パワースポット探訪記 その6 伊勢神宮


ずいぶん遅くなりましたが、この項では先日訪れた伊勢神宮とパワースポットの関係について書いてみたいと思います。

パワースポットと言ってもそれを感じるのは人ですから、結局人と大地の交差する場所にパワースポットがあることになります。酔石亭主は、古代において伊勢の地に係わった人々と伊勢の大地の特性を探求することで、伊勢神宮がパワースポットとされた理由を得ようと考えました。取りあえず纏めてみたのですが、文章が相当長くなった点ご容赦ください。

さて、伊勢神宮の内宮に祀られている神は天照大神ですから、まずはこの神がどんな神なのかを「記紀」の記述から見ていきたいと思います。

アマテラス
古事記によれば、アマテラスが忌服屋(いみはたや)において衣を織っているとき、弟のスサノオが馬の皮を剥いで投げ落としたので、天の服織女(はたおりめ、急に機織りの女に変わっていますが、文脈から見て天の服織女=アマテラスでしょう)は驚いて死んだとあります。死んだアマテラスは天の岩屋戸(横穴墳墓)に入り、高天の原は闇に包まれました。そこで神々が協議し、アマテラスが岩屋戸から出ると高天の原は再び光を取り戻します。

日本書紀でもほぼ同じで、ワカヒルメ(=オオヒルメ)すなわち神に仕える巫女が死に、岩屋戸に入って後、太陽神アマテラスとして再生しています。ヒルメは日女とも書き、これは太陽神を祀る巫女を意味するので、卑弥呼(=日の巫女)のイメージにも重なってきます。

記紀における天の岩屋戸物語は太陽の死と再生を象徴したものであり、巫女が太陽神に変容する様が描かれていますね。

ところで、相模国の秦氏において、ミトラ神は西洋と日本を繋げる媒介のような神だと書きました。ミトラ神は冬至の12月25日に洞窟で誕生しますし、イエス・キリストの誕生日も12月25日。彼はゴルゴダの丘で磔になり、その日の午後全地は暗闇に覆われます。そして3日後、イエスは墓から復活するのです。

不思議なことにアマテラスとイエスの話はまるで同じですね。それを媒介するのがミトラ神とすれば、イエスとアマテラスはミトラ神を媒介として同じ神格を付与されたと考えられます。

岩屋戸に入る前のアマテラスは卑弥呼がイメージされ(あるいは神功皇后、持統天皇のイメージも重ね合わせ)、元になる実体が存在するものの、天照大神の場合はそれがなく、創作された神であろうと思われます。持統天皇以後明治天皇まで、歴代の天皇が伊勢神宮に参拝していないのは、こんなところに理由がありそうです。

また忌服屋とは清浄な服屋を意味しますが、忌の言葉にはどこか禁忌(タブー)的な匂いがあり、服屋(はたや)は秦屋すなわち秦氏に通じるものがあります。そもそも絹織物の原料は蚕の糸で、京都太秦には蚕の社(=木嶋坐天照御魂神社、ここにも天照が!!)という秦氏系の神社があり、さらに蚕はその変容する姿から死と再生の象徴とされています。

一方日本書紀によれば、秦酒公が全国の秦の民を集めて、絹を朝廷にうずたかく積んで献上したので禹豆麻佐(うずまさ)の姓を与えられた、とあります。

もうご存知のようにミトラ神は弥勒菩薩であり、国宝第一号の弥勒菩薩像を広隆寺に安置したのはかの有名な秦川勝。ミトラ神を媒介として西洋と日本を繋げアマテラスを創作したのは秦氏かもしれません。アマテラスの背後には死と再生を司る謎の一族秦氏の影が見え隠れしているようです。

アマテラスの流浪と秦氏
次にアマテラスが大和を出て、伊勢に遷座する間のいきさつを見ていきましょう。崇神天皇の御世、天照大神と倭大国魂神はともに宮中で祀られていましたが、神と共に住むことは畏れ多いとして、崇神天皇6年に宮中から外へ移すこととなりました。

アマテラスは豊鍬入姫命に託され、まず笠縫邑に遷座します。いわゆる元伊勢第一号ですね。それ以降アマテラスは各地を転々として、垂仁天皇の御世、ようやく伊勢の地に鎮座することになるのですが・・・、この説話は何を意味しているでしょう?

