三浦半島での地震確率が高くなった!!


報道によれば、三浦半島にある三つの活断層帯で地震発生の可能性が高くなっているそうです。今後30年以内に地震が発生する確率は武山が6~10%とのこと。ただ、三浦半島断層群南部は過去の地震発生周期が正確にわからないようです。

怖いのは神奈川西部地震(小田原地震)と連動して三浦半島に激震が襲うことです。藤沢など西と東の地震に挟まれ、前門の虎、後門の狼状態となってしまいます。

浦賀のマリーナなどで遊んでいて地震に襲われたら目も当てられません。今後は遊ぶのも注意が必要になります。

過去の地震発生周期が正確にわからないそうですが、鎌倉のことを調べるため「吾妻鏡」を読んでいると、一ヶ月の間に何度も大地震や地震があったなどと言う記事がしばしば出てきます。

こうした歴史書も地震学者の皆さんの参考になるのではと思うのですが、いかがなものでしょう?

「吾妻鏡」に地震の記載が多い事実から、鎌倉時代は地震の活動期に当たっていたとの推定も成り立ちます。その後、地震の頻度がどう推移したかは、わかりませんが…。多分専門の方は既に調べておられるはずです。

「吾妻鏡」も内容面は100%信頼できるものではありません。しかし、自然災害の部分についてはかなり参考になると思います。

いずれにしても私たちは、列島が地震の活動期に入ったとの認識で日々をすごす必要がありそうです。
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東日本大震災の歴史的意味


5月30日の日経新聞によれば、「地震エコー」と呼ばれる前兆現象が大震災後も継続しており、場所は特定できないものの、M7.3程度の地震が今後起きると予測されるそうです。この説が正しければ、ごく近い将来に再び大規模な地震が日本を襲うことになり、引き続き注意が必要です。

そうした問題とは別の視点となりますが、今回は東日本大震災の歴史的意味を考察したいと思います。

以下の内容は記事カテゴリ「人類進化の謎を解く」、「日本人の特殊性の謎を解く」、「秦氏の謎を解く」などを事前にお読みいただいた方が理解しやすいので、是非ご一読ください。

さて現在の世界は、第四の世界の自己展開が極点に達しつつある段階です。最初の段階から書けば、第一の世界が開けたのが「宇宙の開闢」、第二の世界が開けたのが「生命の発祥」、第三の世界が開けたのが「人類の発祥」、そして第四の世界が開けたのが「日本人の特殊性の発祥」、となります。

世界のすべての人々は自律的個人主義が行動原理になっていますが、日本人はそれが反転して他律的集団主義となっており、そうなったのは秦氏の仕掛けによるものです。秦氏の呪縛によって、日本人は自己を存立できなくなり、そのぎりぎりの極点で意識構造を反転させ、自律的個人主義が他律的集団主義になって、何とか存続を図りました。これが「日本人の特殊性の発祥」です。

そして、他律的集団主義の自己展開がこの日本において極点に達し、構造変化する直前の段階(第五の世界が開かれる直前の段階)へと至っているのです。構造変化(相転移)の前段階は必ず死に直面し、その上で再生すると言うプロセスを辿ります。

人類進化も同様でした。およそ500万年前、大地溝帯が発する気の力により遺伝子が影響を受け、共通祖先は本能に基づく行動原理を喪失、種全体が死に直面しました。そこで相転移が起きて構造変化し、人類が発祥したのです。

日本において、次の世界すなわち第五の世界が開ける契機は巨大地震であろうと推測されます。その理由は、地震と言う文字の中に死と再生を司る秦氏が、自分の暗号を埋め込んだと考えられるからです。

地震の震の音は「シン」です。「シン」は秦であり、大地の発する気の力を知る秦氏は、相転移を引き起こす大地のエネルギーを地震と命名したのではないでしょうか?

