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歴史に秘められた謎を解く その1


『日本人の特殊性の謎を解く その4』に『歴史に秘められた謎を解くに続く』と書いてからずいぶん時間が経過してしまいました。理由は、どう書き出すべきか少々迷ったからです。犯罪捜査に現場百回という言葉があります。この言葉は、現場に行けば小さなものかもしれないがヒントがある、行かなければとんでもない間違いを犯す可能性がある、ということを意味しているのだと思います。

翻ってこれから書こうとしていることは、シュメールだのイスラエルだのと現場には行けない内容ばかりです。実は、鎌倉の地名由来を考える、においても現場を見ることの重要さを痛感させられました。鎌足稲荷神社の存在は知っていたのですが、ここに足を運んではいない段階で鎌を埋めた場所は鶴岡八幡宮と記事に書いたのです。その後何となく気になって、急きょ鎌足稲荷神社に行ったのですが、解説板にここが鎌を埋めた場所であるとする内容が記載されており、愕然としました。現場に足を運んでいなかったために見落としがあったのです。

もちろん、解説板の内容が絶対ということではありません。しかし、物的証拠がほとんどない中で何かを検証していく場合、このような伝承が伝わっていることは無視できず、非常に重いものがあります。このため、鎌を埋めた比定地が二カ所ある矛盾をどう解いていくか、あれこれ考えざるを得なくなりました。しかしその作業のお陰で、続編で書いたように、新たな視点を得ることもできました。やはり現場を踏むのは大切なのです。

ですが、これから書いていく内容は現場を踏めない以上、過去にある議論も参考にしつつ、推論と仮説を積み重ねるものにならざるを得ません。結果鎌倉同様の見落としや判断ミスもあるでしょうし、ご指摘を受け後で訂正することがあるかもしれません。このようなケースが出た場合は、酔石亭主の力不足ということですが、ご寛容いただければ幸いです。

あれこれ考え尻込みしているだけでは、何も前に進みません。アインシュタインの特殊相対性理論は、彼が宇宙の果てまで行って見つけ出したものではないはずです。それを励みとして、とにかく書き始めることにしました。


世界最古の文明はシュメール(スメル=須弥)で始まりました。シュメール文明はある日忽然と姿を消してしまうのですが、その文化はイスラエルに接続していきます。『旧約聖書』のノアの方舟は、イスラエルに大洪水を引き起こす大河などないことから、シュメールのティグリス、ユーフラテス川の氾濫による大洪水伝説が元になっていると考えられます。またバベルの塔はメソポタミアのジッグラト(聖塔)がその原型であり、イスラエルの祖であるアブラハムは現在のイラク南部ウルに居住して、シュメールの女を妻にしています。イスラエルの原点はシュメールにあったと言えるでしょう。

シュメールと旧約の神ヤハウェ。この両者の情報は長い年月の後、古代の日本にまで伝えられたと考えられます。そう聞いただけでトンデモ説だと決めつける方もおられるでしょう。しかし、およそ10万年前にアフリカを出た現生人類(ホモ・サピエンス)は、技術も文明も未発達な状態であったにもかかわらず、大地溝帯に沿って移動しイスラエル近辺に進出、世界中に広がりました。それよりはるか後代の、文明も技術もある彼らが、日本にまで到達できないと決めつける方が間違っているとは思いませんか? (もちろん現生人類が世界に広がったことをもって、シュメールとイスラエルの民の日本渡来を証明できる訳ではありません)

また同時に、日ユ同祖論のように、日本とイスラエルが同祖だと主張するつもりもありません。長い時代スパンで見れば、人類は20万年前にアフリカにいた一人の女性の子孫だそうですから、人類みな兄弟ということになってしまいますが、その議論も横に置きます。

ちょっと待て、日本人とユダヤ人やイラクの人たちとでは容貌も容姿もまるで異なっている、それはどう説明できるのかという意見もあろうかと思います。この意見に対しては次のように答えたいと思います。(そもそも古代イスラエルの民と現在のイスラエルにいる人たちは人種的にはまるで別物です)

彼らが渡来する過程で当然のことながら中央アジア、中国、朝鮮半島などの違う血が入り、日本においても混血が繰り返されて、容姿・容貌は元の姿とは異なってくる。しかし彼らの思想や文化は受け継がれる、と。

長い年月の経過により姿・かたちは変わるでしょう。しかし文化や風習は時代を超えて受け継がれていく。日本に対するシュメールやイスラエルの影響も、そのような視点に立脚して書いてしていくつもりです。

ところで世界最古のシュメール文明を担った民はどこから来たのでしょう?残念ながらそれは謎とされまだ確定していません。ただ彼らは、巨丹(ホータン)からメソポタミアに到来した民だという説があります。酔石亭主はこの説が正しいと思うのですが、その解明はまた後の話とします。

