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鎌倉の谷戸を巡る その15


今回は佐助稲荷神社です。銭洗弁天から佐助稲荷神社まではすぐの距離。

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鳥居と赤い旗が続く石段を登ります。

ここも銭洗弁天に負けず劣らず異界ムードたっぷりの怪しい雰囲気です。耳には木々の梢を揺らす風の音と鳥の声しか届きません。それは神域の静けさをより深めます。ところが視覚的には、真っ赤な鳥居と旗が石段に沿って続きます。言うまでもなくこれは興奮を誘う色。

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そして恐ろしい形相で睨むお狐様。つい身をすくませてしまいます。

安らかな気分と興奮、脅され畏まる気分。ここには、心のバランスを微妙に揺さぶる仕掛けが施されています。それによって人々は、いわゆる狐が憑いたような心理状態に追い込まれるでしょう。誰が、何の目的でそんな仕掛けを・・・???

そこで、次の四つの解説板をご覧ください。

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扇ガ谷のお稲荷様の解説板。(既にご紹介したものです)

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銭洗弁天の解説板。

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佐助稲荷下社にある解説板。

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佐助稲荷の解説板。

四つの解説板に共通するある特徴に気が付きませんか?そう、必ず隠れ里の老人(翁)が夢、現実を問わず出現します。これは何を意味するのでしょう?

まず翁が夢枕に立つとは、どういうことでしょう?

それは、対象となった人物(ここでは頼朝)が相手(翁)のささやきを無条件で受け入れてしまうような心的状態にあることを意味します。頼朝は翁によって一種の催眠コントロール下に置かれてしまった訳ですね。

人を心的コントロール下に置くにはどうすればいいのか。そこで、先ほど述べた相手の心の均衡を崩す仕掛けが必要となってくるのです。

今の私たちでも、銭洗弁天や佐助稲荷神社に行くと異界に迷い込んだような気分になってくるはず。皆さんのブログなどを見てもそのように書かれています。ここが異世界に感じられるということは、実はそのような仕掛けを受け入れやすい心理状態に既にさせられているということです。人は佐助稲荷や銭洗弁天のように閉じられた空間(=異界=結界)においては翁の出現や、狐の霊威を受け入れやすい心理状態になるのです。

佐助ガ谷自体が狭く閉ざされた空間で、その中に結界とも言うべき神社の閉鎖空間があり、人々の心理を揺さぶる仕掛けが施され、何でも受け入れる状態になった時点で翁がマインドコントロールを施す。もうおわかりですね。二重、三重の仕掛けが、全体では一つのシステムとして緻密に構成されているのです。

よって翁はマインドコントロールに必要なシステムを熟知し、極めて高度で特殊な能力(呪力)を有している人物ということになるでしょう。

隠れ里の翁について一つの結論に達したようです。佐助ガ谷には特殊技能あるいは特殊な呪力を持つ集団がいた。そして彼らの長老は、密かに源頼朝をマインドコントロールしていたか、それに近い状態にさせて相談に乗っていた。ではこの集団とはどのような連中なのでしょう?それを解明する前に・・・。

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佐助稲荷神社の本殿です。

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神域内には苔むした祠とお狐様が・・・。

おどろおどろしい雰囲気を醸し出すため色調整をしています(笑)。

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もう一枚。

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巨石の下にも祠とお狐様。

隠れ里の不可思議な異能集団。彼らの謎を追及するには、まず佐助稲荷と銭洗弁天の神について触れておく必要があるはず。扇ガ谷の稲荷神社は倉稲御魂神(うがのみたまのかみ)、銭洗弁天が宇賀福神(うかふくじん)、佐助稲荷神社が宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)。それぞれ名前は異なっていますが、同体異名で同じ神様(稲荷神)です。

そして稲荷系神社の総本宮は言わずと知れた京都の伏見稲荷大社。創建は秦氏です。ちなみに伊勢神宮外宮の豊受大神も、「受=うけ=うか」で同系統の神になります。とすれば頼朝は、秦氏の神(=秦氏の長老である翁)により心的コントロールを受け、またあれこれアドバイスされていたことになります。

そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、能の一流派である金春流中興の祖、金春禅竹(こんぱるぜんちく)は『明宿集』において、秦川勝は翁の化現であるに疑いなし、と記しています。また川勝について、流れる壺を人が取り上げると中に生まれた子がいて、「我(川勝)は秦の始皇帝の再誕なり」と言ったとの記述もあります。(京都大酒神社の解説板には秦氏の祖は始皇帝との記載あり)

ちなみに金春禅竹は川勝の四十余代後の子孫。この話と秦氏系神社である各神社の解説板内容をリンクさせれば、頼朝の相談に乗った翁とは秦川勝に象徴される秦氏系の長老であったと想定できるでしょう。

金春禅竹:応永12年(1405)-文明3年(1471)大和猿楽の流派を受け継ぐ能役者であり能作者。世阿弥の娘婿。秦川勝は大和猿楽の祖とされる。

次に隠れ里とはどのような場所でしょうか?そこは一般的に、何らかの理由で世の表から身を隠さねばならない集団が棲む場所。例えば政争に敗れた、戦に敗れ追手から逃れるため山深くに隠れた、といった事情が必ず背後にあります。平家の落人部落など、現代でも交通が不便の山の中にありました。

一方秦氏の場合、政争や戦で負けたような事実はありません。また隠れ里と言っても、佐助ガ谷では山を一つ二つ越えればもう鎌倉幕府の中枢に至ります。そんな場所が果たして隠れ里と呼べるでしょうか?