秦氏は神として祀られますが、神は「シン」であり、死と再生を象徴する金属=水銀の原料は辰砂(シンシャ)でこれも「シン」となり、同様の暗号が各所に散りばめられています。

以上の点を考慮すると、今回の東日本大震災が日本人の意識転換の契機になったか検証する必要があります。現場レベルでは企業、自治体、ボランティアなど各界・各層において自律的に様々な対処がなされ、海外から高い評価を受けています。

一方政府レベル、東電レベルでは、説明責任の中枢がない、事実を隠ぺいする、誰が責任者かわからない、責任を他に押し付けるといった日本人の特殊性が見事に体現されました。

これは、最先端科学技術の固まりであると思われた原子力の世界が、実は科学者・技術者、政府と関連する機関(行政)、事業者たちによる強固なムラ社会となっていたことに起因しています。いわゆる「原子力村」ですね。

その結果上記の現象があらゆる場面で見られることになったのです。米国などは、誰と話せば正しい情報が得られるのかわからず相当イライラしたようです。

もちろん科学者は過去の地震についての情報を持っていました。しかし、科学者も行政も事業者も、経済的利益や自分たちの既得権益を損ねない範囲内にリスクの想定を置いたのです。彼らが言う「想定外」の事態とは、あの地震や津波が、利益確保の範囲内における想定レベルを越えるものであったと言う意味でしかありません。

ですから彼らの言葉通りに、東日本大震災の地震や津波の規模が想定外だったと鵜呑みにしたら、うまく誤魔化されたことになります。原子力村の住民たちは、一部の学者や研究者が繰り返し危険性を指摘しても、何千年に一度のことまで考えて対応などできないとして無視し続けたのです。「見ざる言わざる聞かざる」の三猿の世界がここにもありました。

少し主題がそれました。上記から判断すると、日本全体が変わるかに見えた東日本大震災でさえ、日本人全体の意識構造が転換する契機となるには不十分だったのです。

だとすれば、東海、東南海、南海地震と関東大地震が連動して起きる大災害とそれが誘発する原発事故、日本国の財政破綻などにより、日本全体が死に直面し、そのぎりぎりの極点で再生を果たす局面が今後必ず訪れると予想されます。それが第五の世界が開かれる地点となるのです。

言い換えれば、東日本大震災は第五の世界が開かれる前段に当たり、一般の意識構造の変化をもたらすものであったと位置付けられるでしょう。そして次の震災と財政破綻が本番となり、日本国の上層部も構造変化を起こすものと思われます。

以上から推測すれば、日本は将来、とてつもない災厄に見舞われる可能性があります。しかし、死は再生の契機であり、新たな世界を開くのは他の誰でもない私たちなのです。そうした歴史的意味を踏まえ、私たちは将来に備える必要があるでしょう。

大震災と原発事故から見えてくるもの


民主党政権になってから、日本はなぜか立て続けに災厄に見舞われています。ルーピーはあらゆる問題で妄言を連発。中国による尖閣問題、ロシアの北方領土問題を招き国益を大きく損ねました。CO2ガスの25%削減を自分が国際舞台においていいカッコしたいためだけに約束してしまい、一時避難的な火力発電増加の足枷となってきます。

菅総理になってからも大震災や原発への対応で海外を含む各方面から批判を浴びました。やたら会議ばかりが増え船頭多くして船動かず状態となっています。野党との協力もばらまきマニュフェストを撤回しなかったため実現できていません。政権漂流に近い状態と言えましょう。

民間企業は地震発生と同時に様々な手立てで即応したのと比較して、これではあまりにもお粗末です。問題は、ルーピーも菅総理も総理としての資質、危機管理能力がない中で総理になってしまったことです。ルーピーは現実と自分の夢や妄想の区別がつかないまま政治を行おうとして失敗しました。

菅総理はかつて与党をこっぴどく批判する能力を持っていましたが、国家が危機に直面した時どうするのかと言う、最も必要な対処能力が欠如していました。結果、何とか会議ばかり立ち上げて、その結論に自分を委ねるしかなくなり、統治不能状態となったのです。自分に責任が及ばないよう会議を多く立ち上げたという批判もあるようですが、そうではなくて、単に自分に自信がないのでこんな形になったのです。