一般的には疫病を鎮めるために、外に出したということなのですが、それだけではなさそう。なぜなら、疫病については大物主が崇神天皇の夢枕に立ち、自分の子孫太田田根子に祀らせよと神託して、その通りにしたら収まっていますので、アマテラスが外に出ることとは関係がありません。

そこで、倭大国魂神とはどのような神かを見ていきましょう。この神は話の流れから三輪山の神大物主と同一と思われ、大物主の実像は物部氏の祖神ニギハヤヒとなります。ニギハヤヒの諡号は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしみたまにぎはやひのみこと)で、彼は男神のアマテラスと分かります。

崇神天皇は大和政権の実質初代天皇であることから、物部氏の祖神が太陽神で男神の天照では具合が悪いので、ニギハヤヒを単なる大物主神に落とし、太陽神の神格を女神の天照大神に付与して伊勢に流したと考えれば、歴代天皇が伊勢に参拝しなかったことも含め一応の説明は付くのですが、どうもすっきりしません。

ところでアマテラスが最初に遷座した笠縫邑とはどこなのでしょう?元伊勢一号の比定地は幾つかあるのですが、笠縫の名前が付いて天照御大神を祀る神社が奈良県磯城郡田原本町秦庄の秦楽寺境内にあります。この地はそもそも秦氏の居住区で、お寺に行く最寄り駅は近鉄笠縫駅。周囲には今も秦姓のお宅があります。これだけ状況証拠が揃えば、元伊勢一号は秦庄の笠縫としたいところです。

秦楽寺は秦川勝が創建したと伝えられる寺で、空海がここで修業し「三教指帰」を著しました。秦氏と空海の関係は相当奥深いものがありそうです。

またアマテラスは各地を流浪したのですが、その一つに菟田の筱幡、佐々波多宮が挙げられています。地名や宮名からして秦氏と関係しそうですが、元伊勢とされる場所の多くは秦氏の居住区でもありました。アマテラスの背後にある秦氏の影がますます濃厚になってきたようです。

ただ、なぜアマテラスが宮中から外に出されたのか、またなぜ各地をこれほど転々と移動しなければならなかったのかという問いに対する答えはなく、真相は依然として深い霧の中と言えるでしょう。

お伊勢参りの順序
皆さんも伊勢にお参りしたことがあると思いますが、その場合一定のルールがあることをご存知でしょうか?「津島参らにゃ片参り」という言葉が示すように、お伊勢参りの折には、愛知県津島市にある津島神社を参拝する必要があります。

内宮はその次でしょうか?いや、違います。伊勢に到着したら外宮を先に参拝しなければなりません。そして内宮という順となるのです。内宮を参拝すればそれで終わり、ではありません。

背後にそびえる朝熊山(標高555m)山頂付近にある金剛證寺にも行く必要があります。ここは伊勢神宮を背後から守る山で、津島神社同様、「伊勢を参らば朝熊をかけよ朝熊参らば片詣り」とされていました。

これら言い伝えの背後には必ず何か隠された事情があるはず。そこで酔石亭主も、この四カ所を順に行ってみました。(但し、津島神社は昨年行きましたので今回は訪問していません)

津島神社
津島神社の主祭神はスサノオ、古くは津島牛頭天王社と呼ばれ”牛頭天王信仰”の総本社です。では、なぜ津島神社をお参りする必要があるのでしょう?スサノオはアマテラスの弟だから、というのが最も簡単な説明でしょうが、事はそれほど単純ではないと思います。

スサノオを祀る京都八坂神社境内には疫神社があり、スサノオが疫神であることを物語っています。そして祇園祭の最中や、祭り以後は胡瓜を食べない、また祭りの以前には食べないといった地方によって異なる習慣があります。しかも初なりの胡瓜あるいは瓜には毒があるとされ、天王の祭には川へ流して疫病を避ける習俗が広く行われていました。

