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秦氏の謎を解く その10


今日は聖櫃がなぜ平安京に移されたのかを見ていきます。

桓武天皇による長岡京の造営が急ピッチで進んでいた頃、伊勢神宮は焼失しました。延暦10年(791年)、盗賊の群れが押し入って火をかけたのです。本来絶対にあり得ない事態ですが、伊勢周辺の霊力低下が甚だしかったのでしょう。しかもその回復には予想以上の年月が必要でした。

伊勢地域全体の危機的な状況に不安を抱いた秦氏は、聖櫃を移さざるを得ませんでした。しかし長岡京では守りがあまりにも薄い。それで事前に霊的設計も整えられ、自分たちの本拠がある山城の葛野郡に遷都させ、急きょ聖櫃を移したのです。

桓武天皇は長岡京を突如廃し、翌延歴11年1月より直ちに平安京遷都計画を発足させたので、後世の歴史家はあまりにも不可解として困惑していますが……、天皇が遷都を断行した裏の事情を考慮すると、不可解ではなく、当然のことになります。

そして、遷都に当たっての調査・造営長官は大納言藤原小黒麻呂ですが、妻は秦嶋麻呂の娘であり、彼の息子葛野麻呂の夫人は秦氏です。また長岡京の遷都を推進した藤原種継の母は、秦朝元の娘です。長岡京と平安京遷都に当たっての表向きの関係者は藤原氏ですが、裏で秦氏が主導した出来レースだったのです。

秦氏は天皇に平安京遷都を実行させ、都の監視体制のレベルを引き上げました。桓武が、自分の都合だけで皇太子を変える勝手な天皇で、安心できなかったからです。秦氏にしてみれば桓武天皇がどうなろうとさほど問題はありません。けれど天皇が見境なくなって、封印した聖櫃の秘密が表沙汰になるのは困ります。

一方天皇は怨霊が恐ろしくてたまらない。秦氏はそこをうまく利用しました。天皇には、早良親王の怨霊や魑魅魍魎から王城を守護するためと説明して、既にある仕掛けを一層強化したのです。このため結界の重要なポイントに配置されたのは、全て秦氏に協力するメンバーとなってしまいました。

さて、以上で平安京の謎は解けたのでしょうか?

謎はまだ解けていないはずです。聖櫃が平安京のどこに納められたのかを特定できなければ、上記した考え方も無意味になるでしょう。

ではここで、秦氏が創建した松尾大社、伏見稲荷大社と、秦氏の影響下にある下鴨神社を線で結んで下さい。正三角形になりますね。次に、その中心点を求めて下さい。壬生寺がぴったり三角形の中心にきます。ここは新撰組で有名なお寺ですが、壬生寺こそが聖櫃を納めた場所となります。(位置を示すグーグル地図画像は次回で掲載します)

でも聖櫃がこの寺に納められた理由と筋道が、まだはっきりしません。また、こんな場所では聖櫃も簡単に暴かれてしまうのではないでしょうか?

もちろん秦氏に抜かりはありません。それを防ぐため、宗源火という妖怪が出るように仕組んだのです。これは鬼火の一種と考えればいいでしょう。しかも二重三重の霊的磁場が設けられていますから、誰も近寄れないのです。

秦氏にとって壬生寺は、重要で思想的意味のある場所のはずです。壬生(みぶ)は氏族の名で、正しくは壬部。壬は乳を意味するから、壬生は乳部(にゅうぶ)となります。乳部は天皇が幼少の頃のお守り役。特に上宮王家(聖徳太子一族)の資養にあたった部民とされています。

また、乳部(にゅうぶ)は丹生(にゅう)でもあります。『丹』は赤い鳥居の形を示し、その字義は辰砂の赤い色です。大物主の伝承に出てくる丹塗矢も赤く塗られた矢ですね。

そして死と再生を象徴する金属が、丹生の地で採れる辰砂から精製された水銀です。水銀のことを丹生と言うのには、ちゃんとした意味があります。丹生の文字は誕生と読めるのです。丹生はまたNEWでもあります。私たち日本人は、聖櫃を秘匿した呪縛から解かれ、新たに(new=丹生)、誕生(=丹生)するのです。

このように、秦氏の死と再生の意味を込めた壬生は、彼らの中核思想を体現している場とは思われませんか?これらから聖櫃は壬生寺に秘匿されたと推定できるのです。ちなみに、摩多羅神を勧請した慈覚大師円仁は下野国壬生出身の壬生氏であり、壬生は瓢箪の一種干瓢の産地でもあります。聖櫃に関連して不思議な絡み合いが見られますね。

