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鎌倉の谷戸を巡る その18

鎌倉の谷戸を巡る
06 /23 2010

鎌倉の地名由来の項と同じルートで『鎌倉の谷戸を巡る』を書いてみます。一粒で二度おいしいですね(笑)

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御霊神社への参道角にある力餅屋さんです。江戸時代創業の老舗とか。

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自宅側のポストがアジサイに囲まれ、いかにも鎌倉らしい。

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江ノ電の定番スポット。御霊神社の前から。

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もう一枚。

ところで、鎌倉の地名由来で由井の民は産鉄・鍛冶集団と書きましたが、秦氏とは断定しませんでした。秦氏は、土木建築、養蚕、機織り、猿楽や伎楽などの芸能、醸造、陰陽道、鉱山、仏教などあらゆる分野に係わっており、正に古代の総合商社の感があります。従って、産鉄や鍛冶に一定の関与はあるとしても、それを専業とする専門商社ではないでしょう。

御霊神社の面掛行列からも、それが窺えます。この行列には秦氏系の伎楽面だけでなく、火吹き男(ひょっとこ)が登場します。実物は見ているのですが写真撮影禁止なので、残念ながら写真でご紹介できません。

しかしひょっとこ面は、誰でも一度は見ているはずで、幾つかの特徴があります。まず、そのほとんどが口をすぼめていることです。タタラ以前の原始的な製鉄においては、火男(ひょっとこ)が火吹き筒を吹いて送風していました。ひょっとこの口をすぼめた面には、より古い製鉄の姿が投影されていたのです。

もう一点の特徴は、多くの場合面の片方の目が閉じられていることです。これは溶鉱炉の温度変化を見るため、一方の目を瞑り片方で炉の穴を見ていること、あるいは、このような作業を続けることで目を痛め、片方を失うことに由来しています。

以上より、面掛行列には秦氏系の要素と産鉄系の要素の両方が入っていることになります。産鉄系の要素が入ったのは、御霊神社の所在位置が由井の里に非常に近いこと、また秦氏系と産鉄系の間には一定の関係があったことによると思われます。

御霊神社の祭神鎌倉権五郎景政は奥州戦において右目を射られます。彼が傷ついた目を洗ったところ、そこに棲む魚が片方の目を失ったという伝説があります。この話が産鉄民と結びついて、権五郎は産鉄民が祀る神になったのでしょう。

『古事記』の天の石屋戸の段では、天の金山の鐡を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求ぎて、云々と鍛冶に関する記述が出てきます。

また『先代旧事記』天孫降臨の段では、物部造等の祖、天津麻良(あまつまら)と記載あることから、産鉄・鍛冶集団は物部氏系と考えられます。ただここまで時代が下ると、秦氏も同様ですが、どの職能はどの氏族と言った区分けができにくいのでは、とも思います。

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虚空蔵堂の旗です。

お堂の横には星月夜の井というロマンティックな名前の井戸があります。解説板には行基は井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い云々とあります。

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井戸の解説板。

行基は何を見たのか考えてみたいと思います。虚空蔵堂の解説板では、星月井に明るく輝く明星の光が移る云々とあります。光る石だの星だの明星だのとくれば、北斗七星の妙見信仰や北辰信仰が入り込んでいるに違いありません。虚空蔵堂では道教、陰陽道、仏教などがごった煮状態なのでしょう。ただ、信仰心が強いと、自分が見たいと念じたものが見えてしまうというのはありそうです。行基の場合はそういったケースだとしておきます。

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成就院から見下ろす由比ヶ浜。この季節定番の光景です。

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稲村ケ崎の断崖。手前には大量の海藻が。

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稲村ケ崎の洞窟。波の力で自然にできたものではなさそう。奥が深いです。

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こちらと繋がっているのでしょうか?

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これは砲台の跡?

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極楽寺駅と江ノ電。

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極楽寺川上流部。

谷戸巡りではなく、観光案内みたいになってしまいました(笑)。

           -鎌倉の谷戸を巡る その19に続く-
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酔石亭主

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