大磯・高麗山の秦氏 その15


日之宮神社から鷹取山に向かって歩き続けます。

023_convert_20120804160813.jpg
こんな花が。鮮やかな青です。

しばらく歩くと鷹取山の山頂です。単に広場があるだけで眺望もありません。樹林の中に入ります。

025_convert_20120804160902.jpg
巨木があります。

030_convert_20120804160946.jpg
もう一枚。

033_convert_20120804161014.jpg
解説板。

029_convert_20120804161059.jpg
鷹取神社。社殿の撮影が漏れていましたので、こんな写真だけになってしまいました。

026_convert_20120804161132.jpg
神社の解説板。

028_convert_20120804161218.jpg
少し下ると何やら祠のようなものが…。

027_convert_20120804161255.jpg
祠ではなく、仏像が安置されています。

なかなか端正なお顔で、優れた仏像だと思います。観音菩薩像でしょうか?それにしても、監獄に入っているような感じでかわいそうに思えます。

神社から急な坂を下ります。巨木も散見しますが、倒木がかなりあって荒れた感じです。南の景色が開け湘南平が見えました。

032_convert_20120804161325.jpg
湘南平。

しばらく歩くと傾斜も緩くなり、竹林を見ながら下ると小田原厚木道路が現れます。高架下を潜れば県道にぶつかるので、松岩寺の手前の駐車場まで歩きます。

035_convert_20120804161502.jpg
下って来た鷹取山が見えました。

残念ながら鷹取山に秦氏の痕跡はありません。彼らにとってこの山は単なる目印に過ぎなかったようです。鷹取山はこれにておしまい。
スポンサーサイト

大磯・高麗山の秦氏 その14


日之宮神社から立石に向かいます。広い坂道を数十メートルほど降っていくと、大きな岩が目の前に現れました。

015_convert_20120730070216.jpg
立石です。小さければ水石になりそうな岩肌を持っています。

017_convert_20120730070256.jpg
解説板。内容は以下の通りです。

この立石は、底部3.3m高さ3.5mほどの座像を思わせるような形をした自然石である。 この立石には、二つの伝説があり、その一つは日本武尊が東征の折、山づたいにここまで来られ、この石に腰掛けてしばし休息をされて、附近一帯を眺められたという。もう一つの伝説は、この石を七回半廻ると、どこからか大蛇が出てくると伝えられ、昔から不思議な石である。