壬生寺が秦氏の神社を結んだ中心にあり、その場所が彼らの中核思想を表現しているにしても、今一つ具体性に乏しいと思われます。この点は次回で詳しく見ていきましょう。

              ―秦氏の謎を解く その11に続く―

秦氏の謎を解く その9


ようやく、秦氏の仕掛けたマインドコントロールの全容がその姿を現しました。日本の中に封印されていた巨大な謎が解明され、真実が白日の下にさらされたのです。

日本国に封印されていた『謎の実体』。それは『契約の聖櫃』でした。謎の実体の封印が明らかとなった結果、私たち日本人の中の空洞構造は消滅し、空洞の消滅に伴い、他律的集団主義という反転した構造、つまり憑物は無用の長物と化して消滅するはずですが、この問題は別途考えていきましょう。

以上で、秦氏の仕掛けと日本人の特殊性は余すところなく輪が繋がりました。秦氏は聖櫃の秘密を守るため日本人全体を呪縛して、空洞化させました。そのせいで自分の居場所をなくした日本人は、他律的集団主義という憑物を抱え込むしかなくなったのです。そして、日本は破綻の危機が迫っているのに、誰一人として有効な手を打てない状態にあるのです。

秦氏の呪縛によって形成された他律的集団主義という第四の世界の自己展開。それこそが、私たち日本人の特殊性として示されるものの実体であり、意味でした。日本には、聖櫃の存在を隠すため、中枢部から最下層に至るまで、そして古代から現代に至るまで、見えないカーテンつまり結界が張られたのです。しかも、その仕掛けは秦氏と天武天皇が作り、実行部隊までも猿田彦と組んだ秦氏だったのです。

私たち日本人は、先祖から受け継いだ伝統や繊細な自然に対して畏敬の念を持っています。問題は、日本的な伝統や心、自然への畏敬が、日本人の情緒と感性に100%合致しているから、問題意識がそこで止まってしまい、隠された実体に目を向けることができない点です。いや、そう仕向けられている点です。日本的な情緒や感性の裏側に隠されている実体は、最も非日本的な代物だったのです。

日本を代表する簡素で清浄な伊勢の神域には陰陽五行の網が張られ、聖櫃が隠されている。逆に言えば、最も非日本的なものだから、最も日本的で情緒的なものの裏側に隠しているのです。だから、日本人の繊細な感性と意識の間には断絶があったのです。何と巧妙な仕掛けなのでしょう。彼らは日本人を心的にコントロールするだけでなく、その感性や情緒まで徹底的に利用していたのです。

そして、貴族などに対する秦氏と天武天皇の第一の仕掛け、村人に対する秦氏と猿田彦の第二の仕掛け、という二つの分岐点を経て、この国は、日本という―極めて特殊な構造を持つ―国になったのです。言い換えれば、ここでこの国の形が定まったのです。

秦氏の仕掛けも遂に明らかとなりました。でも、これで本当に謎が解けたのでしょうか?実は、まだ半分も解けていないのです。

秦氏は、将来平安京となるべき土地に巨大な仕掛けを張り巡らしています。しかし、聖櫃が伊勢神宮に納められ、その秘密も封印されたなら、平安京は関係ないはず。ではなぜ、ここで平安京なのでしょう?

聖櫃は秦氏の手で伊勢神宮に納められました。けれどよく考えてください。例えば、パソコンで非常に重要なデータを作ったとします。皆さんはそれを、ハードディスクに入れたままにしておきますか?ハードディスクに保存するだけではデータ消滅のリスクが伴うから、必ずバックアップを取っておくはずですね。

それなら、秦氏もバックアップが必要だと考えなかったでしょうか?当然考えるはずです。だから何が言いたいのか、という声が聞こえてきそうですが、酔石亭主は以下のように考えます。

聖櫃は秦氏の手で伊勢神宮に収められました。しかし、万一の事態が伊勢神宮を襲うかもしれません。例えば戦火が迫る、落雷による火災の発生、泥棒に入られるなどですね。そうした事態に備え、伊勢神宮にはバックアップが必要となるはずです。

そのバックアップが平安京だった
―とは考えられないでしょうか?でも、その筋道をどのようにつけるのでしょう?

まず桓武天皇が引っ越してきた山城国葛野郡は、五~六世紀頃から秦氏が開墾してきた場所です。天皇のお住まいである大内裏にしても、秦氏の敷地に造営しているのです。しかも松尾大社から下鴨神社を経て比叡山を結ぶ線(鬼門ライン=夏至の日の出線と、冬至の日の入り線)は、都を造営する前から秦氏によって確定されていたはずですね。そのライン上に天皇は大内裏を作らされているのです。これらをどう考えればいいのでしょう?

