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パワースポット探訪記 その6 伊勢神宮


ずいぶん遅くなりましたが、この項では先日訪れた伊勢神宮とパワースポットの関係について書いてみたいと思います。

パワースポットと言ってもそれを感じるのは人ですから、結局人と大地の交差する場所にパワースポットがあることになります。酔石亭主は、古代において伊勢の地に係わった人々と伊勢の大地の特性を探求することで、伊勢神宮がパワースポットとされた理由を得ようと考えました。取りあえず纏めてみたのですが、文章が相当長くなった点ご容赦ください。

さて、伊勢神宮の内宮に祀られている神は天照大神ですから、まずはこの神がどんな神なのかを「記紀」の記述から見ていきたいと思います。

アマテラス
古事記によれば、アマテラスが忌服屋(いみはたや)において衣を織っているとき、弟のスサノオが馬の皮を剥いで投げ落としたので、天の服織女(はたおりめ、急に機織りの女に変わっていますが、文脈から見て天の服織女=アマテラスでしょう)は驚いて死んだとあります。死んだアマテラスは天の岩屋戸(横穴墳墓)に入り、高天の原は闇に包まれました。そこで神々が協議し、アマテラスが岩屋戸から出ると高天の原は再び光を取り戻します。

日本書紀でもほぼ同じで、ワカヒルメ(=オオヒルメ)すなわち神に仕える巫女が死に、岩屋戸に入って後、太陽神アマテラスとして再生しています。ヒルメは日女とも書き、これは太陽神を祀る巫女を意味するので、卑弥呼(=日の巫女)のイメージにも重なってきます。

記紀における天の岩屋戸物語は太陽の死と再生を象徴したものであり、巫女が太陽神に変容する様が描かれていますね。

ところで、相模国の秦氏において、ミトラ神は西洋と日本を繋げる媒介のような神だと書きました。ミトラ神は冬至の12月25日に洞窟で誕生しますし、イエス・キリストの誕生日も12月25日。彼はゴルゴダの丘で磔になり、その日の午後全地は暗闇に覆われます。そして3日後、イエスは墓から復活するのです。

不思議なことにアマテラスとイエスの話はまるで同じですね。それを媒介するのがミトラ神とすれば、イエスとアマテラスはミトラ神を媒介として同じ神格を付与されたと考えられます。

岩屋戸に入る前のアマテラスは卑弥呼がイメージされ(あるいは神功皇后、持統天皇のイメージも重ね合わせ)、元になる実体が存在するものの、天照大神の場合はそれがなく、創作された神であろうと思われます。持統天皇以後明治天皇まで、歴代の天皇が伊勢神宮に参拝していないのは、こんなところに理由がありそうです。

また忌服屋とは清浄な服屋を意味しますが、忌の言葉にはどこか禁忌(タブー)的な匂いがあり、服屋(はたや)は秦屋すなわち秦氏に通じるものがあります。そもそも絹織物の原料は蚕の糸で、京都太秦には蚕の社(=木嶋坐天照御魂神社、ここにも天照が!!)という秦氏系の神社があり、さらに蚕はその変容する姿から死と再生の象徴とされています。

一方日本書紀によれば、秦酒公が全国の秦の民を集めて、絹を朝廷にうずたかく積んで献上したので禹豆麻佐(うずまさ)の姓を与えられた、とあります。

もうご存知のようにミトラ神は弥勒菩薩であり、国宝第一号の弥勒菩薩像を広隆寺に安置したのはかの有名な秦川勝。ミトラ神を媒介として西洋と日本を繋げアマテラスを創作したのは秦氏かもしれません。アマテラスの背後には死と再生を司る謎の一族秦氏の影が見え隠れしているようです。

アマテラスの流浪と秦氏
次にアマテラスが大和を出て、伊勢に遷座する間のいきさつを見ていきましょう。崇神天皇の御世、天照大神と倭大国魂神はともに宮中で祀られていましたが、神と共に住むことは畏れ多いとして、崇神天皇6年に宮中から外へ移すこととなりました。

アマテラスは豊鍬入姫命に託され、まず笠縫邑に遷座します。いわゆる元伊勢第一号ですね。それ以降アマテラスは各地を転々として、垂仁天皇の御世、ようやく伊勢の地に鎮座することになるのですが・・・、この説話は何を意味しているでしょう?

