る秦氏は、宇宙の発祥から現在に至る進化の基本構造にまで関与している可能性がありそうです。酔石亭主は『日本人の特殊性の謎を解く その4』で以下のように書きました。

四、日本人の発祥。他律的集団主義の世界が開ける。自己展開。日本人の特殊性の形成。
となるでしょう。
誠に信じがたいことですが、宇宙の開闢や人類の発祥と同じ構造の進化(相転移)がこの日本で、私たち日本人に起きていたのです。しかもこれは、極めて高度な心理操作によるものであり、偶然起きたものではありません。では、一体誰が何の目的で、いつ日本人にそのような仕掛けを施したのでしょう?


今まで別のカテゴリーで書いてきたことが、次第にリンクし始めたように感じられませんか?宇宙が開闢して第一の世界が開かれ、生命が発祥して第二の世界が開かれ、人類が発祥して第三の世界が開け、最後に日本人が発祥して第四の世界が開かれました。(なお、言うまでもありませんが、この時点で日本人が発祥したのではなく、他律的集団主義の世界が開けたことをもって日本人の発祥と書いていますので、誤解ないよう願います)

そして第三の世界が開けた地点(アファール三角地帯)から第四の世界が開けた日本を繋ぐ架け橋となったのが、強い気を感知する預言者が輩出した死海地溝帯北端部のイスラエルであり、気の源が発するとされる崑崙山すなわち巨丹だったのです。

上記の物差しで見た場合、秦氏はイスラエル渡来の民などという小さな視点では捉えきれない存在であると理解されますね。(この問題の検討は別の機会に譲ります)

シュメール人と秦氏の渡来に関しては、ネット上でも既に多くの議論があり、本論考も部分的には参考にしています。しかしここで提起している視点は過去に例がなく、この種の議論に一石を投じるものだと思うのですが…、いかがなものでしょう。

瓢箪に話を戻しましょう。『古事記』の国土形成譚によれば、イザナミとイザナギが天の浮橋から矛を海に下ろしてかき混ぜると、塩が重なってオノコロ島ができたとされ、オノコロ島のコロは葫盧で瓢箪です。『古事記』の国土形成譚には、八卦すなわち陰陽五行の祖である伏羲と女媧の伝説が隠されています。但し、日本の『古事記』では洪水神話の部分が欠落したのでしょう。伏羲は陰陽思想の祖ですから、『古事記』は陰陽五行の影響を強く受けているのです。

瓢箪は天と地を繋ぐものであり、イザナミとイザナギ、伏羲と女媧などに象徴されるように陰と陽を表し、死と再生=輪廻転生する宇宙の原理を表しているのです。ちなみに、天孫降臨で高天原から地上にかかる橋(天と地を繋ぐ橋)は、天の浮橋すなわち天橋立ですが、天橋立の枕詞である『ひさかたの』は瓠葛と書き、瓢箪のつるを意味しています。そこで、瓢箪を縦に割ると何になるでしょう?そう、柄杓ですね。

では、柄杓の神様はどんな神でしょう?杓神、尺神で猿田彦となります。猿田彦は境界の神。猿田彦が道祖神など境界の神になるのは、柄杓がこの世とあの世を分かつ境界にある瓢箪を二つに割ってできたものだからに他なりません。

とすれば、猿田彦は秦氏と極めて関係が深いことになります。豊は瓢(ひさご)を二つに割って作った盃を合わせ離すという意味があり、盃を合わせる点からホウ(逢)とも言いました。豊で秦氏と猿田彦が重なっているのです。

瓢箪は巨丹であり、それには秦氏、シュメールのスサノオ、猿田彦までが関与していました。瓢箪と巨丹だけでこれだけのストーリーを紡ぎ出せるのですから、歴史は本当に面白いですね。

            ―歴史に秘められた謎を解く その10に続く―

歴史に秘められた謎を解く その8


巨丹地方やその文物は後代の皇帝たちにとって、限りない憧れになりました。伝説の始祖皇帝も巨丹から到来したようです。とすれば、巨丹の前に伝説の始祖皇帝である伏羲(ふっき)・女媧(じょか)・神農・黄帝の四人を調べる必要があります。

まず伏羲・女媧ですが、彼らは夫婦で、『旧約聖書』のアダムとイブ、『古事記』の、イザナギ・イザナミと同様の関係になります。伏羲にまつわる伝説では、次のようなものがあります。

伏羲と女媧が、雷神(龍)からもらった歯を土に埋めると、土の中から新芽がでてきた。その新芽はみるみる大きくなり、たった一日で花が咲き、実が実った。それは大きな瓢箪だった。やがて天まで溢れる大洪水が起こり、大きな瓢箪の中にいた伏羲と女媧だけが生き残った。二人は瓢箪の中に隠れて、洪水のあいだ波間に漂い、再び地上に降り立った。