座像を思わせるような形をした自然石とあります。写真の石はそのように見えないので廻り込んでみると…。

018_convert_20120730070337.jpg
なるほど納得の姿です。誰かが置いたようにも見えます。

021_convert_20120730070411.jpg
横から見た写真。水石みたいですね。

019_convert_20120730070455.jpg
部分を拡大。小さな祠になりそうな穴です。

ここには日之宮神社だけでなく、日本武尊や大蛇の伝説まであるのですから、古くから信仰の山とされていた可能性はあります。しかし、秦氏の痕跡は出てきません。

              ―大磯・高麗山の秦氏 その15に続く―

大磯・高麗山の秦氏 その13 鷹取山


霧降の滝周辺は鷹取山礫岩層となっており、水石となりそうな礫岩がないか見たのですが、残念ながら何もありませんでした。少しがっかりしながら山道を歩きます。

008_convert_20120730070638.jpg
ルートを示す案内板。日之宮神社と立石を目指します。

湿気が強く暑いので山歩きの爽快感は全くありません。しばらく歩くと山の尾根筋に出たのか急に視界が開けます。

009_convert_20120729080530.jpg
尾根筋と言うには平坦な場所です。

彼方に大山が望めます。地図で見ると北北西のライン上に鷹取山、空海の弘法山、大山が並びます。秦氏もここから大山を眺望したのでしょうか?多分違うようです。

011_convert_20120729080601.jpg
もう一枚ズームで。霞んでいますが、大山は見えています。

視界が開けたのはこの場所だけで、後はまた山道を登ります。小さな虫が顔に纏わりついて煩いこと甚だしい。この山は冬場に訪問すべきと思いました。

012_convert_20120729080650.jpg
木の写真。2本の木が下部で合体した、合体木とも夫婦木とも言えそうな木。

尾根道を歩くと標高150mの日之宮山に到着します。神社でもあるかと思いましたが、日之宮の小さな祠があるだけでした。

013_convert_20120729080730.jpg
日之宮神社。

014_convert_20120729080805.jpg
解説板。

大日霊貴命(おおひるめのむちのみこと)を祀る祠でした。大日霊貴命は太陽神に変身する前のアマテラス(太陽神を祭祀する巫女)です。天照大神を祀る神明社や皇大神宮は神奈川にも多く存在しますが、大日霊貴命を祀る神社は数少ないと思えます。言い換えれば、鷹取山一帯は古い祭祀場であったことになります。

大磯の白岩神社裏山から見た鷹取山を「その11」でアップしていますが、白岩神社の祭神もイザナギ、イザナミ。若宇加能売命ですから、こちらもとても古い神様です。(注:若宇加能売命は伊勢神宮外宮の豊受大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神)

ところで、「大磯・高麗山の秦氏 その10」において、白岩神社手前の豪邸をアップしています。

このお宅は何と井上準之助の別荘でした。画像では不鮮明ですが、確かに表札は井上とあります。井上が白岩神社の脇の土地を求めたのは明治39年とされています。彼は濱口内閣において大蔵大臣を務め、その後昭和7年(1932年)2月9日に血盟団のメンバーによって暗殺されました。井上準之助の詳細は以下を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%BA%96%E4%B9%8B%E5%8A%A9

白岩神社と井上準之助。思わぬところに歴史が転がっていると知らされました。

             ―大磯・高麗山の秦氏 その14に続く―

大磯・高麗山の秦氏 その12 鷹取山


本記事は「大磯・高麗山の秦氏」の追加・補足となります。「大磯・高麗山の秦氏」において、白岩山から望む鷹取山について書きました。詳しくは「大磯・高麗山の秦氏 その11」を参照ください。

秦氏の移動ルートに沿った鷹取山の名前は通常秦氏地名と考えられますが、この鷹取山は異なる由来を持っています。山頂に鎮座する鷹取神社(鎮座地:大磯町生沢鷹取1401)の創建は天長3年(826年)とされています。創建当時は「直下社(なおもとやしろ)」と称されていたとか。

鷹取山の名に関しては、古くは栗原山と称され、江戸時代に徳川家康が平塚で鷹狩を催行した際、愛鷹がこの山まで逃げて来たのを捕らえたことから名付けられたようです。 しかし、秦氏が上陸した大磯と秦野を繋ぐ中継地点のような鷹取山に何か秦氏の痕跡でもないかと思い、5月に山歩きも兼ねて行ってきました。

あまり収穫はなかったのですが、「大磯・高麗山の秦氏」シリーズの追加として掲載するものです。(いつものことながら今頃アップするのですから、遅すぎます)

話は急に変わります。ミシュランの三つ星観光地となった山に高尾山があります。最近は休みともなると観光客で大混雑と報道されています。そんな高尾山に、酔石亭主もかつて登りました。もちろん最近ではなく遠い昔、独身時代のことです。

本ブログを読まれている方はすぐにピンと来ると思いますが、高尾山は鷹尾山が変化したもので、秦氏地名の可能性があります。だとすれば、秦氏の一部は八王子方面から東京にも入ったかもしれません。それを検証したいと思いあれこれ調べてみました。当然考えられるのは、秦氏の三柱神社がある旧藤野町小渕との関連です。三柱神社のほぼ北には秦氏地名で徐福伝承を持つ鷹取山もあります。


