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相模国の秦氏 その3


その2で秦氏は大月、藤野を経由してヤビツ峠を越えるか、愛川町方面を経由して秦野に入ったと書きました。一方で、秦野に入った秦氏が逆ルートで大月方面に向かったのではないかとの意見もあるでしょう。しかし酔石亭主は以下の理由により、彼らがヤビツ峠経由秦野に入ったと考えています。

まず藤野小渕には秦氏系の三柱神社があり、ここの祭神は唐土明神とされています。そして秦野の加羅古神社周辺には、「からこさま」が丹沢から山を降り秦野に着いたという伝承があります。彼らは村のために尽くしたので村人は神として崇めました。それが唐子明神社(加羅古神社)だとされています。この二つの神社を結べば、秦氏の移動ルートに重なってきますね。

秦氏は丹沢から山を降り秦野に至りました。そこで丹沢の主峰塔ノ岳を見ていきましょう。ヤビツ峠から丹沢の塔ノ岳に登るには尾根伝いを歩くのですが、まず二ノ塔があり、次に三ノ塔へと続いていきます。ちょっとおかしいと思いませんか? 普通なら一ノ塔から始まるはず。これは一体どうしたことでしょう? 

この謎も秦氏に関係がありそうで、調べてみたところ、一ノ塔の所在が判明しました。唐子明神社の縁起によれば、「むかし、毎夜山に光るものが現れ、不思議に思った村人が登ってみると、突然空に御神燈が光り、次に奥の山上に、また奥の山上にと光輝き竜馬に乗った神童が現れ神像を渡し祀るようにと云い、村人は最初に燈った山麓に加羅古神社を建立したという」とあります。

この縁起からわかりますように、一ノ塔(本来は一ノ燈)は最初に光が燈った加羅古神社を指しているので、峰の名に一ノ塔がなかったのです。
唐子明神社に伝わる伝承や縁起。それらは、秦氏一行が丹沢から降りてきた事実(夜になれば当然たいまつを掲げて歩くでしょう)を示すものだったのです。

また新編相模風土記には、唐子明神社に関して、昔唐土より飛来せし神なるを以って、唐子明神と号す・・・と書かれています。唐土より飛来した神とは、徐福の子孫を自称する秦氏のことだと思われます。

秦氏は唐土(出発地点はイスラエル)より朝鮮半島を経由して渡来し、後年富士山麓に定住しました。そして神社の伝承や縁起は、富士の大噴火後の彼らの移動を物語っていたのです。以上より秦氏は大月から藤野、丹沢のヤビツ峠を経由して秦野に至ったと考えてまず間違いなさそうです。

加羅古神社
写真は秦野市横野にある加羅古神社です。小さいながら端正な佇まいです。

扁額
扁額です。

解説板
解説板です。

解説の主文は一般的なものですが、付記に注目してください。古くは唐子明神と称し由緒や縁起について口伝や文書があって文人の関心の深い社である、と書いてあります。

ヤビツ峠
ヤビツ峠の写真です。

秦氏が越えたヤビツ峠ですが、峠名の由来は不明とされています。酔石亭主の独断でこれに漢字を当てると、八櫃峠となります。理由は次の通りです。
まずヤですが、これは神(旧約の神ヤハウェのこと)を意味します。また秦氏の神は八幡神であることから、ヤに八を当てるのは妥当だと思います。

そして秦氏は「契約の聖櫃」を日本に持ち込んだとされています。この仮説が正しいとすれば、ビツは櫃を当てるしかありません。よってヤビツ峠とは「神の櫃峠」ということになります。神である秦氏が苦難の末聖櫃を日本に持ち込んだという遠い記憶。それがヤビツ峠の名に反映されていると私は想像するのですが、いかがなものでしょう。

                  -相模国の秦氏 その4に続く-
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