また津島神社には、「御葦放流神事」という背筋が凍るような恐ろしい特殊神事があります。その内容は別の機会に譲りますが、この神事においても、御葦流し以前は白瓜を食べてはならないとの禁忌がありました。そして『御葦放し』の最中は、津島の民家は全て灯火を消し静まり返ります。もし灯火をつけている家があれば白瓜を投げ込むのですが、その家は必ず凶事があると人々は恐れました。

これらは何を意味しているのでしょう?そう、スサノオは禁忌(タブー)に関連する神で、その象徴が瓜になっているのです。

伊勢神宮外宮
外宮の祭神は豊受大神。社伝によれば、天照大神が雄略天皇の夢枕に立ち、一人では食事が安らかにできないので、等由気大神(とようけのおおかみ)を呼び寄せて欲しいと告げられた。そこでこの神を丹波から遷宮されることになった、とのことです。

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外宮の解説板。

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外宮です。さすがに巨木が多い。

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外宮の有名なパワースポット「三ツ石」。

注連縄が張られ結界になっています。遷宮の際の川原大祓はここで行われ川原祓所と呼ばれていました。地震で埋まる前は宮川の支流が流れていたそうです。

豊受大神の「豊」は秦氏を意味する場合が多く、また「受=うけ=うか」で秦氏が創建した伏見稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)の宇迦と同じです。従って豊受大神は、秦氏の稲荷神の異名ということになるでしょう。丹波籠神社の由緒略記によれば、豊受大神またの名を天御中主神、国常立尊、倉稲魂命(稲荷大神)と云うとあります。ここでも秦氏の影が見えますね。

稲荷は狐に象徴されますが、今でもお年寄りはお稲荷様を動かすと祟ると言って畏れます。狐憑きや狐の霊験譚は全国各地にあります。稲荷神(=秦氏)もまた禁忌に係わる存在でした。

ところで、スサノオの禁忌を象徴するものは瓜でしたが、秦氏の稲荷神の場合は狐でした。瓜と狐。二つの文字を比べてください。似ていませんか?

そう、瓜に獣偏を付ければ狐になってしまいます。つまり、スサノオと秦氏は瓜と狐を介して同じような禁忌に係わり、しかも近しい関係にあるのです。

では内宮を見ていきましょう。内宮に関しては五十鈴川外写真撮影をしていません。

伊勢神宮内宮
宇治橋を渡るにつれ、周囲は緑に囲まれて、清浄な地に足を踏み入れている感触が高まってきます。やはりここは特別な神社なのでしょうか?

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五十鈴川です。

この川は御手洗川であり禊をする場所ですが、禊の文字に注目してください。分解すれば神との契約を意味します。つまり内宮に入るには事前に神との契約が必要となるのです。
ところで酔石亭主は、ミトラ神を媒介として西洋と日本が繋がってしまう、イエスとアマテラスは同じ神格を付与されたと書きました。とすれば契約する相手はミトラ神のはず。

では、ミトラ神はどこにいるのでしょう?当然内宮にいてもいいはずですが・・・、よく探してみてください。いましたね。皆さんの目の前に。御手洗川こそがミトラ神でした。御手洗川の手洗はどう読んでも「たらし」とはなりません。でもそう読むしかなかったのです。なぜなら、御手洗川=みたらし川=ミトラ神川で、御手洗川はミトラ神を意味していたからです。

内宮には心の御柱という柱があるのですが、それが何のためにあるのか現在では不明となっています。そこでこの柱はどのようなもので、どんな機能があるのか考察してみましょう。

日本語は大変面白いのですが、例えば金と銀を取り上げると、金(きん)が濁り価値が下がると銀(ぎん)になります。心の御柱もそれに類した読み解きをしてみたいと思います。