そう、あらかじめ秦氏が設計しておいた場所に、桓武天皇が都を造営したのです。秦氏は考えました。千数百年の時を越えるに当たり、伊勢神宮だけで十分だろうかと。いつか、伊勢の霊力が落ちることもあるでしょう。その場合の対処は、当然考えておかねばなりません。そこで秦氏は、既に進出していた京都盆地に仕掛けを築いておきました。彼らは伊勢神宮の外部にバックアップを設置していたのです。

京都盆地は四神相応の地で、霊的な仕掛けを作りやすい。要所には自分の神社を配備し、他人の神社も取り込んで事前設計を完了させ、万一の事態に備え、聖櫃を移せるよう準備しておいたのです。それが、不測の事態に対する備えなのです。

但しそれは、仮の処置でしかありません。伊勢の霊力が回復すれば聖櫃はすぐに移し変えられます。聖櫃は流浪する神ヤハウェの象徴ですから、常に移動していても問題はないのです。

伏見稲荷大社、松尾大社、蚕ノ社、下鴨神社、日吉大社。いずれも秦氏が創建したか影響を与えている神社です。平安京の鬼門ライン上には、秦氏、スサノオ系、猿田彦が重なって存在します。羅城門の前には東寺が守りを固めています。東寺を造営したのは空海で、それに際し、伏見稲荷の秦氏が手を貸しました。鬼門の延長線上にある比叡山は天台密教が守護しています。

また、南北から王城を監視するのは兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)です。兜跋とはチベットを意味します。毘沙門天は羅城門楼上に安置され、都の外ではなく中に目を向けていました。外から侵入する怨霊や魑魅魍魎から都を守るなら、毘沙門天は外を向いているべきでしょう。それが内側に向いているなら、理由は内部の監視以外にありません。そして毘沙門天はミトラ神でもあるのです。更に大将軍として王城の要所に鎮座するのはスサノオです。これらは何を意味するのでしょう?

王城を守っているのは、秦氏、猿田彦、スサノオ、毘沙門天、空海など西域、メソポタミア周辺の関係者やゆかりの者ということです。いや、王城を守っているのではないのです。伊勢神宮から平安京へ移された聖櫃を守るため、世界史上最大の秘密が外に漏れないよう、秦氏は厳しい監視体制を構築したのです。しかし、いつ、どんな理由で聖櫃は平安京に移されたのでしょう?

               ―秦氏の謎を解く その10に続く―

秦氏の謎を解く その8


なぜ秦氏は平安期以降歴史の表から姿を隠したのか?今までの検討を経て、ようやくその謎を解明する段階に至ったようです。

秦氏は全国津々浦々の村人たちを心的に呪縛しました。心的呪縛を実行するには、何が必要でしょう?答えは簡単。まず、自らを芸能の徒、漂泊遊行の陰陽師や七道者に変容させること、次に村々を廻ることです。

彼らは……、村々を廻りました。多種多様な異人に変容した秦氏が、全国の村落共同体に外部から入り込んだのです。それが漂泊遊行の者たち。唱文師、陰陽師、アルキ神子、三昧聖、肝心聖、鉦打、鉢叩、里山伏、歌比丘尼などですね。

秦氏配下の芸能の徒、遊行者は、村において様々な芸や技を披露しました。村には娯楽がほとんどありません。人々は、面白い芸や奇術に心が麻痺します。心的に暗示を受けやすい状態となるのです。

そこで、巫女や陰陽師が村人たちに幻術にかけます。言い換えれば彼らを心的に呪縛するのです。これは神のお告げ―とか言って……。

例えば、この話を村の外に漏らすと、お前たちに災いが降りかかる。村から勝手に出てはいけない。余計なことを考えると家族全員が不幸になる―といった具合ですね。秦氏による心的な呪縛によって、猿田彦の空間に対する結界が機能し、村は完全な閉鎖共同体になったのです。

秦氏は何かから(つまり聖櫃から)意識をそらす呪=暗示を村人にかけました。だから、村人が村落共同体から逸脱しようとすると、つまり禁忌を犯そうとすると、心的な呪縛が起動して自己を失い動けなくなるのです。

その印象が村人の間に強く残り、狐が人を化かす怪異現象として伝わったのです。秦氏の人知を越える仕掛で、村人たちの意識の深層に強烈な暗示がかかります。彼らは何十世代にも渡って、狐の怪異を特に意識することなく語り伝えるのです。