なのに、総理の椅子にしがみついていたい、という意欲だけは強くそれが復興への阻害要因と化しているのは、本当に困ったことです。じゃあ、自民党の谷垣総裁、石原幹事長ラインできちんと物事を動かせるかと問われると、甚だ心許ないものがあります。残念ながら、どちらも非常時の対処ができそうな人物とは思われないからです。

仮にトップの能力が欠けていても、国家的危機が発生した場合どう対処するのか、前もって練り上げておけば、危機発生と同時に自動的に起動して動き出すはずですが、それもできていません。トップの能力が欠け、危機発生の対処も迅速に起動せず、よって、地震も原発事故も全て想定外と言い訳するしかなくなったのです。本当は全部想定すべき範囲内なのに…。

代償は極めて大きいのですが、Think unthinkableを前提として物事に対処すべきと言う教訓が得られたのは唯一の救いだと思って慰めるしかなさそうです。

震災復興の財源として政府は、震災特例国債の発行と償還財源となる復興税の創設や基礎年金財源の転用などを考えているようですが、いずれも到底納得できません。民主党はまずマニフェストのばらまき予算を全廃することから始める必要がありました。これを直ちに実行していれば野党との大連立も可能だったのに、もたもたしてその機も逸しています。

国家的な危機を回避するには、まず無駄の徹底的削減を実行する必要があります。次に、国地方の議員・公務員・天下り役員に支払われる過剰な人件費を削減する必要があります。以前阿久根市の例で見たように、市民の平均年収が200万~300万円(数字の根拠は不明確です)のところで、市職員は平均600万円以上の年収を得ているのです。国家が危機に瀕している中、こうしたことが許されていいはずがありません。

国と地方すなわち日本国の運営に責任を持っている方々は、日本が危機的な状況にあると認識されているはずです。そうした現況に鑑みれば、国を救うため国民から過剰に頂いている人件費の一部を拠出しようと考えるのは当然ではないでしょうか?

自分たちの人件費を4割削減するだけで、1年で10兆円を超える財源をねん出できるはず。これなら国民負担はゼロでも復興費をカバーできるのです。この方策でも足りなければ、そこで復興税などの国民負担を検討してもいいでしょう。なぜそうした議論が出てこないのか不思議でなりません。

この拠出は震災からの復興後も継続すべきです。なぜなら次に考えなければならないのは、財政破たんの回避だからです。人件費削減を継続し、日本として財政破綻は決して発生させない意思を明確に示せば、長期金利も上がらず破綻を回避できるでしょう。

けれども、実現は難しいと思われます。私たち日本人は秦氏の呪縛によって、現実から目をそむける傾向を持っているからです。

第二次世界大戦突入前、日本の指導部はアメリカと戦っても絶対に勝てないと明確に理解していました。しかしその事実から目をそむけ続けた結果、ずるずると戦争に突入する羽目となり、国民に多大な損害を与えたのです。戦争終結時も同じです。もうこれ以上戦っても勝ち目などないことは明白だったのに、誰も止めようと言いだせず、原爆投下という悲劇があってようやく終戦にこぎ着けたのです。

原発も同じです。専門家やマスコミから地震や津波の危険性を何度も指摘されながら、様々な対策を講じているから絶対安全だ、確率論的には炉心融解の大事故に繋がる可能性はゼロに等しいと言い続けて対策を怠り、大事故の可能性から目をそむけ続けたのです。その結果、地域の方々のみならず、日本の様々な産業が想像を絶する被害を蒙ることになりました。観光業一つ取ってもその損害は甚大です。

どんなに可能性が小さくても起こりうることは起きる。想定外のことを考えよ。常に最悪の事態を想定してそれに備えよ、という当たり前のことが日本政府や親方日の丸体質から抜け切れていなかった東電ではできていなかったのです。