まず心ですが、この文字からは心(しん)=神(しん)=秦(しん)という連想が働きます。次に柱です。柱を分解すれば木と主。柱とは主である神が発する気(木)であり、同時にそれを受ける増幅装置のようなものと考えられます。ちなみに神である秦(しん)が濁ると人(じん)になりますね。

猿田彦神社
アマテラスを祀る内宮のすぐ近くには猿田彦神社があります。猿田彦は天孫降臨の折に道案内した神で、古事記に描写された彼の容貌は白人のようです。

そして猿田彦は道祖神でもありました。道祖神は外来の悪霊を遮る神で、辻、村境などに置かれますが、古来より村は村人たちの閉鎖的生活空間であり、村と外の境界が辻、辻の外側が神の空間である異界、という風に認識されていました。辻には、道祖神、山の神、庚申塔などが置かれ、辻には魔物がよく出没します。また村境は、神輿や盆の精霊送り、厄病送りの到達点で、害虫や疫病神などが放逐される場所でした。

猿田彦はまた石神、塞の神でもあり、旅行安全、防疫、縁結び、性などを司り、賽の河原で亡者を救う神にもなります。これら猿田彦の属性は皆、境界、限境を表します。

辻に魔物がよく出没するのは、魔物によって足がすくみ外に出られなくなるということですが、心理的には、ある境界を越えようとすると心的なタブーが起動し動けなくなることを意味しています。換言すれば、猿田彦は村を閉鎖空間として閉じ、村人を境から外に出させないという機能を持っていることになります。

猿田彦もスサノオと秦氏同様禁忌に係わる神であったのです。

伊勢神宮を見ていくとスサノオ、秦氏、猿田彦の呪縛三人衆にぶち当たる。それは一体何を意味しているのでしょう?疑問は一旦横に置いて、次に朝熊山の金剛證寺を見ていきましょう。

金剛證寺
この寺は欽明天皇の御世、暁台上人が伊勢神宮北東の鬼門鎮護の為、庵を建て修法したことに始まると伝えられています。寺の本尊は虚空蔵菩薩。天長2年(825年)、空海はここで『虚空蔵求聞持法』を修し、真言密教の大道場を築いて同寺の中興の祖となりました。『虚空蔵求聞持法』は記憶力の増進と錬金の法ですが、弥勒信仰と虚空蔵信仰はいずれも秦氏が担い手となっています。

それは、秦王国のあった豊前最古の寺が虚空蔵寺であったこと。宇佐八幡宮の神宮寺は弥勒寺ですが、その前身は虚空蔵寺であったこと。『虚空蔵求聞持法』を担ったのが秦氏系の勤操、護命、道昌であることなどからも窺えます。

空海が秦楽寺にて著した『三教指帰(さんごうしいき)』によれば、延暦11年(792年)19才のとき、彼は一人の沙門(秦氏の勤操という説が一般的)から『虚空蔵求聞持法』を伝授されました。

虚空蔵求聞持法:この法は、虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えて集中力・記憶力を高め、広大無辺の福徳・智慧を授かる秘法と、雲母や牛酥(ぎゅうそ=牛の乳を精錬した飲料、酒で、牛蘇でもある)を用いた不老不死薬を作る錬金術です。

呪縛三人衆に加えて超人空海がまたしゃしゃり出てきました。なぜここでも空海なのか考えてみましょう。各地に弘法清水と称される場所があるのはご存知ですね。彼は地中の水脈を感知する能力がありました。秦氏は特殊な能力を有する空海を自分の仲間に引き込んだ、と思われます。だからあちこちで秦氏と空海は交錯する。そう考えて良さそうです。

どうやら、北方にはスサノオ、鬼門には空海、すぐ近くには猿田彦、秦氏が集結し、その強い呪力で伊勢の護りを固めているようです。では彼らは何を護っているのでしょう?内宮に祀られる神、天照大神を護るのでしょうか?アマテラスは実体がベースになっておらず、観念の操作によって創作された神である以上、どうもそうではなさそうです。

中央構造線とパワースポット
またも疑問は横に置き、金剛證寺を後にして山頂展望台に向かいましょう。山頂付近からは伊勢、伊勢湾に浮かぶ島々、知多半島、伊良湖岬、渥美半島などが壮大なパノラマとなって見渡せます。
そして二見町の東端が神前岬です。岬から続くように、大村島、御前島、長山島、飛島、浮島、牛島、答志島、大築海島、小築海島、神島などが並んでいます。島の並び方が直線的で規則性があるように見えませんか?