村落共同体の共同幻想が何者かの手によって意図的に潜在意識下に組み込まれたら、これほど強い鍵はないでしょう。鉄の鍵は何年もすれば錆びて使えなくなります。けれども、心の中に組み込まれた鍵を開くのは、簡単そうに見えて実は困難を極めるのです。それが日本中の村で行われたら、何世代も経るうちにある特定の観念や考え方が、当人でさえ意識することなく後世に伝わっていくでしょう。これが時間領域の封印です。

秦氏の呪縛は時間領域にまで及んでいました。日本の全領域(空間領域、心的領域、時間領域)が封印され、閉じられたこの時点が日本の特異点であり、物質の世界、生命の世界、心の世界に続く第四の世界(他律的集団主義の世界)が開けた地点でもあったのです。


狐は理解不能な出来事の説明体系などではなく、村人たちを心的に呪縛する統制装置でした。だから、稲荷社は3万2千社を越える数が日本全国に分布し、村の辻などに設置された小さな祠も併せれば、無数にあるのです。

伏見稲荷大社の稲荷信仰、日吉大社の山王信仰、宇佐八幡の八幡信仰などが貴族階級から民衆にまで深く浸透していくのも全く同じ構図で、ある存在から目をそらさせるための仕掛けです。葵祭りや祇園祭が盛大に行われるのも、同じ意味と機能を持つでしょう。

貴族や官僚、伊勢神宮など国家の上部構造に対する聖櫃の秘匿は、天武天皇が構築した表の国家的支配体制をベースに、秦氏が裏で陰陽五行の結界を張って実施しました。

一方、全国の村々など下部構造の民衆に対する秘匿は、村落共同体内部まで貫徹した神道・仏教体制をベースに、猿田彦の道祖神が結界を張り、秦氏が自らを漂泊遊行の徒、下級陰陽師、傀儡子、役者、巫女などに変容させ、村人に対し心的コントロールを施します。これにより全国的な聖櫃の秘匿体制が整備されたのです。

一般的に、漂泊遊行の徒は権力から排斥され零落した下層民とされますが、酔石亭主の見方は全く逆で、彼らは、聖櫃の秘匿という大きな使命を担って全国に散った者たちでした。もちろん実行部隊は、その目的など一切知らされていません。

秦氏が平安時代以降歴史の表から姿を消し、猿楽や漂泊遊行の徒に変貌したのは、日本全国の人々の目から聖櫃の存在を隠すためだったのです。

いかがでしょう?秦氏や猿田彦の行動の意味するところが、日本人の特殊性とリンクし、具体的な像を結んできたと思われませんか?

            ―秦氏の謎を解く その9に続く―

秦氏の謎を解く その7


狐は、日常的な論理や秩序では説明できない不可解な出来事を説明するための説明体系として使われてきました。村人は自分たちにふりかかった説明不能な現象を狐に化かされたと見なしてきたのです。または、そう見なすよう意図的に方向付けられました。

このように、狐はさまざまな禁忌を犯した場合の心的な呪縛=タブー=禁忌として出現します。伏見稲荷大社の白狐。この言葉から獣偏を取り去れば白瓜であり、津島神社で見たように絶対の禁忌に係わるものとなるのです。この二つは絶対の禁忌=タブー、でした。白瓜は地域と時間が限定されたタブーであり、白狐は地域と時間が限定されないタブーだったのです。

また、スサノオ族と秦氏は兄弟のような関係にあり、協力して聖櫃を守るグループでした。彼らが仕掛けたタブーゆえ、その象徴として白瓜と白狐という似た文字が選ばれたのです。ではこのタブーがどのような影響を村人に与えたのでしょう。答えは以下の通りです。

このタブーは、村落共同体から出離した者は恐ろしい目に遭うという、恐怖の共同性を齎しました。村人全員が恐怖の共通観念を持たされ、村落共同体から逸脱できなくなるのです。

吉本隆明氏の『共同幻想論』(河出書房)によれば、禁制が生み出される条件は二つあります。一つは、個体が何らかの理由で入眠状態にあることであり、もう一つは、閉じられた弱小な生活圏にあると無意識の裡にも考えているとき―なのです。

古代からの村が弱小な生活圏にあるというのは間違いありませんが、ではどんな理由で入眠状態になるのでしょう?普通の生活で入眠状態になることなどめったにないはずです。もちろんある村で、偶発的に、入眠状態となった村人が発生することもあるでしょう。その可能性はありますが、それぞれの村が閉鎖空間になっているのですから場所も限られ、各地で普遍的に発生するとは考えられません。