だから海外のマスコミから最悪の事態が起きた場合どう対処するのか聞かれても、全力を尽くすとか、事故収束の日程は策定中だと言うだけで明確な回答はなく、海外のマスコミや政府の不信感を増幅させました。

現実から、あるいは将来起こり得る危機から目をそむけてはなりません。大震災からの復興が実現し原発事故が収束しても、日本の財政破綻と言う危機が目の前にあります。前にも書きましたが、国は借金をチャラにするだけで破綻はしません。破綻するのは私たち国民の生活なのです。

そうした事態を防ぐために、国はあらゆる手段を講じるべきです。それとも、危機から目をそらし、赤信号みんなで渡れば怖くない式に、破綻しても皆一緒だから仕方がないと諦めるのでしょうか?もしそうなら、私たちは先の大戦や今回の大震災・原発事故から何も学んでいなかったことになります。

将来必ず来る危機や現実から目をそむけるのは、今回の大震災と原発事故限りにすべきです。国と地方の運営に責任を持つ議員や公務員は自分のありかたを根底から問い直していただきたいと思います。

浜岡原発の休止に思うこと


浜岡原発の休止が首相の要請で決まりました。それ自体は歓迎すべきことですが、なおも疑問が残ります。

経団連の米倉会長は、「民主党の時代になってわからないのは、結論だけがぽろっと出てくる。そして、思考の過程が全くブラックボックスになっている。民主党政権は透明性を強調するが、どういうことなのか政治の態度を疑う」と述べ、今回の中部電への要請は政治的パフォーマンスだと口を極めて批判しました。一般論として会長の意見には同意できます

米倉会長は、政権に執着する首相が支持率アップと延命のためにこのような要請を出したと考えたようです。それはその通りですが、一方で浜岡を休止させること自体は正しいと思います。

問題は、これも米倉会長が指摘しているように、政府や菅首相の思考過程が見えないことです。理由は不明ですが、高さ12mの防波堤が2年後に完成すれば再稼働してもいいと約束しているとか。しかしです。浜岡における問題は、津波よりむしろ直下型地震により地盤が隆起または沈下することにあるはずです。

どんなに格納容器が堅固であっても、電源のバックアップがあっても、地盤自体がずれる、あるいは上下する事態となれば配管部分に必ず亀裂が入り原発事故へと繋がります。浜岡では過去に地震などなくても、炉水漏れや配管のひび割れがしばしば発生しました。津波対策だけでなく、これに対する処置も十分に実施できるのでしょうか?政府も中部電の説明も不十分です。

さらに浜岡建設当時の技術者は、この設計では浜岡2号機は東海地震が来たら耐えられないとしていました。また1、2号機は廃炉になったから安全と言うものではありません。燃料プールが稼働している限り危険はあるのです。

福島で想定外の津波に襲われたから、浜岡でも津波の対処をする。それでも事故が起きたら、多分また想定外の事態だったと言うのでしょうね。

福島と浜岡では起きるであろう問題が異なるはずなのに、津波対策さえしておけば大丈夫と国は考えるのでしょうか?もっときちんとした全体説明を求めたいと思います。酔石亭主の素人考えでも国のやっていることは単なるアリバイ作りに見え、危うさを感じずにいられません。

さらに気になる符合があります。福島原発は津波すなわち水によって事故を起こしました。事故における大きな問題は冷却水でこれも水です。そして東電の社長は何と「清水氏」でした。

津波は海から来たのですが、原発担当大臣は海江田で、事故収束は水棺作戦を予定していて、国の最終責任者は菅(棺と音が同じ)総理。全部が「水」絡みなのです。

では、中部電の社長はどうでしょうか?これも「水野氏」です。いずれも水に関係が…。偶然の一致にしてはできすぎていませんか?何だか背筋からジワッと冷や汗が…。考えてみると、汗も水です…。