一般的には疫病を鎮めるために、外に出したということなのですが、それだけではなさそう。なぜなら、疫病については大物主が崇神天皇の夢枕に立ち、自分の子孫太田田根子に祀らせよと神託して、その通りにしたら収まっていますので、アマテラスが外に出ることとは関係がありません。

そこで、倭大国魂神とはどのような神かを見ていきましょう。この神は話の流れから三輪山の神大物主と同一と思われ、大物主の実像は物部氏の祖神ニギハヤヒとなります。ニギハヤヒの諡号は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしみたまにぎはやひのみこと)で、彼は男神のアマテラスと分かります。

崇神天皇は大和政権の実質初代天皇であることから、物部氏の祖神が太陽神で男神の天照では具合が悪いので、ニギハヤヒを単なる大物主神に落とし、太陽神の神格を女神の天照大神に付与して伊勢に流したと考えれば、歴代天皇が伊勢に参拝しなかったことも含め一応の説明は付くのですが、どうもすっきりしません。

ところでアマテラスが最初に遷座した笠縫邑とはどこなのでしょう?元伊勢一号の比定地は幾つかあるのですが、笠縫の名前が付いて天照御大神を祀る神社が奈良県磯城郡田原本町秦庄の秦楽寺境内にあります。この地はそもそも秦氏の居住区で、お寺に行く最寄り駅は近鉄笠縫駅。周囲には今も秦姓のお宅があります。これだけ状況証拠が揃えば、元伊勢一号は秦庄の笠縫としたいところです。

秦楽寺は秦川勝が創建したと伝えられる寺で、空海がここで修業し「三教指帰」を著しました。秦氏と空海の関係は相当奥深いものがありそうです。

またアマテラスは各地を流浪したのですが、その一つに菟田の筱幡、佐々波多宮が挙げられています。地名や宮名からして秦氏と関係しそうですが、元伊勢とされる場所の多くは秦氏の居住区でもありました。アマテラスの背後にある秦氏の影がますます濃厚になってきたようです。

ただ、なぜアマテラスが宮中から外に出されたのか、またなぜ各地をこれほど転々と移動しなければならなかったのかという問いに対する答えはなく、真相は依然として深い霧の中と言えるでしょう。

お伊勢参りの順序
皆さんも伊勢にお参りしたことがあると思いますが、その場合一定のルールがあることをご存知でしょうか?「津島参らにゃ片参り」という言葉が示すように、お伊勢参りの折には、愛知県津島市にある津島神社を参拝する必要があります。

内宮はその次でしょうか?いや、違います。伊勢に到着したら外宮を先に参拝しなければなりません。そして内宮という順となるのです。内宮を参拝すればそれで終わり、ではありません。

背後にそびえる朝熊山(標高555m)山頂付近にある金剛證寺にも行く必要があります。ここは伊勢神宮を背後から守る山で、津島神社同様、「伊勢を参らば朝熊をかけよ朝熊参らば片詣り」とされていました。

これら言い伝えの背後には必ず何か隠された事情があるはず。そこで酔石亭主も、この四カ所を順に行ってみました。(但し、津島神社は昨年行きましたので今回は訪問していません)

津島神社
津島神社の主祭神はスサノオ、古くは津島牛頭天王社と呼ばれ”牛頭天王信仰”の総本社です。では、なぜ津島神社をお参りする必要があるのでしょう?スサノオはアマテラスの弟だから、というのが最も簡単な説明でしょうが、事はそれほど単純ではないと思います。

スサノオを祀る京都八坂神社境内には疫神社があり、スサノオが疫神であることを物語っています。そして祇園祭の最中や、祭り以後は胡瓜を食べない、また祭りの以前には食べないといった地方によって異なる習慣があります。しかも初なりの胡瓜あるいは瓜には毒があるとされ、天王の祭には川へ流して疫病を避ける習俗が広く行われていました。

また津島神社には、「御葦放流神事」という背筋が凍るような恐ろしい特殊神事があります。その内容は別の機会に譲りますが、この神事においても、御葦流し以前は白瓜を食べてはならないとの禁忌がありました。そして『御葦放し』の最中は、津島の民家は全て灯火を消し静まり返ります。もし灯火をつけている家があれば白瓜を投げ込むのですが、その家は必ず凶事があると人々は恐れました。

これらは何を意味しているのでしょう?そう、スサノオは禁忌(タブー)に関連する神で、その象徴が瓜になっているのです。

伊勢神宮外宮
外宮の祭神は豊受大神。社伝によれば、天照大神が雄略天皇の夢枕に立ち、一人では食事が安らかにできないので、等由気大神(とようけのおおかみ)を呼び寄せて欲しいと告げられた。そこでこの神を丹波から遷宮されることになった、とのことです。