伏羲は瓢箪で洪水伝説まであり、瓢箪はノアの方舟と同じものと考えられます。しかも、伏羲は葫盧(ころ)ともいわれ、これは避難していた『瓢箪』を意味しています。また伏羲は庖羲ともいわれ、これは方舟のことです。よって方舟=瓢箪となります。

伏羲と女媧の伝説は、シュメールの方舟型洪水伝説と同一バージョンであり、この両者はシュメール系と判断されそうです。しかし、洪水伝説は創世記の中にもあり、伏羲は蛇身(ヤハウェ神を象徴する)で、牛神(シュメール系の神)であるスサノオや神農、牛頭天王とは異なっており、この点が不整合となっています。多分、巨丹における伝承の成立過程でシュメール系と秦氏系がミックスしたのでしょう。

注目すべきは、河童の嫌う瓢箪がここにも出現していることです。河童が嫌い、伏羲でもあり、方舟でもある瓢箪。瓢箪には隠された意味がありそうです。

ちなみに、伏羲は陰陽思想の源流にもなっています。伏羲がシュメール系とすれば、中国起源とされる陰陽思想も元ネタはメソポタミア地方となります。陰陽思想は中国起源かと思われていましたが、その源流はメソポタミア地方にあったのです。

次が神農です。神農氏の姓は姜(きょう、羊の女の意)で、これは彼が遊牧民であることを示しています。これら伝説の始祖皇帝は、後世になってシルクロードと呼ばれたルートを経由し中国に到来、彼らの子孫たちが日本に渡来したと考えられます。

だから平安京(=京の都)とは姜の都(シュメールの都)であり、かつエルサレム(エルサレムはヘブライ語ではエル・シャロームであり、意味は平安京となります)でもあったのです。伏羲と女媧の伝説にシュメール系と秦氏系のミックスがあるのと同様に、平安京にも二重の意味が隠されていたのです。

注:エルサレム=平安京説は日ユ同祖論で既に語られています。

シルクロードは大別すれば三つのルートになります。そのうちで重要なのが、西域南路。これは敦煌~楼蘭~若羌(チャルクリク)~民豊(ニヤ)~和田(ホータン)~莎車(ヤルカンド)~喀什(カシュガル)へと続くルートで、カシュガルで天山南路と合流し、パミール高原を越えローマに至ります。

上記ルートから、姜姓の神農は西域南路の巨丹より若羌(チャルリク、羌は羊の男の意)を経由して中国に到来したと考えられます。また『史記』によれば、炎帝神農は姜姓である。(中略)人身牛首で、姜水で育ったため、姜姓になった、とあります。

ここで、姜水とは洪水伝説のティグリス川を意味すると仮定しましょう。一般に、姜水は陝西省の渭河支流岐川のことで、ティグリス川とは関係ないはずですが…、陝西省渭河の場所を見てください。陝西省はシルクロードの入り口に当たることから、神農は西方からはるばるここにやって来たことになります。

この川の名は元々岐川でした。であれば、改めて姜水などとする必要はないはず。岐川を姜水としたのは、神農族がシュメールから巨丹経由到来し、ここを故郷にちなんで姜水としたからと考えられます。

また、洪水という文字にも着目すべきです。『洪』の字は水の意味を表すサンズイ偏と、音を表す共(キョウ)からなる形声字になります。洪水伝説発祥地シュメールのティグリス川で発生した洪水の『洪』の字は、従って、姜に通じ、洪水は姜水すなわちティグリス川を意味しているのです。以上から、洪水という漢字はティグリス川の氾濫を元にして作られたと推測できます。

そしてもう一点。『祇園牛頭天王縁起』によると、牛頭天王は須弥山半腹の豊饒国王武塔天王の太子です。須弥はシュメールを意味していますね。

始祖皇帝たちだけでなく、陰陽道や道教などの思想も一緒にシュメールから伝わってきました。道家は伏羲・女媧・神農を源流として、黄帝によって発展継承され、老子が集大成したものです。

陰陽道の部分では、伏羲がシュメールから陰陽思想と八卦を伝え、神農はそれを展開し六十四卦とし、黄帝が集大成しました。『史記』によれば陰陽五行論は彼が定めたとされ、関係の書物には黄帝の名が多くつけられています。

西漢(前漢)期になると金丹道教が流行し、その方術は外丹術と呼ばれました。金丹は、丹砂または朱砂と呼ばれる硫化水銀に鉛、硫黄などを加え、加熱、溶化鍛練して作る不老不死の薬で、外丹ともいいます。この不老不死薬金丹は瓢箪に収められるとか。瓢箪はあちこちに顔を出すようですね。