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島が列をなして並んでいる写真。

実は島に沿って中央構造線が通っているのです。日本において中央構造線の姿がはっきり形になって見えるのは、ここだけでしょう。

伊勢湾から上陸した中央構造線は、何と外宮と内宮の間を走っています。日本最高の神社とされる伊勢神宮が伊勢の地にあるのは偶然ではありません。この神社は地中から強力な気が放射される中央構造線の上を選んで鎮座しているのです。

秦氏の謎
禁忌の神社に囲まれ、外宮と内宮の間を中央構造線が通るというのがこの地の特徴でした。伊勢神宮が日本屈指のパワースポットとなったのは、それが中央構造線上に位置しているからであり、中央構造線が発する気を感知できる秦氏がアマテラスを伊勢に遷座させたかならのです。

神である一族秦氏は、創作された神アマテラスをここに配し、周囲に禁忌を司るメンバーを配置して結界のように固めました。

禁忌とは忌避すべきものであり、人の目から何かを隠すために設定されます。とすれば彼らは、誰にも知られないよう、何か極めて重要なものを隠したと考えられないでしょうか?アマテラスが各地を流浪したのは、そのための最適地を見出すことが目的だったのかもしれません。

猿田彦の道祖神。その傍、青面金剛の足下には常に見ざる聞かざる言わざるの三猿がいます。これは何を意味しているのでしょう?日本にはやはり、見てはならない、聞いてはならない、言ってはならない秘密が隠されているのではないでしょうか?
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パワースポット探訪記 その5


探訪記その1から4と同じ昨年の春、プレートの陸上三重点近くの白糸の滝に行ってみました。北米プレート、ユーラシアプレート、フィリッピン海プレートの三つが会合する陸上三重点は富士宮にあると考えられ、ここには浅間大社が鎮座していることからも、富士宮一帯は重要なパワースポットであろうと思われます。

ただこのときは日帰りで、バスでの日帰りツアーと似たり寄ったり。時間の関係もあって、富士宮には立ち寄りませんでした。

白糸の滝
白糸の滝です。

気ではないでしょうが、マイナスイオンをたっぷり浴びて体が軽くなりました。

富士
白糸の滝周辺からの富士山です。ここから見る富士は山容が鋭いですね。

次に向かったのが身延山久遠寺。日蓮宗の総本山です。独身時代に七面山という山に登ったことがありますが、七面山と身延山は春木川を挟んで向かい合っており、この春木川に沿って糸魚川・静岡構造線が走っています。

ちなみに、七面山は古来より修験道の山として有名でしたが、ここにはまた日蓮上人の高弟、日朗上人が開いたと伝えられる敬慎院があります。

構造線を挟んで二つの宗教施設が向かい合うのは、伊勢神宮内宮、外宮とまるで同じ。偶然ではないような感じで、ちょっと面白いですね。

以上、身延山、七面山のいずれも宗教施設でがちがちに固められており、かつ構造線に沿っているためパワースポットとしての資格がありそうです。
修験者や宗教家などは好んでパワースポット上(つまりは構造線上)に宗教施設を設置しているようですが、これは彼らの多くが特異体質を有し、また想像を絶する修業を積むことにより、気を感知する能力が高まっていたからでしょう。

ただ今回の身延山訪問は枝垂れ桜のお花見が目的。時期的にはやや遅かったものの、それでも十分に桜を堪能できました。

しだれ桜
久遠寺の枝垂れ桜です。

急な石段
久遠寺の急な石段。注意しないと転げ落ちそうですね。

桜を見た後はロープウエイで身延山奥之院へ。ここには日蓮が両親を追慕して建てた思親閣があり、山頂からは南アルプスの山並みと富士山が見渡せます。
なお、身延山に行く途中富士川にちょっとだけ立ち寄りました。芝川の上流辺りで探石しましたが、女房殿を車の中に待たせてのこと。なので、10分そこそこで切り上げざるを得ず、成果は上がりませんでした。