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外宮の解説板。

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外宮です。さすがに巨木が多い。

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外宮の有名なパワースポット「三ツ石」。

注連縄が張られ結界になっています。遷宮の際の川原大祓はここで行われ川原祓所と呼ばれていました。地震で埋まる前は宮川の支流が流れていたそうです。

豊受大神の「豊」は秦氏を意味する場合が多く、また「受=うけ=うか」で秦氏が創建した伏見稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)の宇迦と同じです。従って豊受大神は、秦氏の稲荷神の異名ということになるでしょう。丹波籠神社の由緒略記によれば、豊受大神またの名を天御中主神、国常立尊、倉稲魂命(稲荷大神)と云うとあります。ここでも秦氏の影が見えますね。

稲荷は狐に象徴されますが、今でもお年寄りはお稲荷様を動かすと祟ると言って畏れます。狐憑きや狐の霊験譚は全国各地にあります。稲荷神(=秦氏)もまた禁忌に係わる存在でした。

ところで、スサノオの禁忌を象徴するものは瓜でしたが、秦氏の稲荷神の場合は狐でした。瓜と狐。二つの文字を比べてください。似ていませんか?

そう、瓜に獣偏を付ければ狐になってしまいます。つまり、スサノオと秦氏は瓜と狐を介して同じような禁忌に係わり、しかも近しい関係にあるのです。

では内宮を見ていきましょう。内宮に関しては五十鈴川外写真撮影をしていません。

伊勢神宮内宮
宇治橋を渡るにつれ、周囲は緑に囲まれて、清浄な地に足を踏み入れている感触が高まってきます。やはりここは特別な神社なのでしょうか?

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五十鈴川です。

この川は御手洗川であり禊をする場所ですが、禊の文字に注目してください。分解すれば神との契約を意味します。つまり内宮に入るには事前に神との契約が必要となるのです。
ところで酔石亭主は、ミトラ神を媒介として西洋と日本が繋がってしまう、イエスとアマテラスは同じ神格を付与されたと書きました。とすれば契約する相手はミトラ神のはず。

では、ミトラ神はどこにいるのでしょう?当然内宮にいてもいいはずですが・・・、よく探してみてください。いましたね。皆さんの目の前に。御手洗川こそがミトラ神でした。御手洗川の手洗はどう読んでも「たらし」とはなりません。でもそう読むしかなかったのです。なぜなら、御手洗川=みたらし川=ミトラ神川で、御手洗川はミトラ神を意味していたからです。

内宮には心の御柱という柱があるのですが、それが何のためにあるのか現在では不明となっています。そこでこの柱はどのようなもので、どんな機能があるのか考察してみましょう。

日本語は大変面白いのですが、例えば金と銀を取り上げると、金(きん)が濁り価値が下がると銀(ぎん)になります。心の御柱もそれに類した読み解きをしてみたいと思います。

まず心ですが、この文字からは心(しん)=神(しん)=秦(しん)という連想が働きます。次に柱です。柱を分解すれば木と主。柱とは主である神が発する気(木)であり、同時にそれを受ける増幅装置のようなものと考えられます。ちなみに神である秦(しん)が濁ると人(じん)になりますね。

猿田彦神社
アマテラスを祀る内宮のすぐ近くには猿田彦神社があります。猿田彦は天孫降臨の折に道案内した神で、古事記に描写された彼の容貌は白人のようです。

そして猿田彦は道祖神でもありました。道祖神は外来の悪霊を遮る神で、辻、村境などに置かれますが、古来より村は村人たちの閉鎖的生活空間であり、村と外の境界が辻、辻の外側が神の空間である異界、という風に認識されていました。辻には、道祖神、山の神、庚申塔などが置かれ、辻には魔物がよく出没します。また村境は、神輿や盆の精霊送り、厄病送りの到達点で、害虫や疫病神などが放逐される場所でした。

猿田彦はまた石神、塞の神でもあり、旅行安全、防疫、縁結び、性などを司り、賽の河原で亡者を救う神にもなります。これら猿田彦の属性は皆、境界、限境を表します。

辻に魔物がよく出没するのは、魔物によって足がすくみ外に出られなくなるということですが、心理的には、ある境界を越えようとすると心的なタブーが起動し動けなくなることを意味しています。換言すれば、猿田彦は村を閉鎖空間として閉じ、村人を境から外に出させないという機能を持っていることになります。