ところが、狐に関する似通った伝承が日本中に分布しています。とすると……、これは偶発的なことが伝えられ村落における禁忌すなわち恐怖の共同性が獲得されたのではなく、作為的、意図的に全国レベルで一斉に行われたことに違いないのです。

つまり、聖櫃の秘密を守り通すため、猿田彦により日本の村々が空間的に閉鎖され、さらに秦氏によって心的に閉鎖され、その中でのみ有効性を持つ呪い=タブー、すなわち暗示が村人たちに仕掛けられたのです。


『遠野物語』を始めとして日本各地の民話には狐に化かされたとか、狐憑きになるという入眠幻覚的な話が数多くあります。藤沢の民話を読んでみても、明治の中ごろに生まれた人の話として、酔石亭主の居住地のすぐ近くで、狐の話や狐に化かされた話が幾らでも出てくるのです。

狐は秦氏が創建した伏見稲荷大社における神使であり、瓜の獣として天と地を繋ぎ、人と神を媒介し、日常と非日常領域の境界に出現します。ここでいう天、神、非日常領域とは、山人=外来民の領域で、地、人、日常領域は土着民の領域になります。

入眠幻覚は村人に対し、秦氏によって意図的に作為されました。秦氏の仕掛けは民俗学の領域にまで及んでいたのです。いや、秦氏の仕掛けが形を変え、民俗学で研究される対象となったのです。

狐の禁忌が齎した共同性は、21世紀の現代でも生きています。例えば、ゴミがよく捨てられる場所に狐の像や鳥居を置けば、そこへのゴミ捨てはピタリと止まるのです。では、どのようにして禁忌の共同性は作為されたのでしょう?

              ―秦氏の謎を解く その8に続く―

秦氏の謎を解く その6


秦氏と猿田彦が日本国と日本人を封印したメカニズムに関して、「日本人の特殊性の謎を解く その3」で既にご説明しました性的拒否症状を持った女性の例で検証してみましょう。

この女性は母親と他の男性との性交渉を見てしまい、それが精神的トラウマとなりました。女性にとって最愛の母親の性行為は絶対に許せないものであり、母の行為を認めると自分が引き裂かれ崩壊します。そこで彼女は、この事実を自分の意識の奥底に封印しました。その部分から目をそらし、母親の行為は存在しないものとしたのです。

結果、母親の行為、という部分は女性の中で空洞化されました。従って、女性自身が性交渉を迫られると、目をそらしたものに直面することになり、脳は耐え切れなくなって激発するか、無反応になり、最悪自らに死さえ命じてしまうのです。

同様に、秦氏は聖櫃の存在を日本人から隠蔽しました。日本人を心的に呪縛し、それが存在しないものとさせたのです。従って、日本人の中心は空洞となりました。女性の場合の空洞は、性交渉に関連する部分だけですが、日本人の空洞は全体に及んでいます。中心が空洞のままでは、日本人は自己を存立させることができません。つまり、死に直面するような事態となった訳です。

私たち日本人が自己を存立させるには、上下関係が明示され、複雑に儀礼化された組織・集団を作り、それに自分を委ね、自分を他者と関係付けるしかありませんでした。これが他律的集団主義となったのです。このため、自律的個人主義が普遍的なこの世界において、日本のみがそれを反転させた特異な世界となりました。

進化の構造という視点から見れば、自己が存立できなくなるというぎりぎりの地点が特異点となり、相転移が起きたことになります。このような経緯を経て日本人は再生を果たし、第四の世界が開けました。人類の発祥と同様、ここでも死と再生の構造が見られますね。

一旦他律的集団主義が形成されると日本人はそれを自己展開し、形式や作法を極めた芸術、世界に類をみない工場管理システム、世界最強の経済組織など実に特殊な世界を築き上げたのです。

現在の日本を見てみると、強固だった他律的集団主義の枠が弱まり、私たち日本人は目をそらしていた空洞に直面しつつあると言えます。このため日本人が自分を失い、衝動的・本能的行動に走り、最悪自ら死を選んでしまうという危機が、各方面で現実となってきました。秦氏の呪縛により、性的拒否症状の女性と同じ構造が、個別の問題としてではなく、日本人全体の問題として発現しているのです。

「日本人の特殊性の謎を解く」で書いた、日本人の目から何かを隠すため、誰かが意図的に日本人全体を空洞化させた―と言う恐るべき所業の、これが真相だったのです。

しかし、なおも不明な点があります。狐は村人を呪縛する象徴に過ぎないはず。秦氏が村人をコントロールした具体的な方法が明らかになってはいません。この部分をどう考えればいいのでしょう?

            ―秦氏の謎を解く その7に続く―
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