富士川石
一応持ち帰った富士川石。

パワースポット探訪記 その4


諏訪湖を過ぎ伊那に入ると景色も変わり、右手に中央アルプス、左手に南アルプスの山並みが望めます。伊那方面に行く機会は滅多にないので、景色が新鮮に感じられ、また残雪の頃のアルプスは山の表情に変化があって、魅力が一層増していますね。

駒ケ根インターで中央道とはお別れ。いよいよゼロ磁場で有名な分杭峠へと向かいます。行き方は比較的簡単で、49号線を東に走っていくだけです。

ゼロ磁場:2つの磁界の方向が向き合って、ゼロになっている場所のこと。中央構造線の左右で異なる地層がせめぎ合い、地磁気を打ち消し合ってゼロ磁場になるそうです。

途中、山の斜面に花木が植えられミニ桃源郷を思わせる場所があったので、車を停めて道路越しに写真を撮っていました。すると土地の所有者らしきご老人が現れ、親切にも近くで見てくれとご案内いただいたのです。結構なお歳と拝察されましたが、足腰も確かで、いかにも楽しく老後を過ごしておられるご様子。うらやましい限りでした。

ミニ桃源郷
ミニ桃源郷です。

時間の関係もありますので、ご老人にお礼を言って車に戻りました。道は思ったより広く、快適に高度を稼ぐと、やがて152号線に入ります。ここから152号線を少し走って、いよいよ日本最大級のパワースポット分杭峠に到着。

峠は海抜1424mの高地ですので、4月下旬はまだ寒いはずと思っていましたが、案外暖かでした。駐車場に車を入れ、そこから少し下った第一の気場はスキップして林道を歩き、真の気場(とされている場所)に向かいます。

気場:このような磁場からは気が発生しており、それを気場というそうです。

しばらく歩くと小さな沢があって、10人以上がそれぞれに寛いでおり、どうやら真の気場に到着したようです。気場の沢水(沢の岩盤から取水用のパイプが出ています)は波動水と呼ばれ、皆さんポリ容器に水を入れています。

沢
真の気場とされる沢。

波動水:ゼロ磁場の気が水に転写されると波動水になるとかどうとか言われています。宇宙戦艦ヤマトの架空兵器みたいな、またいかにも霊験あらたかそうな命名で笑えますが、商売にするのは?ですね。

また気場にいると手がピリピリする感じもありましたが、それがゼロ磁場と呼ばれる気のせいかどうかは、神のみぞ知る、ですね。
まあ、ピリピリしたのは単に気のせい(掛け言葉です)かも。

小一時間ほどその場に留まり、気を十分に浴び、これで目的は達成?と思いつつ分杭峠を後にして、再び増富温泉に向かいました。
この日の泊まりは不老閣さんです。建物は古いのですが、手入れは結構されているようで不快感はありません。スタッフの立ち居振る舞いも一生懸命で好感が持てます。温泉の泉質はまずまずでした。

翌日、パワースポット探訪の旅も終わり帰途につきました。
ところがです。家に帰ってから、驚愕的かつ何とも不可解な事態に直面したのです。
現地での写真をパソコンに取り込んでチェックしたところ、なんと駐車場の上から北側を撮影した写真2枚と、沢での1枚が感光したかのようにほとんど真っ白くなっていたのです。

真っ白な写真
ほぼ真っ白な写真。

少し色のある写真
少し色のある写真。

その前後、および間に撮影した写真は通常通り撮れており、どうしてこのようなことになったのか、不思議でなりません。カメラの設定を途中で変えたわけでもなく、なぜ一部の写真だけが感光したような画像になったのでしょう??? 