猿田彦もスサノオと秦氏同様禁忌に係わる神であったのです。

伊勢神宮を見ていくとスサノオ、秦氏、猿田彦の呪縛三人衆にぶち当たる。それは一体何を意味しているのでしょう?疑問は一旦横に置いて、次に朝熊山の金剛證寺を見ていきましょう。

金剛證寺
この寺は欽明天皇の御世、暁台上人が伊勢神宮北東の鬼門鎮護の為、庵を建て修法したことに始まると伝えられています。寺の本尊は虚空蔵菩薩。天長2年(825年)、空海はここで『虚空蔵求聞持法』を修し、真言密教の大道場を築いて同寺の中興の祖となりました。『虚空蔵求聞持法』は記憶力の増進と錬金の法ですが、弥勒信仰と虚空蔵信仰はいずれも秦氏が担い手となっています。

それは、秦王国のあった豊前最古の寺が虚空蔵寺であったこと。宇佐八幡宮の神宮寺は弥勒寺ですが、その前身は虚空蔵寺であったこと。『虚空蔵求聞持法』を担ったのが秦氏系の勤操、護命、道昌であることなどからも窺えます。

空海が秦楽寺にて著した『三教指帰(さんごうしいき)』によれば、延暦11年(792年)19才のとき、彼は一人の沙門(秦氏の勤操という説が一般的)から『虚空蔵求聞持法』を伝授されました。

虚空蔵求聞持法:この法は、虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えて集中力・記憶力を高め、広大無辺の福徳・智慧を授かる秘法と、雲母や牛酥(ぎゅうそ=牛の乳を精錬した飲料、酒で、牛蘇でもある)を用いた不老不死薬を作る錬金術です。

呪縛三人衆に加えて超人空海がまたしゃしゃり出てきました。なぜここでも空海なのか考えてみましょう。各地に弘法清水と称される場所があるのはご存知ですね。彼は地中の水脈を感知する能力がありました。秦氏は特殊な能力を有する空海を自分の仲間に引き込んだ、と思われます。だからあちこちで秦氏と空海は交錯する。そう考えて良さそうです。

どうやら、北方にはスサノオ、鬼門には空海、すぐ近くには猿田彦、秦氏が集結し、その強い呪力で伊勢の護りを固めているようです。では彼らは何を護っているのでしょう?内宮に祀られる神、天照大神を護るのでしょうか?アマテラスは実体がベースになっておらず、観念の操作によって創作された神である以上、どうもそうではなさそうです。

中央構造線とパワースポット
またも疑問は横に置き、金剛證寺を後にして山頂展望台に向かいましょう。山頂付近からは伊勢、伊勢湾に浮かぶ島々、知多半島、伊良湖岬、渥美半島などが壮大なパノラマとなって見渡せます。
そして二見町の東端が神前岬です。岬から続くように、大村島、御前島、長山島、飛島、浮島、牛島、答志島、大築海島、小築海島、神島などが並んでいます。島の並び方が直線的で規則性があるように見えませんか?

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島が列をなして並んでいる写真。

実は島に沿って中央構造線が通っているのです。日本において中央構造線の姿がはっきり形になって見えるのは、ここだけでしょう。

伊勢湾から上陸した中央構造線は、何と外宮と内宮の間を走っています。日本最高の神社とされる伊勢神宮が伊勢の地にあるのは偶然ではありません。この神社は地中から強力な気が放射される中央構造線の上を選んで鎮座しているのです。

秦氏の謎
禁忌の神社に囲まれ、外宮と内宮の間を中央構造線が通るというのがこの地の特徴でした。伊勢神宮が日本屈指のパワースポットとなったのは、それが中央構造線上に位置しているからであり、中央構造線が発する気を感知できる秦氏がアマテラスを伊勢に遷座させたかならのです。

神である一族秦氏は、創作された神アマテラスをここに配し、周囲に禁忌を司るメンバーを配置して結界のように固めました。

禁忌とは忌避すべきものであり、人の目から何かを隠すために設定されます。とすれば彼らは、誰にも知られないよう、何か極めて重要なものを隠したと考えられないでしょうか?アマテラスが各地を流浪したのは、そのための最適地を見出すことが目的だったのかもしれません。

猿田彦の道祖神。その傍、青面金剛の足下には常に見ざる聞かざる言わざるの三猿がいます。これは何を意味しているのでしょう?日本にはやはり、見てはならない、聞いてはならない、言ってはならない秘密が隠されているのではないでしょうか?
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