酒匂川の氾濫


酒匂川はかつて相当な暴れ川であったらしく、宝永四年(1707年)に富士が噴火して火山灰が降り積もった結果、河床が浅くなりました。そのため堤が決壊、下流の村は大被害を受けたそうです。

そこで当時の将軍徳川吉宗は大岡越前守に復旧を命じ、田中丘隅(きゅうぐ)という人物がその任にあたりました。丘隅は大口堤と岩流瀬堤の復旧工事を完成させ、両堤を文命堤と名付けたそうです。

文命堤解説板
復旧工事に関する解説板です。

工法
工法と工事範囲の解説です。

絵図
復旧地域の絵図。

現在の文命堤
文命東堤の現在の写真。春は桜が綺麗だそうです。

しかし酒匂川は堤の完成後も何度か氾濫し、流域の村々を襲って多数の死者を出しました。

それから時は流れて現代。今に至るも酒匂川では河川のあちこちで改修工事(河床整理工事)が行われているか、最近まで行われていました。私の知る限りでは上流から山北、松田の新十文字橋の周辺及び報徳橋の上流及び下流辺りです。重機が使われますので、工事が始まるとあっという間に河原の様相が変わってしまい、探石も不可能となります。

河床整理
河床整理工事後の様子。

川の治水は人命を守るために大変重要ですが、各種工事の影響で川から石や砂の供給が減少すれば、必然的に海岸線が細ってしまいます。その結果、防災のため沖にテトラポットを積み上げざるを得なくなるでしょう。川の工事によって海の景観までも悪くなるのです。

難しい方程式かもしれませんが、行政には川や海の自然と美観を保ちつつ、治水を考えていただきたいものです。
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酒匂川石山に昇る


今日のタイトルはちょっと変だと思われるでしょうが、そこは我慢してお付き合いください。

酒匂川も山北の新大口橋を過ぎると川幅が狭くなり、もう少し先の岩流瀬橋から先は、特に左岸が高い崖となって渓流的な様相さえ呈してきます。

岩流瀬橋
岩流瀬橋を上流から撮影。

その断崖にふと目をやると、明らかに川擦れしたと考えられる礫が、崖のかなりの高さまで数多く見られました。
さらに妙なことには、河原の礫から数メートルまでは泥と言うか土の層となっており、その層が終わると礫の入った層になるのです。

崖の層
写真は下から、河原の石、土の層、礫の層。

土の層をよく見ると、軽石が混じっていました。ということは、この層は箱根火山と古富士の噴火や火砕流によって形成されたものと思われます。

軽石
写真は軽石です。

礫
土の層と礫層の境。大きな石が今にも落ちてきそうで、写真を撮ってから早々に退散ました。

礫層の石は酒匂川石に間違いなさそうで、川が何万年もかけて大地を掘り下げ、その結果断崖上部にまで河原と同じ礫があるのだろうと思いましたが、後で調べてみると事はそう簡単ではありませんでした。

断崖どころか、酒匂川の北側、JR山北駅と酒匂川に挟まれた丘陵(河村城址公園)から浅間山(247m)付近にかけて酒匂川石と同じ礫が発見されていたのです。(河村城址公園のある通称城山は標高225m、酒匂川河川敷との比高差は約130m)
つまり、昔は丘陵の上一帯が酒匂川の河原だったことになります。

城山
写真は酒匂川から見た河村城城址公園のある独立丘陵。右手が浅間山に連なっています。

では、なぜこのようなことが起こったのでしょう。
調べてみると、山北町には日向断層と言う断層が走っており、どうやら前に書きました国府津―松田断層と接続しているらしいとわかりました。

この日向断層の活動により昔の酒匂川の河床が隆起して、現在の酒匂川で見られるのと同じ礫が山頂付近に存在しているのです。ひょっとしたら、山の上で見事なジャクレ石を揚石できるかもしれませんね(^_^)/

さてそこで、先ほどの断崖の礫(酒匂川石)に戻るのですが、この形成過程はどうだったのでしょうか。まず土の層は箱根火山の火山灰や古富士の噴火によって押し流された泥流だと思われ、箱根火山であれば3から5万年前、古富士の噴火であれば8万年前で、両者がここに堆積しているとして、結局土の層はおよそ3から5万年前頃に形成されたことになりそうです。

ところが、河村城址公園では礫層の上に火山灰層があり、それは古富士山の噴火に由来するものだそうです。ですから、城山の隆起開始は7から8万年前となります。

もうこの辺で頭が混乱してしまうのですが、断崖では火山灰層の上に礫層があるのです。
すると崖の礫が形成されたのは古富士と箱根火山が噴火した後であり、日向断層が隆起を開始してからかなり後になるのでしょう。

日向断層の隆起によりある段階で酒匂川の流れが変わり、断崖の場所に礫が集積し、その後川が大地を掘り下げて現在の河原の位置になった、ということではないかと思うのですが・・・。
どうもそれだけではなさそうな、あるいは致命的な考え違いをしているような・・・気がしてなりません。詳しい方がおられたら是非コメントで修正いただきたく、伏してお願いする次第です。

専門家でもないのに、余計なことをあれこれ考えるのは本当にしんどいですね(*_*;

河童ヶ淵
写真はさらに上流の高瀬橋に近い崖です。川の水は深い緑色を呈し、穴の中から河童が出てきそうな雰囲気です。今日からここを河童ヶ淵と命名しましょう。

酒匂川へのアクセス


私が酒匂川の下流域で探石する場合、西湘バイパスを国府津で降り、国道一号線を横切り、東海道本線の高架下を抜け、すぐ左折して巡礼街道に入ります。

この道はどこまでもまっすぐで、道の両側にはケヤキの街路樹が植えられ、信号がやや多いという問題はありますが、走行はおおむね快適、しかも大小取り混ぜて相当数の店舗が軒を連ねています。さほど人口密集地でもないのに、なぜこれだけお店が集積しているのか不思議な気がします。

巡礼街道は飯泉で255号線と交差しますが、ここはちょっと寄り道して勝福寺に向かいます。勝福寺を参拝したのち255号線に戻り、小田原厚木道路の下を抜けさらに走ります。すると、酒匂川にかかる橋へ向かう交差点が次々に出てきますから、目当ての橋周辺で探石するといいでしょう。

巡礼街道:国府津から坂東観音五番札所である勝福寺(飯泉観音)へと向かう巡礼道です。

巡礼街道
写真は巡礼街道です。

勝福寺:飯泉で右折せずまっすぐ進み、狭い道を左折、右折すると勝福寺に至ります。創建は天平勝宝五年(七五三年)、開基は弓削道鏡と伝えられる真言宗の古刹です。この寺には曽我兄弟や二宮金次郎、力士雷電など有名人の逸話が残され、また、幾つかの市や県指定重要文化財があります。

勝福寺仁王門
勝福寺の仁王門。1758年造営。

勝福寺本堂
本堂です。

二宮金次郎像
二宮金次郎の像。よく学校などにある薪を背負い、本を読んで歩く姿ではなく、
本堂に向かい膝をつきながら手を合わせている珍しい像です。

青銅水鉢
青銅の水鉢で1704年に製作されたとのことです。これも珍しいですね。


松田周辺の中流域で探石する場合は、巡礼街道に入らず72号線をそのまま北上、すると道は大きく右に折れ、大磯丘陵のふもとに沿って走ります。しばらくすると梅林で有名な曽我別所に入ります。梅の花見時はやや過ぎたはずですが、休日は人が多く駐車場に車を入れるのも大変だと思います。

そこで花見の寄り道には、曽我に至る前に田島石橋にて右折して大磯丘陵を登っていきます。丘陵を登りきると、あちこちに梅の木が見られるでしょう。この辺りなら観光客もおらず、波光きらめく湘南の海と梅の花見の両方を満喫できますし、背後に目を転じるとどっしり構えた丹沢の山塊も見渡せます。

話も車も横道にそれましたので、再び72号線に戻り曽我からさらに進みます。しばらくして255号線に合流。そこから少し走り左折すれば開成町へと向かう78号線で、すぐに酒匂川と川音川の合流点付近の探石地に至ります。(巡礼街道から255号線を北上して栢山入口で左折、鬼柳入口で右折しても同様に川音川との合流点に至ります)

山北や谷峨などの探石場所に向かうには255号線をさらに進んで246号線に入り、しばらく走って山北高に向かう道や向原で左折することになります。

酒匂川石の生い立ち


私は今のところ酒匂川に絞って探石していますが、では酒匂川石はどうのようにして生まれたのか、その生い立ちを遠い過去にまでさかのぼって考えてみましょう。

酒匂川の足下には国府津―松田断層と呼ばれる断層が走っています。この断層は実はフィリッピン海プレートと北米プレートとがせめぎ合っている場所であり、フィリッピン海プレートは伊豆半島を八の字のように挟み本州に衝突して沈みこんでいるのです。

この八の字の先端は富士宮辺りにあるとされ、ここはフィリッピン海プレート、ユーラシアプレート、北米プレートの三つのプレートが収束しせめぎ合う極めて特異な場所で、プレートの陸上三重点となっています。

一方国府津―松田断層は太平洋に入って相模トラフとなり、そのまま太平洋プレート、フィリッピン海プレート、北米プレートが会合する伊豆・房総沖海溝三重点に接続していきます。つまり壮大なプレート活動の収束点がこの日本に二つもあり、国府津―松田断層はその一翼を担っている訳です。

丹沢は元々南海にあった海底火山がフィリッピン海プレートによってどんどん本州側に押され、北米プレートと衝突し、背後から迫る伊豆半島と本州の間に挟まれ、巨大な圧力を受けて隆起し形成されたものです。南海の底で安らかな日々を過ごしていたのに、自分の意に反して日本列島の内部にまで押し込まれ、もみくちゃにされていたなんて、まるで強権的な上司と言うことを聞かない部下に挟まれた中間管理職みたいですね。

以上のような経緯により、丹沢には丹沢層群という1500万年前の火山活動でできた凝灰岩の地層がひろがり、一方でサンゴの化石を含む石灰岩も見られます。また深成岩の石英閃緑岩や、これらが圧力によって変成された変成岩、結晶片岩、あるいは熱によって変成されたホルンフェルスなども存在します。丹沢の地質は、地殻変動の激しさのせいか、総じてもろく、関東大震災の折にはあちこちで崩落現象が起きています。丹沢って思ったより複雑ですね。

酒匂川石の元となる岩石は、このように形成されていきました。それが砕かれて川に落ち、石同士がこすれあって磨かれ、奇跡的に一定の質と形状を得たものが、一個の水石としてようやく私たちの手もとにたどり着くのです。

地球規模のプレート間のせめぎ合いがなければ、酒匂川石は存在することすらなかった。とても不思議だとは思いませんか? 一個の石を愛でるとき、山水の景情を連想するだけでなく、その石に秘められた長い歴史の変転にも思いを馳せてください。そうすることで、より鑑賞の興趣が高まることでしょう。
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