特に沢での1枚は女房殿を撮ったものでしたが、本人がいたく気味悪がり強制的に削除させられてしまいました。(ちょっと残念)

これが地中から発する気の影響で起きたのなら、本当に凄いことですが、どんなものでしょうかね。

ちなみに、分杭峠で気を浴びるのは健康に良いとされていますが、簡単に言うと地磁気の異常が人体にある一定の影響を与えているということだと思います。まあ、温泉浴の効果みたいなものでしょうね。

ただこの手の事柄は、テレビの影響か安易にスピリチュアルな観点へと流れる傾向が強いようで、あまり感心できません。もっと物理的、論理的に見ていくべきでしょう。

なお、大地(特にアフリカの大地)から発せられる気は、より根源的な影響を私たちに与えていた節があり、いずれ詳しく見ていきたいと思います。

          ―パワースポット探訪記 その5に続く―

パワースポット探訪記 その3


今回は死海周辺地域と諏訪湖との不思議な関係についてです。できるだけ短く纏めたつもりですが、やや長い記事になってしまいました。

旧約聖書にはアブラハムのイサク奉献という記述があり、内容は次の通りです。

アブラハムは神から、モリヤ(イスラエルのこと)にある山に行き息子イサクを全焼の生贄として捧げなさい、と命じられます。

アブラハムは神に命じられた山に祭壇を築き、薪の上に愛する息子イサクを乗せて縛ります。そしてアブラハムはナイフを手に取り、イサクを屠ろうとしました。
するとそこに天使が現れ、アブラハムの神を畏れる気持ちは明らかになった、とイサクを屠るのを止めさせたのです。
アブラハムが周囲を見まわすと雄羊がいたので、彼は息子に代わって雄羊を全焼の生贄として神に捧げました。

以上がアブラハムのイサク奉献伝承ですが、一方諏訪大社にも同じような儀式があります。

諏訪大社での儀式は御頭祭と言いますが、現在は大幅に簡略化されているようです。
守矢史料館のしおりによれば儀式は大略次の通りです。
この儀式は4月15日の午後諏訪大社前宮の十間廊というところで執り行われ、ここには雄鹿の頭の剥製が供えられます。
そして御杖とも御贄柱(おにえはしら)とも言う柱を押し立て、紅の着物を着た八歳の子供を柱に縛ります。神官は刀を手にしますが、そこに使者が現れ、子供は解放されるのです。この儀式は明治初めまで行われていたそうです。

さらに不思議なのは諏訪大社、上社前宮のご神体が守屋山であることです。
エルサレムのモリヤ、諏訪の守屋山。なぜ、共通する名前になっているのでしょう。

旧約聖書の記述と諏訪神社の伝承の類似性は既によく知られ、書籍や幾つかのホームページなどでも指摘されており、古代イスラエルの人々(イスラエル十二支族)が日本に渡来したという、いわゆるトンデモ説に繋がっているのです。

しかし、しおりの記載内容には問題もあります。
史料館のしおりにある解説は、江戸時代の菅江真澄という旅行家が記述したものをベースとしているのですが、原本はなく写本から何度か改変、簡略化され、最終的には中学生向けに書かれた「菅江真澄の信濃の旅」という本から引用されたものでした。
内容が神社に古くから伝わる文献・資料に基づいたものならともかく、そもそもベースが旅行家の見聞録では原本自体に誤りがある可能性も否定できません。

ただこの種の儀式は、形式が変わり簡略化されても核の部分は変わらないはずです。
雄鹿の頭の剥製が飾られること、子供が出てくることなどから、これは生贄の儀式であることに間違いはなく、また子供の代わりに雄鹿が生贄とされるのであれば、やはりイサク奉献伝承に似通っていると考えられます。

以上から、古代イスラエルの情報が諏訪にまで伝えられた、乃至はイスラエル十二支族の一部のメンバーが諏訪にまで至ったと考えられるのですが、儀式が伝わるのは北九州の邪馬台国周辺地域、大和、京都などでもいいはずなのに、なぜ山深い諏訪だったのでしょうか。その答えはどこにもありません。

