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日本人の特殊性の謎を解く その1


日本から出た経験がないと気にはならないのですが、欧米やアジア系外国人との交渉や会食の機会が多かった酔石亭主は、彼らとの会話を通じて、どうも日本人は他のいずれの民族とも異なっているようだ、との印象を強く持つようになりました。彼らとのやり取りで、よく言われる日本人の特殊性という問題に直面した訳です。

自分の印象を確かめるため、日本人論に関する書物を20冊近く読んでみたのですが、この問題はかなり根深そうでした。例えば戦国時代に日本を訪れた宣教師は、日本人は他のアジアの国には見られない高い文化を持っているが、奇妙なことに全ての価値観が逆転している、と自著に記述しているのです。

500年以上も前から日本人の特殊性に関する議論があり、戦後になって、ルース・ベネディクトの『菊と刀』、土居健郎の『甘えの構造』、中根千枝の『タテ社会の人間関係』、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『人間を幸福にしない日本というシステム』など、さまざまな角度からこの問題が取り上げられてきました。

それぞれの本には、日本人は集団主義的だ、日本はタテ社会の国である、恥の文化が日本の特質だ、世間が個人より大切、日本は閉鎖共同体的なムラ社会である、日本には説明責任の中枢がない、日本人は自我が弱いなどの分析がなされてはいます。しかし、なぜ日本人がそうなってしまったのかについて、納得のいく説明はありませんでした。

日本民族は農耕民族だからとか、島国だからとか、鎖国を長く続けたからとか、大ざっぱな理由説明はあるでしょう。けれども、例えば英国も島国ですが、閉鎖的なムラ社会といった日本に見られる特徴はありません。

今まで納得のいく説明はないものの、日本人は確かに他の民族とは異なる特殊な性質を持っている。であればその背後には、人類進化と同様に、必ず明確な理由があるはずです。
そこでまず、既に議論がなされている内容を取り上げつつ、日本人の特殊性という現象の背後に何が潜んでいるのかを探っていくこととします。

以下は日本人の特殊性に関する既存の議論です。

ムラ社会
日本は農耕民族の国で四季の変化があるため、農産物の生産に当たっては村人が協力し合い事に当たる必要があり、集団の協調が重視され個人の権利や意見は無視される。協調のためムラには独自の儀礼、儀式、掟があって、掟に従わない村人は村八分という形で排除されてしまう。結果、非常に閉鎖的な村落共同体が出来上がり、それが下地となって日本人の特殊性が形成された、との議論があります。

しかし、例えば韓国も農耕が主体の国で村落共同体もありますが、日本のような閉鎖的共同体ではなく、開放型共同体となっています。とすれば、農耕民であるからいわゆる日本型ムラ社会が形成されたという議論には誤りがあります。

ムラの中でムラのために皆と一緒に同じようなことをしていれば、一定の快適さが確保される、ところが、独自の意見を主張したり、違う行動を取ったりすれば、すぐにソトへ排除されてしまう、こうした日本型ムラ社会の形成には、農耕民であったという以外の理由があるはずです。

タテ社会
日本ではちょっと前まで、トップに官庁がありその下に経団連のような経済団体があり、その下には各業界の団体があって、業界の下には個別企業、下請け、孫請けがありそのような構造が個人にまで貫かれていました。このような組織構造の中では、ムラ社会同様に皆と同一行動を取り、出る杭が打たれないよう気配りが必要となります。

日本の組織とりわけ官僚組織においては、個人の生活を犠牲にしても組織の調和を乱してはならないとされています。これを乱す人物は組織の和を乱す危険な存在として排除の対象になってしまいます。ですから、組織に調和させ服従させるための同調化圧力には凄まじいものがあるのです。

日本の官僚にとっては、自分の属する組織とその決定・利益が全てであり、個人の意志や考えが介入する余地はありません。しかも、前例主義や儀式、儀礼といったものが重要視され、結果、みんなが横並びを旨として、もたれ合い、受身になってしまいます。そんな組織の中で、例えば薬害エイズみたいな問題が出れば、組織を傷つけないよう、全員が一丸となって隠蔽し、先送りするのです。

世間
世間様に申し訳ない。世間に顔向けできない。そんなことをしたらお天道様の下を歩けない。などという言葉が昔からあります。これは、自分の行動が他者(世間、社会、企業)という外からの強制圧力を受け、それに支配されていることと一般には考えられています。

現在でも新聞・テレビなどで、日本で起きたことに関する海外の反応がよく取り上げられます。某前首相がloopyなどと海外メディアに書かれると、国内メディアが一斉に取り上げ大騒ぎになるのもその一例でしょう。私たち日本人は、外部からどう見られているのかが異常に気になる性質を持っているのです。

説明責任の中枢がない
外国人が日本人と交渉する場合、誰が決定者なのか最後まではっきりせず悩んでしまうケースがしばしば見られます。日本は責任の所在が曖昧であると彼らは思ってしまうでしょう。また官庁でも同様で、外国企業が日本に進出しようと思うと、あちこちたらい回しされ時間ばかりが過ぎてしまうのです。

上記のような日本人の特殊性に関する既存の議論から浮き彫りになってくるものがあります。それは、日本人にとっては個人より集団や組織の方が重要だ、ということです。しかし、本当にそうでしょうか?誰だって自分が一番大切なはず。自分が大切なはずなのに、個人よりも集団や組織を重視するというのはまるで矛盾しています。ではどう考えればこの矛盾を解消できるのでしょう?
 
矛盾を解消させるため、ある仮説を立ててみたいと思います。

それは、日本人は自分がないから個人より組織が重要になる、という仮説です。自分がない中で、自分の存在を保持するにはどうしたらいいでしょう?そう、強固な集団や組織を構築し、それに依存し、身を置いて、自分の存在を保持・確保させるしかありません。

何らかの理由で集団や組織が崩壊したり、集団から外れたりしたら、自分を保持できなくなってしまう。その恐怖心から逃れるため、ウチとソトを厳しくわけ、集団が崩壊しないように内部を強く固め、自分が集団から外れないよう集団のルールを厳しく守り、皆と同一行動を取る、といった意識や行動が発生してくるのではないでしょうか?

集団の掟を破るのは、自分の存在理由の崩壊に繋がる極めて危険な行為と見做され、一種のタブーとなるのです。従って集団の中で自己を主張する、自分独自の行動を取る、つまりタブーに触れる人物は排除の対象になってしまう訳です。日本人が集団や組織の意向に反する言動を取れず、個人の信念や意思を放棄させられ、自分の属する集団の意向や利益に反する異分子がいたら排除してしまう理由は、ここにあったのです。

以上より、日本人は自分がないから、強固な集団や組織を構築しそれに依存するしか自己を保持することができなかった。その結果、個人よりも集団を重視するしかなくなった、という仮説は論理的に正しいことになります。自分を抑え組織に従うのは非常に無理がありストレスが多くなりますが、(本音と建前という議論はここから発生します)自分の存在を保持するための万やむを得ない措置なのです。

現代においても、学校での特定の生徒に対するイジメや無視、公園デビューの奥さんが受ける嫌がらせなど、集団やグループへの忠誠と排除の例が見られますね。

ということで、上記の仮説をベースにして今後の議論を進めて行きましょう。それにしても、日本人の心の内部で、心理的にはやたら複雑で無理な操作がほとんど無意識裏に行われていると思いませんか?

         ―日本人の特殊性の謎を解く その2に続く―
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