巨丹:現在の中国新疆ウイグル地区の和田がその場所です。ここは崑崙山脈の麓のオアシス都市で、ホータンの玉と呼ばれる軟玉ヒスイを産出し、現在相場は高騰しています。

シュメールの文明は海上ルートと陸上ルートの二つの経路で日本に流入しました。まず海上ルートを見ていきましょう。メソポタミアからペルシャ湾とオマーン湾を抜ければ、もうインダス川の河口に達します。この中下流域にはインダス文明が発展しました。そこからインド度亜大陸に沿って南下し、突端で北上すれば、東南アジアは目と鼻の先です。

そしてベトナム中部へ至ると、チャンパ(林邑)があります。チャンパは、太平洋に広がった海洋系のオーストロネシア語族であり、とても古い民です。

このように、チャンパは印度に繋がり、インドはシュメールに接続していくのです。一方、チャンパから百越と呼ばれた中国南部を陸沿いに北上し、長江河口付近から黒潮に乗れば、朝鮮半島経由か、または直接日本海方面に上陸できるでしょう。他には長江から陸路朝鮮半島に渡る方法もあります。

そこで、シュメールとインダス文明を接続してみましょう。インダス文明の特徴は通常なら必ずあるはずの神殿や軍事施設がなく、大きな倉庫があることです。では、なぜ神殿がなかったのでしょう?神殿がないのは、宗教と政治権力の中心がなかったことを意味します。その前提で、インダス文明の時代に宗教と政治権力が存在していた場所を考えれば、メソポタミアのシュメールしかありません

モヘンジョ・ダロはシュメールの交易拠点でしたから、神殿や軍事施設は不要だったのです。事実ウルのサルゴン王(紀元前2360年~2305年)の時代を示すメソポタミアの遺物の中には、インダス文明の印章も含まれています。シュメールとインダス文明の関係は学会でも定説になっているのです。これで、シュメール人がインドまで到来したことはご納得いただけると思います。

次にインドから東南アジアです。大野晉氏の研究によると、日本語はオーストロネシア語にインド南部ドラヴィタ人のタミール語が被さっているそうです。彼らはインダス文明を担った一団であり、その言葉が日本語のベースの一つになっているのです。とすれば、インダス川河口に到来したシュメール人が、ドラヴィタ人の支援を得てインド亜大陸を南下、チャンパに渡来し、中国大陸を経由して日本にまで至る可能性は高いと言えましょう。

またベトナムの創世神話には例の角を持つ神農が出てきますし、紀元前800年ごろから始まるドンソン文化(青銅器文化)は中国、台湾、朝鮮、日本、インドシナ、マレー半島まで広がりを見せています。さらに紀元前後にはインドと古代ローマとの交易が盛んになり、インド人の航海者は金や香料を求めて東南アジアへと来航しています。

ベトナム・アンザン省のオケオ遺跡(紀元2世紀~6世紀)からは古代ローマのマルクス・アウレリウス帝の肖像が入った金貨やガラス、装身具まで発見されています。しかもベトナム中部で発見された東南アジア最古の石碑文には、チャンパに建国者とされる王の名が登場するのですが、その名前は何とシューリーマーラ王で、シュメールのシュが入っています。

上記は海上ルートですが、陸上ルートはもっと簡単です。後代シルクロードと呼ばれたルートを辿ったのです。主たるルートは西域南路。彼らは父祖の地である巨丹に入り、西域南路を東に進み、漢の時代でいえば長安があった地方に入りました。続いて、中国大陸を横断し泰山近辺から海岸線に至り、朝鮮半島を経由して日本に渡来したのです。以上が、シュメール人の日本への渡来ルートとなります。

もちろんこれだけでシュメール人やイスラエルの民の日本渡来が証明された訳ではありません。引き続き様々な角度で論証したいのですが、問題は、彼らの渡来を示す物的な資料や証拠がないことです。もし日本の古墳からシュメールやイスラエルの言葉で書かれた粘土板でも出土すれば決定的な証拠になるでしょうが、その可能性は当面なさそうです。従って、日本や世界各地に残されているかすかな痕跡を手掛かりにして細い糸を手繰っていくしかありません。

さて、イスラエルからの渡来民であるとされる秦氏は、大酒神社の解説板によれば始皇帝の子孫となります。また彼らは徐福の子孫であるとも自称しています。それが真実か否かはさておいて、少なくとも秦氏は中国大陸から朝鮮半島経由で日本に到達していることは間違いないでしょう。中国からイスラエルの間は相当な距離があります。しかし彼らにとって、中国とイスラエルの間を繋ぐのは、兄貴分であるシュメール人の足跡を辿るだけですから比較的簡単だと思われます。


          ―歴史に秘められた謎を解く その2に続く―
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