私見によればその答えは、以下のようになると思います。
その2でも少し触れましたが、死海は大地溝帯の北端部(死海地溝帯)に位置し、アフリカプレートとアラビアプレートの境界線に沿って形成されたプルアパートベーズンです。

一方諏訪湖は、中央構造線と糸魚川静岡構造線の活動によって形成されたプルアパートベーズンです。すなわち両者は、奇しくも同じ構造を持った場所に存在しているのです。

ですから、古代イスラエルの人々は渡り鳥のように大地の発する気の流れに沿ってはるか日本にまで至り、諏訪湖で死海と同じ気を感知して、イサク奉献伝承と同じ儀式をここで執り行い、それが現在にまで形を変えつつも伝わった、とは考えられないでしょうか。

遠い昔イスラエル十二支族の末裔が日本に渡来したなど、あり得ない話だと思われるかもしれませんが、それよりもずっと昔、人類はアフリカを出て全世界に広がったのです。
当時より文明や技術が進んだ古代イスラエルの人たちが日本に渡来したとしても、何の不思議もないはずですね。

そして死海から大地溝帯に沿って下っていくと、人類発祥の地であるアファール三角地帯=アファール三重点に到達します。一方日本には陸上と海溝にプレート三重点がありましたね。その類似性にも、死海と諏訪湖よりもっと大きな、隠された秘密がありそうです。

アファール三重点:アフリカプレート、アラビアプレート、ソマリアプレートが互いに分離しつつある場所。その性質から拡散型プレート三重点と呼ばれます。これに対し日本のプレート三重点は、三つのプレートが収束する三重点であり、収束型プレート三重点となります。                 
       
陸上と海溝にプレート三重点:2月13日酒匂川の生い立ちを参照ください。

              -パワースポット探訪記 その4に続く-

パワースポット探訪記 その2


翌朝、ゼロ磁場で有名な分杭峠に向かいました。

鳳凰三山
増富温泉から中央道へ向かう途中に撮影した鳳凰三山です。
山にとても高度感がありアルプスらしいですね。

ゆっくり旅なので諏訪湖サービスエリアで早くも休憩です(笑)。ここからは周囲の山々に取り囲まれた諏訪湖の景観を楽しむことができますね。

諏訪湖サービスエリア
諏訪湖サービスエリアより。

ところで諏訪湖と言えば諏訪大社が有名ですが、ここは以前訪問したこともあり、今回はパスしました。ですが、この周辺も日本有数のパワースポットです。

そこで今回は諏訪大社の特異性について検討していきたいと思います。
ここ諏訪湖は、日本最大の構造線である中央構造線と糸魚川・静岡構造線が交差している場所です。諏訪湖が形成されたのはまさしくこの二つの構造線の活動によります。
糸魚川・静岡構造線の左横ずれ運動によって中央構造線に食い違いが生じ、その際に形成された窪みが諏訪湖となりました。

このようにして形成された湖を、プルアパートベイズンと言います。同様の構造を持つ湖がかの有名な死海ですね。

諏訪大社下社春宮、秋宮は諏訪湖の北方、中央構造線が断ち切られた位置にあり、諏訪大社上社本宮、前宮は諏訪湖南東部の中央構造線が再び続いていく位置にあります。
つまり、日本における重要な神社が、気の発する非常に特異な場所に存在しているのです。

私は、地中からの気を感知した古代人がこの地を聖地として社を建てたと推測していますが、いかがなものでしょうか? ちなみに、前回でも少し触れましたが、日本最高の神社である伊勢神宮内宮と外宮の間をこの中央構造線が走っています。

死海はアフリカ大地溝帯の最北端部に当たり、そこに位置する古代イスラエルでは預言者が多く輩出しましたが、彼らはどうしてそんな能力を獲得したのでしょう。彼らは多分大地の発する気を受けて、預言者としての能力を獲得したのではないでしょうか。

そして旧約聖書で語られる地である死海周辺と諏訪湖との間には不思議な関係がありそうです。
どんな関係かは次号、パワースポット探訪記 その3、のお楽しみ。
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