鎌倉の谷戸を巡る その4


今回の谷戸には川名清水谷戸という名前が付けられています。グーグル画像では神光寺の東側の谷戸です。尾根の派出が短いので、神光寺から歩いてすぐ清水谷戸に入れます。ここは二つの支谷より成り、片方のどん詰まりは池となっています。

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清水谷戸に向かう途中で振り返ると、尾根の上にパークアリーナマンションが!!

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谷戸の案内板です。

書かれている内容は当然のこととして、それ以前に片瀬山の相当部分も含め、谷戸、谷戸の台地、平地部分、遺跡の全体を保全すべきだったと思います。自然景観と古代からの歴史が密接にかかわる場所なのに、実質一つの谷戸しか残せなかったのではどうにもなりません。

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ここは一応市が保全しているので、谷戸としての景観を残しています。

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同じく谷戸。

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横穴墳墓もあります。

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墳墓内部。奥が深く高棺座を備えています。

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崖にへばりついた樹木の根。
砂岩の崖では、根によっても少しずつ崩されていくでしょう。

谷戸の小道は舗装されておらず、評価できます。ウグイスの鳴き声が森から響き、空をトンビが旋回し、水を張った休耕田はカエルの声がうるさいほど。里山らしさが感じられますね。

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トンビです。

写真を撮るためサンドイッチを高く掲げてみたところ、上空を何度か旋回し、一度だけ頭上近くにまで迫ってきました。しかし、こちらが意図的にエサを出していると察知したようで、結局どこかへ飛び去って行きました。

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そして振り返ると、またしても別の巨大マンションが!!

谷戸にはおよそ似つかわしくない光景ですが、これが現代日本の現実です。

清水谷戸から振り返り見た巨大マンション方面へ歩を進めましょう。マンションの手前を右に折れ、台地の斜面の道を登ると東レの新館が左手に見えてきます。

1986年の東レ新館建築工事に伴い発掘調査が行われたそうですが、石器や住居跡など縄文から平安時代にかけての遺物や遺跡が発見され、川名清水遺跡と命名されました。1000年以上の長きにわたって、人々の生活の痕跡があるのですから、よほどここは快適な居住空間だったのでしょうね。また同様の遺跡や遺物が深沢高校建設の際も出土しました。

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東レ横の畑から見た清水谷戸。谷戸らしい光景です。

古代の土器などは畑地からよく出土します。これは常に掘り返されることで、土中の遺物が表面に上がってくる可能性が高いため。そう考え畑の畔を見ていたら、土器の破片らしきものが見つかりました。縄文時代の土器かどうかは小さすぎて判定できないのですが、場所的には土器の破片の可能性が強そうです。

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畑で見つけた土器の破片と、昔群馬で見つけた石器。

石器は群馬県のとある段丘の畑で拾ったものです。土器のかけらなど無数に表面に出ていました。川名の畑でこんな石器を見つけていたら、土器破片がほぼ縄文期のものと断定できるのですが・・・。

東レの研究所や深沢高校は片瀬丘陵から派出した比較的緩やかな台地上に位置し、近くに川あり山あり、川を少し下れば海ありと、古代の人々にとって実に生活しやすいエリアだったと思われます。よってこの場所には、旧石器時代から人々の営みが見られたのでしょう。なお、深沢高校から行政区分上は鎌倉市になります。

              -鎌倉の谷戸を巡る その5に続く-
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