大きな地図で見る
鷹取山を示すグーグル地図画像。

詳しくは「相模国の秦氏 その9」を参照ください。

さて、鷹取山から八王子に向かうのに現在の521号線、陣馬街道を通るルートがあります。山歩きが好きな秦氏はこのルートを辿り八王子方面に移動したのかもしれません。そう思って地図を見ると陣馬山の北に和田峠がありました。和田は秦氏に関連する地名で、中山道和田宿から諏訪へと向かう途中にも和田峠があります。秦氏は自分の通過点に必ず痕跡を残しているのですから、本当に面白い。


大きな地図で見る
陣馬山の和田峠を示すグーグル地図画像。

陣馬街道の古い呼び名は案下道で、JR中央線西八 王子駅の北側を走る甲州街道の追分が起点となって甲州街道から分岐し、和田峠を越えて藤野に至るルートとなっています。いわゆる甲州裏街道ですね。だとすれば、このルート上に大幡の地名があるかもしれません。そう思って調べると、どんぴしゃり、八王子市西寺方町に大幡と言う地名がありました。


大きな地図で見る
大幡を示すグーグル地図画像。

大幡はかつて大幡紙で有名(あくまでローカル的にですが)でした。大幡紙の発生は中世からとされているようですが、製紙業も秦氏の得意技で、彼らの影響があったとも思われます。秦氏と製紙の関係は以下Wikipediaより引用します。

秦忌寸朝元は天平十一年(739年)に図書頭に任じられている。平安時代に入ると、秦公室成は弘仁二年(811)図書寮(ずしょりょう)造紙(ぞうし)長上であった秦部乙足に替わって、図書寮(ずしょりょう)造紙(ぞうし)長上に任命されている。秦氏は、このように古くから、造紙(ぞうし)関係の要職と深くつながっていた。秦氏のような、技術者の基盤の上に製紙の国産化が行われ、山城国が製紙の先進技術を誇り、和紙の技術センターの役割を担ったが、紙の需要が高まるにつれ、原料の麻や楮(こうぞ)は地方に頼らざるを得なくなった。

いずれにしても、富士山麓から飛来した大幡(秦氏)は秦野方面のみならず、八王子方面にも飛んで行ったようです。地元の伝承を探れば大幡飛来伝説が見られるかもしれませんね。大幡の飛来伝承は「富士山麓の秦氏 その30」から「その35」を参照ください。

ひょっとしたら秦氏は、大幡から高幡不動で有名な高幡を経由して久我山に入ったのかもしれません。(これは論証不能な単なる想像です)なお、高幡不動の開創は大宝年間(701~704)以前で、秦氏と関係の深い行基が大日如来を、また空海が不動明王を安置したとされます。

最初から大きく脱線したので話を元に戻します。鷹取山は小田原厚木道路とレイクウッドGCに挟まれたような場所に位置しています。(大磯町と平塚市にまたがっているようです)


大きな地図で見る
鷹取山を示すグーグル地図画像。

山の登り口は松岩寺の手前です。


大きな地図で見る
松岩寺を示すグーグル地図画像。

63号線を進み松岩寺に向けて左折します。すると霧降の滝を示す道標があり、その先に駐車スペースもありますので車を停めます。

002_convert_20120728084857.jpg
道標。

イノシシに注意とありますが、鷹取山からの下りの途中で実際に出くわしました。

003_convert_20120728084934.jpg
双体道祖神。

道標に従ってしばらく歩くと霧降の滝です。

004_convert_20120728085015.jpg
滝。

005_convert_20120728085056.jpg
解説板。

日之宮山とは巫女段階のアマテラスと関係ありそうな名前です。この辺りではちょっと珍しいですね。日之宮の下を流れるから宮下川なのでしょう。でも、こんな小さな滝が「魔王の滝」とは名前負けしていませんか?