逃げ隠れした訳ではないのに自ら進んで身を隠してしまう。彼らは一体どんな理由でそんな事をしたのでしょう?筋がまるで通りません。秦氏の不可解で矛盾した行動。その背後には、尋常ではない事情が伏在していたはずです。

実は秦氏は平安時代以降歴史の表から姿を消し去ります。彼らが消えた事情の追及は別の機会に譲るとして、稲荷の隠れ里と姿を消した秦氏を繋ぐ回路がある以上、二つの稲荷系神社(=秦氏系神社)が護りを固める佐助ガ谷に棲みついた集団とは、秦氏の一族であったと考えるのが自然です。

その推測をさらに補強するのが、源頼朝が出会った白髭の老人です。白髭からは秦氏が関係しそうな渡来系神社白髭神社が連想されますし、加えて佐助稲荷などと似たような話が伏見稲荷大社と弘法大師空海の間にあるのです。

「稲荷神約」という東寺の縁起によれば、空海が当時の南大門で出会った稲を背負った老人が稲荷老翁という稲荷の化身で、真言密教を守護すると約したとあります。これは言い伝えに過ぎませんが、稲荷神は東寺の守護神で、空海と秦氏の間にはただならぬ関係があったと見てとれます。

武家の政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝と白髭の老人。真言密教の開祖空海と稲荷の老翁。両者の関係は実によく似ていますね。とすれば、佐助ガ谷に隠れた異能集団は秦氏と見てほぼ間違いなさそうです。

話は変わりますが、長谷の御霊神社には奇祭として知られる面掛行列という祭りがあります。毎年9月18日には鬼や異形、鼻長など奇妙な面を被った行列が街を練り歩くのですが、この祭りに関して次のような言い伝えがあります。

頼朝が隠れ里に行った際、里の娘に一目惚れしました。頼朝は見境もなく娘と契りを結び、彼女を妊娠させてしまいます。彼は人目を忍んで娘の許に通い続けるのですが、その際は里人がお面を付けて警護に当たりました。頼朝は秘密を守らせるため、里人に一日限りの無礼講を許したのですが、その名残が面掛行列とされています。

酔石亭主の推測では、この逸話も実は秦氏によって仕掛けられたもの。忍者の世界ではよく「くのいち=女忍者」が登場します。うぶな里娘の実体が女忍者のようなものだとしたら・・・、仮に翁のコントロールがうまくいかなくても、娘の手練手管と色仕掛けで身も心もとろけた頼朝は、相手の言うことを何でも聞かざるを得ない羽目に陥るでしょう。

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御霊神社。

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解説板。

祭りで使われる面の中で特に「異形」や「鼻長」は、到底日本人のものとは思えません。

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解説板の写真を拡大。三番面の異形と四番面の鼻長です。

これらの面は元々伎楽面であり、伎楽は言うまでもなく秦氏の芸能でした。大和猿楽の祖でもある秦川勝は、聖徳太子の命を受け伎楽・雅楽を一族の子供たちに学習させていますし、彼はまた田原本町の秦庄に秦氏の楽人を意味する秦楽寺を創建しています。

なお秦楽寺に関しては、まもなくご紹介予定のパワースポット伊勢神宮でも取り上げる予定。話がちょっとそれましたが、この祭りは頼朝と秦氏との深い関係を暗示しているようです。

次に地名から秦氏とこの地との関係を探ってみましょう。秦氏の京都における最重要拠点は葛野でした。では、相模国の秦氏で見てきたように、秦氏の居住区があった大月の桂川や葛野川と似た言葉がないかチェックしてみます。すると・・・、ありました。葛原岡です。地名からも秦氏の係わりが僅かに見えてきそうです。

ついでに葛の語源を見ていきましょう。葛は国栖で吉野にあった山の民の集落ですが、大友皇子に追われて吉野の国栖に逃げた大海人皇子(おおあまのおうじ、後の天武天皇)が蔵王権現の化身である老人の助けで追っ手の難を逃れています。(ここでも老人が出現!!)ちなみに蔵王権現とは釈迦の化身で修験道の本尊です。

そもそも吉野は修験道の地であり、事情のある人々が身を隠した場所。佐助ガ谷とそのありようは似ていますね。

佐助ガ谷の隠れ里は、追手を逃れた人々が隠れ棲む落人部落などとは異なり、脅すような狐の姿に象徴される、一般の人々が安易に近寄れない閉鎖的空間でした。

以上から佐助ガ谷は、政権の中枢に影響を及ぼし得る秦氏系の特殊技能集団(後代では非人とされてしまう)が居住していた、極めて特異な場所と見て間違いなさそうです。

彼らはある意図を持ち、遠い昔から各時代の有力者と接触、日本の歴史を陰で操っていたのかもしれません。秦氏の謎はますます深まるばかりです。

               -鎌倉の谷戸を巡る その16に続く-
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