思いっきり横道にそれますが、似たような話は他にもあります。例えば御霊神社で祀られる鎌倉権五郎景政。景政は産鉄民が祀っています。後三年の役が終わり、鎌倉に凱旋した景政が兜を埋め松を植えた場所が兜岩でした。現在その場所は神戸製鋼所の敷地内にあるのです。千年以上の時代を越えて、両者の間に何か引き合うものがあったのでしょうか?偶然にしても、不思議な符合ですね。

大きく脱線しましたので、話を元に戻します。いずれにせよ、起こりうるあらゆる事態を想定した場合、浜岡は永久に停止するしかないのです。


確率論から見た原発事故


原子力システム研究懇話会の村主進なる人物が原子力システムニュースに「原子力発電はどれくらい安全か」という論文を掲載していました。[Vol.15.No,4(2005年3月)]
内容の一部を抜粋しますので、とにかくまずお読みいただければと思います。

3.原子炉事故の頻度を考慮
自動車事故は毎年発生しているが、炉心損傷事故は生涯の80年間に一度も起こらないと考えてよい。事実わが国では約1,000炉・年(各原子炉の運転年数を全原子力発電所について加算した総和)の運転実績があるが、大量の核分裂生成物を放出するような炉心損傷事故は一度も起こしていない。このことは一基(炉)の原子力発電所に換算すると、1,000年間も炉心損傷事故を起こしていないことを意味する。
一方、確率論的リスク評価手法を用いて、わが国の原子力発電所における配管破断、機器故障の実績および人間の作業ミスなどの実情を基にして炉心損傷頻度を評価している。そして炉心損傷事故の頻度は炉・年あたり1×10-7以下と評価されている。
原子力発電所敷地内に10基(10原子炉)の原子力発電所があるとして、日本人の生涯の80年間にこの敷地内で炉心損傷事故を起こす頻度は、
1×10-7(/炉・年)×10(炉)×80(年)=8×10-5
となる。
炉心損傷事故によって最も高い放射線被ばくをするグループでも、リスクが自動車事故と同程度であるので、事故発生頻度を考えると、原子力発電所の安全性は自動車事故よりも一万倍以上安全であることになる。
なお、過去に炉心損傷事故を起こした米国のスリー・マイル島原発、旧ソ連のチェルノブイリ原発はわが国の原子力発電所とは安全設計の異なるものであって、わが国の原子力発電所の炉心損傷事故頻度の参考になるものではない。


これを読まれた皆様はどんな感想を持たれましたか?原子力の専門家と思われるこの方の、自信に満ちた上から目線に辟易されたのではないでしょうか。

原発は絶対に安全とこの人物は主張されているようです。上記の炉心損傷事故頻度は、素人で数学が苦手な酔石亭主にとってややわかりにくいので、別途調べてみました。

原子力安全基盤機構(安全基盤機構)が2003年9月に提出した「確率論的手法を用いた設計用地震動の作成手法の整備に関する報告書」によれば、福島第一原発(原発名は記載されていないがそう推定される)の地震による炉心損傷事故の発生確率は10万分の1.71とのことです。

上記は原発の供用期間を40年と仮定していますので、40年間における事故確率は0.00171%という低い数字となっています。この確率では、2,339,181年に一回しか事故が起きないことになります。人類が初めて文明を持ったのを6,000年前とすると、有史以来を390回繰り返してようやく一回の事故が発生する確率であり、40年の供用期間内に事故は起き得ない確率になっているのです。

だから村主氏は絶大なる自信を持って、「炉心損傷事故は生涯の80年間に一度も起こらないと考えてよい」と断定したのです。その自信は、地震がもたらした津波の一撃でもろくも崩れ去りました。自信が地震に崩されるなんて、言葉自体が皮肉っぽいですね。

さて、40年間における事故確率が0.00171%だと、1年間に事故が起きる確率は0.00004275%となります。よって、ある一日に福島原発で事故が起きる確率は0.00000011712%。つまり3月11日の福島第一原発事故は約8.538億日に一回しか起きない事故だったことになります。原発の供用期間を40年とすれば、事故は絶対に起きないと断定しているようなものです。ところがこの日事故は発生しました。この事実をどう考えればいいのでしょう?