006_convert_20120728085133.jpg
滝を滝壷側から撮影。

           ―大磯・高麗山の秦氏 その13に続く― 

大磯・高麗山の秦氏 その11


磐座があるかどうかチェックのため神社背後の山を見上げます。

063_convert_20120510153738.jpg
社に向かって左手の山の斜面。画像はやや不鮮明ですが巨石が見えています。

早速登ってみましょう。ただし、道はないので斜面を注意しながら登ることになります。すると…、ありました。巨大な岩が山腹の斜面に鎮座しています。

059_convert_20120510153830.jpg
巨岩。

060_convert_20120510153916.jpg
別の巨岩。

047_convert_20120510154013.jpg
巨岩から神社境内を見下ろします。

岩の色は薄緑がわずかにかかった白です。白岩神社の名前の由来がこれらの磐座にあると理解できます。由緒には、「後ろの山が、海の方から眺めると白く光って見え、白岩山と呼んでいたので、白岩神社と称えた」とあります。

しかし、斜面の巨岩では祭祀に不都合で、海の方から眺めても良く見えません。多分山頂に別の磐座があるはず。さらに登ってみましょう。すると頂上部分にまたも巨岩が…。

049_convert_20120510154108.jpg
巨岩です。この岩こそが白岩神社と地名の由来になった岩だと思われます。

接近してみると掘ったような窪みがありました。これが由緒にある曽我五郎の足跡石でしょう。

050_convert_20120510154158.jpg
足跡石。人間の足跡にしては大きすぎますが…。

また巨岩の脇は山を削った痕跡があります。

053_convert_20120510154257.jpg
削られた部分。

056_convert_20120510154346.jpg
もう一枚。二方向から削られ、下の平場は三角形になっています。

現代になって削ったのか、磐座信仰の一環として過去に削ったのかは不明です。しかし、この崖の表面状態や、現代に削ったとしたら何の意味もない削り方であることからして古代の祭祀跡かもしれません。まあ、あくまで想像ですが…。

白岩山から北側を見るとなだらかな山容の山が見えました。

052_convert_20120510154423.jpg
白岩山から見たなだらかな山。

実際の方向は北西となります。ひょっとしたらこの山は…。そう、秦氏地名に頻出する鷹取山です。秦氏の存在がある高麗山から大山を望み、白岩神社の磐座がある白岩山から鷹取山を望む。正しく秦氏がやりそうなことだとは思いませんか?


大きな地図で見る
鷹取山を示すグーグル地図画像。

なお鷹取山は、以前は栗原山と称され、徳川家康が平塚で鷹狩りを行なった際、彼の鷹がこの山まで逃げて捕まったので鷹取山になったとされます。しかし、本来は鷹取山であったものが栗原山に変わり、江戸時代になって元の鷹取山になったのではと想像しています。勝手に歴史を捻じ曲げるなとお叱りを受けそうですが、あまりにも辻褄が合いすぎていますので、そう思わざるを得ません。

山頂には鷹取神社が鎮座して、創建は天長3年(826年)とされています。創建当時は「直下社(なおもとやしろ)」と称されていたとのこと。鷹取山にも立石があり面白い伝承が残されています。一つは日本武尊に関連するもので、もう一つはこの石を七回半廻ると、大蛇が現れると言うものです。宇賀神社や白岩神社の忌避感情に接続しそうな話だと思いわれます。秦氏の手で宇賀神社、白岩神社、鷹取山がセットにされている雰囲気が強くなってきました。

ただ、なぜ二つの神社にタブーを形成する必要があったのかと言う謎の根源は解明できません。秦氏の存在そのものが一般人にとってタブーであることが影響しているのでしょうか?現状では、大磯には奥深い闇の部分があるとするしかなさそうです。

以上で「大磯・高麗山の秦氏」シリーズは終了です。大磯に秦氏地名はないに等しく、ほとんど間接的証拠だけで書き終える結果となりました。通過地点と思われる大磯に秦氏の影は薄そうですが、彼らがこの地に存在していたことは確かと思えます。

次は「信濃国の秦氏」シリーズを書きたいと思い構想を練っています。下調べした限りでは、なかなか難物のようですが…。
プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる