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相模国の秦氏 その1


酔石亭主の探石場所である酒匂川と相模川にはさまれた地域は、古来相模国と呼ばれていました。酒匂川石の生い立ちに関しては時代を数百万年もさかのぼり見てきましたが、神奈川県、つまりは相模国の歴史についてもちょいと目を通しておく必要があるでしょう。そしてあれこれ調べてみると、意外にも、この地の歴史は結構面白いものでした。

例えば、2月22日の富士絶景ビューポイントでも書きましたように、二宮の吾妻山には日本武尊と弟橘媛との悲話が残されています。古事記における景行天皇時代の記述が神奈川を舞台にしているのですから、これはかなり凄いことですね。

日本武尊と弟橘媛との悲話:日本武尊の船が浦賀水道に至り暴風で進まなくなったとき、妃である弟橘媛は海に身を投げて嵐を鎮めました。日本武尊は海辺に流れ着いた弟橘媛の櫛を吾妻山山頂に埋め、妻を偲んだそうです。二宮には弟橘媛の袖が流れ着いたとされる袖ヶ浦、袖を埋めたとされる梅沢(埋め沢)などの地名も残されています。

吾妻山
吾妻山山頂より富士。

現在神奈川県の中心は横浜や川崎ですが、相模国は神奈川県からこれらの都市を除いたほぼ全域に相当します。
ですから古代においては、相模川から酒匂川の間がその中心部と言えそうですね。

それにしても神奈川は、県名に川が付き、相模国一之宮が寒川神社、二之宮が川匂神社とかなり川に縁のある場所ですね。そして川から真っ先に連想されるものが水石です!(^^)!

神奈川という地名の由来は諸説ありますが、韓川、金川など半島からの渡来人に由来しているという説を私は支持したいと思います。現に朝鮮系渡来人の拠点があった大磯高麗山の裾を金目川(金という表記が朝鮮系を示しています)が流れ、上流にさかのぼると秦野、すなわち謎の渡来一族である秦氏の居住区に至るのです。

古代の神奈川は予想以上の渡来人の動きが活発でした。そしてなぜか気になるのが、この秦氏と言う一族です。

そこで秦氏とはどんな一族なのか、ざっと見ていきましょう。
京都太秦にある大酒神社の解説板によれば、彼らは秦の始皇帝の子孫で、応神天皇の御世に弓月王(ゆんづのきみ)に率いられて半島より渡来とあります。
当初は九州豊前国に居住し、天孫系の移動に伴って大和に入り、その後乙訓や深草などを経て京都の葛野に落ち着きここを本拠地としたようです。

歴史的には聖徳太子のブレーンだった秦川勝が有名で、伏見稲荷大社、松尾大社、蚕ノ社などは秦氏系の神社で、広隆寺は彼らの氏寺、また上賀茂、下鴨神社や日吉大社なども秦氏の影響を受けています。

彼らはその後も移動を繰り返し、東三河の豊橋辺りに上陸、本宮山、鳳来寺山の麓などに痕跡を残し、富士の麓へと至りました。AD800年に富士山は大噴火しますが、彼らは無事逃げ延び、船で大磯の海岸に上陸、金目川をさかのぼり秦野の地にたどり着いたものと推測されます。

秦氏が相模国に到来したのは海上ルートだけでなく、陸上ルートもあるはずとの声も出てきそうですが、それは次回、相模国の秦氏 その2で検討してみたいと思います。

豊橋:地名に豊が付くと秦氏との関連が濃厚です。東三河には特に豊の付く地名が多いですね。また鳳来寺山は徐福が探し求めた蓬莱に由来しますが、これもその音から豊来すなわち秦氏が渡来した地を指すものと考えられます。面白いのは、東三河の場合本宮山、鳳来寺山、石巻山があり、富士山麓の場合富士山、秦野の場合大山と、彼らはいずれも神体山を望む地に居を定めていることですね。

             ―相模国の秦氏 その2に続く―
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