そもそも上記の事故確率の計算は原発内におけるそれぞれの設備の事故を個別の事象として取り扱っているようです。しかし原発は全体が一つのシステムのはずで、相互に関連しており、個別には扱えないはずです。ここに数字のペテンがあるような気がしてなりません。実際の事故確率はもっと大きな数字だったのではないでしょうか?

村主論文では1基の原発換算で千年相当分無事故だったから安心だとなっています。村主氏の説は本当でしょうか?酔石亭主が危惧する浜岡原発では事故確率が10万分の2370となっています。これを日本全体の原発54基に当てはめ40年で計算してみると、事故確率は70%を越えるものになります。

だとすれば、彼が言うように千年相当分無事故だったのは、本当に幸運に恵まれたことになり、実際には明日事故が発生してもおかしくない状態だったと思えてきます。

確率は単なる冷たい数字です。何百万年に1回の確率でも、原発稼働初日に地震が発生して放射能放出事故が起きる可能性はあるのです。冷たいただの数字なのに、千年無事故だから絶対安心とするのか、明日事故が発生してもおかしくないとするのか、その人の立場・見方で全く意見が違ってしまいます。

だから確率論の数字に主観を交えてはいけないし、原発事故の問題を確率で考えてはいけないのです。しかも村主氏は、自動車事故より1万倍以上も安全だなどと、本来比較できないものを対象にして比較しています。このお方は数字に主観を交え論文に仕立てると言う致命的ミスを犯したと言えましょう。

そして福島原発において事故が発生した瞬間、この日の事故確率0.00000011712%は100%になってしまいました。その落差の大きさに、私たちは思わず立ちすくんでしまいます。どんなに低い事故確率が算定されていても、一旦起きてしまったら事故確率は1で必然となるのです。確率論の議論がいかにむなしいものであるか、村主氏は思い知らされたのではないでしょうか。

村主氏は今回の事故を受けてどんな論文を発表されるのでしょう?是非早急にお書き頂きたいものです。

福島第一原発の地震による炉心損傷事故の発生確率は10万分の1.71でした。それでも、事故は起きたのです。だったら、浜岡のように事故確率の高い原発(10万分の2370)は即閉鎖して当然ではないでしょうか?

ところで、同時多発テロによる貿易センタービル崩壊は9.11でした。一方東日本大震災は3.11です。月は3の倍数で、日が同じ11日。この事件後アメリカは変わり、大震災後の日本も変わるはずです。この二つの出来事はシンクロニシティを感じさせるのですが、いかがなものでしょう?シンクロニシティに関しては以下Wikipediaより引用します

シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言う。非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された独: Synchronizitätという概念の英訳である。


原発事故の記事を書いていて山口雅也氏の「奇偶」講談社2002年発行が頭に浮かんできました。「奇偶」の中には確率論、シンクロニシティ、同時多発テロ、原発事故の全てが網羅されており、この小説は福島原発事故が必ず起こり得ることを実に正確に予言していたとも言えます。専門家の数字を弄んだ安全論より、小説家の卓越した想像力の方がはるかに現実に即しており、的を射たものでした。そして原発は山口氏の想像通りの事故を起こしたのです。

山口氏は女性キャスターの話としてこう書きます。
結局、すべての起こりうることは、起こるのだと

小説はやや難解で最後が尻切れトンボのように思えますが、上記観点からすると実に面白いので興味のある方は是非お読みください。

(注:酔石亭主は数学にめっぽう弱いので、確率の考え方や計算に誤りがあるかもしれません。その場合はご容赦ください。ただ、原発事故の発生確率がどんなに低くても、それは起こり得るものであることや、原発事故を確率で論ずるむなしさについてはご理解いただけると思います)
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