以上より、道教、陰陽道など日本の深層部に入り込んだ思想の大本は、シュメールから巨丹、中国経由で日本に到来したと考えられます。もちろんその過程であらゆる要素がミックスしたはずです。また、シュメール系や秦氏が中国に渡来する過程で、アーリア系のミトラ教とも習合しました。

巨丹はユダヤ教、キリスト教、ミトラ教、道教、陰陽道などの思想や、河童、玉、水銀、養蚕、胡瓜などの事物の起点か、中継地点になっています。巨丹の鍵は、通過した文物ではなくて、これらを担った人々、つまりスサノオ族=河童、秦氏などにあったのです。

              ―歴史に秘められた謎を解く その9に続く―

歴史に秘められた謎を解く その7


もう少しスサノオについて見ていきます。言い伝えによれば、スサノオは牛頭天王として天竺(=インド)に示現し、釈迦を助けたそうです。そこから中国に渡った天王は、牛の頭を持つとされる神農となりました。釈迦を助けた後で中国に渡り神農に変身するのは、時代的に不可能だとの指摘もあるでしょう。しかしこの伝承で押さえておくべきは、スサノオと牛頭天王、神農が同体・同族であるという点だと思います。

また相撲の項で書きましたように、スサノオと河童、蚩尤(=兵主)は、相撲を軸にしても完全に繋がっていました。 相撲はシュメールが起源であり、蚩尤(=兵主)は蚩尤戯で相撲と接続し、河童は相撲を好みます。そして、河童と兵主、スサノオは同体・同族で、穴師兵主神社のすぐ近くには相撲神社があるのです。

これらの複雑な相互関係は一定の指向性を持っており、偶然と片付けることはできません。スサノオと河童、牛頭天王、神農、蚩尤、兵主神は同じグループに属し、巨丹から中国、朝鮮半島を経て日本に到来した可能性が高くなってきました。そして巨丹には、謎を解く鍵の一つがあると考えられます。

だとすれば、彼らの拠点巨丹とはどのような場所なのか、明らかにする必要があるでしょう。巨丹は中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の和田であり、ここの特産品は『崑崙の玉』と呼ばれる軟玉翡翠です。完璧って言葉があるのはご存知ですね。中国の故事に見られる、瑕のない玉の意ですが、それがホータンの玉のことです。

この玉は不老不死の霊力を持っており、漢の武帝により派遣された張騫(ちょうけん)が発見したとされます。武帝は、河の源である山の名前を考え『崑崙』と命名しました。ここは、周の穆王(ぼくおう、紀元前十世紀頃)が西の方に赴き、西王母にまみえて、不老長寿の霊薬を授かったという伝説の地。巨丹では養蚕も盛んで、桑の木が多く上質なシルク製品が生産されています。養蚕は秦氏の得意技であり、蚕の変態はその姿から、死と再生を象徴しているとされます。またこの地には水銀も産出するようです。

それにしても、なぜ巨丹には、崑崙の玉や蚕、水銀、不老長寿の伝説など、死と再生に関連する記号が数多く出現するのでしょう?

しかも巨丹の丹という漢字自体、不老不死の秘薬金丹の元になる水銀の原石辰砂の赤い色を意味しています。また、崑崙の玉の産地は、不老不死に憧れる中国皇帝が気にする黄河の源と同じでした。

ちょっと不思議ではありませんか?死と再生に関連する記号が、やたら巨丹周辺に集中しています。だとすれば、この背後には必ず隠されたものがあるはず。また、巨丹と日本の丹生や丹波-なぜ遠く離れた場所の地名に、同じ『丹』の文字が使われているのでしょう?

丹は鳥居の形にも似ており、その鳥居は朱塗りであり、朱はシュメールのシュであり、神の死と再生を意味し、死と再生は新しい世界が開ける際の特異点となります。

それだけではありません。辰砂の辰は字音がシン。次々に連想が湧いてきます。神も秦も字音はシンでした。まだあります。プレート境界にある日本。日本は言うまでもなく地震国です。そして地震の震も字音はシンでした。歴史だけではなく、言葉の裏側にも不思議な繋がりと広がりがありそうです。

中国の皇帝の意識は、不老不死を媒介として、黄河源流の巨丹に強く向いています。ここからも、神農など伝説の始祖皇帝達は、巨丹を経由して中国にやって来たと推測できるでしょう。また一方で、彼らの意識には不老不死薬があるという蓬莱島、すなわち日本にも目が向いています。

巨丹には不老不死(=死と再生)を示す記号が揃っていました。そして巨丹と日本の丹波や丹生に共通する丹の文字。不老不死薬があるとされる日本。巨丹と日本の間には共通する何かがあると見て間違いありません。謎の広がりは、日本の枠を大きく超えていきそうです。

            ―歴史に秘められた謎を解く その8に続く―

歴史に秘められた謎を解く その6


スサノオを祀る愛知県の津島神社では、御葦(みよし=神葭)放流神事という極秘の神事があります。これは神主家でさえタッチできない秘事であり、服部勾当太夫ただ独りが執行しました。

この神事は疫神である牛頭天王を葦に仮託して川に流すものでした。神事は六月十一日の『御葦刈り』から始まり、『御葦放し』で終わるのですが、津島では、この御葦流し以前は、白瓜を食べてはならないとの禁忌がありました。八坂神社のスサノオと胡瓜とも共通する内容です。

そして『御葦放し』の最中は、津島の民家は全て灯火を消し静まり返りました。もし灯火をつけている家があれば白瓜を投げ込むのですが、その家は必ず凶事があると人々は恐れました。息の詰まるような静寂と緊張の中、所定の場所で御葦船に葦を積み込みます。

船は川を下流に下り、ある地点に到達すると太夫は御葦を川中に放流し、後を一切振り返らずに急いで漕ぎ戻ります。二十二日までは燈明を掲げず謹慎し、翌二十三日段階で御葦が津島域内に流れ着いた場合、着岸祭を行うそうです。さもなければ、御葦が着岸した地域は疫病が発生すると言われていたからです。

以上がこの神事の概要で、御葦放流神事は疫神を送却する神事でした。そこでこの恐ろしい神事と河童との関連を見ていきます。

河童に関して、人形化生説という説があります。左甚五郎や飛騨の匠といった大工の棟梁が、神社仏閣、城郭などを建立する際、人手が足りないので呪術を駆使し、藁人形に魂を入れて手伝わせました。工事が済めば藁人形は不要となり、川に捨てた。捨てられた人形は河童と化し、人畜に悪さをして、人間の尻子玉を取るようになったとされます。

津島神社のスサノオは川に流し、どこかに着岸すれば害をなします。大工が川に流した人形は河童に化けて害をなします。川に流す点と、流された側が害を及ぼすという、核になる部分がぴったり一致しました。とすれば、スサノオと河童は同族だと理解されます。

また白瓜(胡瓜)には、秦氏の謎とも連結する重大な意味がありました。津島神社におけるシュメール系スサノオの禁忌は白瓜です。そして、秦氏も同様の禁忌を持っていました。

下記も以前に説明済ですが、再度書いておきます。秦氏の創建になる有名な神社が、京都の伏見稲荷大社です。伏見稲荷大社といえば、お稲荷さん。そしてお稲荷さんといえば、誰でも知っているように、狐です。白狐が秦氏の係わる禁忌となるのです。では白狐から獣偏を外してみましょう。すると白瓜に戻ってしまいます。瓜と狐。そしてスサノオ族と秦氏。この二つの部族が持つ禁忌は、なぜ類似しており、またどのような意味があるのでしょう? 

想定されるのは、秦氏とスサノオ族が協力関係にあるということです。とすれば、日本に謎を封印したメンバーにスサノオ族も一枚噛んでいる可能性があります。

『記紀』には両者の関係を証するような記述が見られます。『古事記』の仁徳天皇の段には、秦人に茨田堤(寝屋川市付近)また茨田三宅を作り、云々とあるのですが、『日本書紀』の仁徳天皇11年の記述においては、冬十月、茨田堤を築くのが困難で、神のお告げにより強頸(こわくび)・衫子(ころものこ)の二人を河伯(かわのかみ)に捧げることになった。強頸は川に入り死んだが、衫子は、河神の祟りをしずめるために匏(ひさご)を川に投げ入れ、匏が沈まないなら偽りの神であると言った。匏は瓢風(つむじかぜ)にも沈まなかったので、衫子は死ぬこともなく堤が完成した、とあります。(つむじかぜを瓢風、つまり瓢箪の風と書いてあるのが面白いところですね)

河伯が河童を意味し、瓠は瓢箪のことです。河童の瓢箪嫌いはここからも窺えます。秦氏とスサノオ族の絡む場面が『記紀』に見られるのも、彼らの前身がイスラエルの民であり、シュメールの民であるとすれば当然ですね。

以上、河童とスサノオが同族であることから、スサノオ=河童=兵主=蚩尤=神農と全てが連結してしまいました。

シュメール人は巨丹からメソポタミアの地に入り最古の文明を創ったと推定されますが、日本のスサノオと河童の足跡を辿っていくうちに、秦氏との関係が浮き彫りになり、巨丹へ行き着きそうな気配が強くなっています。

     ―歴史に秘められた謎を解く その7に続く―
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