FC2ブログ

歴史に秘められた謎を解く その5


スサノオの伝承をあれこれ調べていくと、なぜか頻繁に胡瓜が出てきます。これは、どうしてでしょう?蘇民将来譚で巨丹が出てきましたので、スサノオ族が少なくとも西域に関係する一族であることは確かです。この視点から胡瓜を見ると…、そう、胡瓜は中国の西方が原産の野菜です。胡瓜はスサノオを西域に結びつける鍵のようなアイテムかもしれません。ということで、胡瓜について見ていきましょう。

胡瓜の原産地は北部インド、ネパール辺りとされ、西アジアでは、紀元前千年頃から胡瓜を食用として栽培していました。中国に広まったのは、漢の武帝の時代で、武帝から西域諸国に派遣された有名な探検家・張騫(ちょうけん)が持ち帰ったものとされています。しかし胡瓜の中国への伝来は、実際には、張騫よりかなり以前だと思われます。

日本では、縄文や弥生時代の遺跡の中から、胡瓜の仲間のマクワウリ、夕顔、瓢箪の種子が出土しています。また、胡瓜の『胡』という文字自体がペルシャ方面を意味しています。たかが胡瓜と思っても、その背後には様々な歴史がありそうです。

日本における胡瓜の記録は、黄瓜の名で天平年間に出てきます。そして、胡瓜とスサノオとの間には密接不可分な関係がありました。八坂神社の神紋はなぜか胡瓜です。これに対しては、八坂神社の紋は木瓜(もっこう)で、胡瓜ではないと反論が出るでしょう。

しかし酔石亭主の観点からは、木瓜ではなく胡瓜とすべきです。理由は次の二つ。まず、木瓜紋は胡瓜の切り口から案出されていること。次にスサノオ系の神社や祇園祭には、胡瓜にまつわる話や言い伝えが実に多いこと。以上から、この紋は木瓜ではなく、胡瓜であると断定できるのです。

そして、スサノオと胡瓜の関係が偶然ではなく必然なら、そこには有意性があるはず。胡瓜はシュメール陸上系であるスサノオが、西域から中国、朝鮮半島を経て、わざわざ日本に持ち込んだとは考えられないでしょうか?自分が特別大切にしていて持ち込んだから、その記憶を留めるため紋にした、そう考えるのが自然ではないかと思えます。

一方で奇妙なことに、祇園祭の最中や、祭り以後は胡瓜を食べない、また祭りの以前には食べないといった地方によって異なる習慣があります。しかも初なりの胡瓜あるいは瓜には毒があるとされ、天王の祭には川へ流して疫病を避ける習俗が広く行われているのです。

胡瓜はスサノオを西域に結びつけるだけでなく、蘇民将来譚と同様に、祟りや疫病にも関係していました。いかがでしょう。たかが胡瓜されど胡瓜ですね。

話は飛びますが、胡瓜を大好物にしているのが他にもいるはずですね。……わかりませんか?では、ヒントを差し上げましょう。この場合、人間に限定する必要はありません。

もうおわかりですね。多分、ある架空の存在が心に浮かんできたのでは、と思います。そう、河童です。河童は大相撲のところで既に書きました。以下はその内容をもっと詳しく書いたものとお考えください。

皆さんが河童に抱くイメージはどんなものでしょう?頭の上にお皿があって、水が溜まっている。水がなくなると死んでしまう。河童ことを、カワタロウとか、ヒョウスベとも呼ぶ。河童は相撲や胡瓜が好きで、瓢箪が嫌い。人に悪さして尻子玉(内臓)を抜いたりする。馬を川の中に引っ張り込んだりもする。河童のイメージには悪いところだけでなく、いいところもある。川の水が溢れて堤防が決壊したとき、河童は村人の田畑を守った。そんなところでしょうか。

しかし、どうして河童にかくも多彩なイメージが付与されたのでしょう?次はそこを探らなければなりません。河童が胡瓜や相撲を好み、瓢箪を嫌う理由を検証すれば、巨丹から日本に到達したスサノオ族の動きが見えてくるはずです。

ということで、まず河童の起源を、中国と日本の伝承から探っていく必要があります。

もうご存知のように、河童のことをヒョウスベとも言います。ヒョウスベは兵主部と書き、大和には穴師兵主神社があります。それだけではありません。このすぐ近くには相撲神社もあるのです。

『兵主部』はもともと『兵主』という中国の武神を意味していました。兵主神とは漢の高祖が蚩尤(しゆう)を祀り、付けた名前です。蚩尤は武勇を好む半人半獣の神ですが、蚩尤戯は相撲を意味します。

蚩尤は、奇怪な姿をした怪物で、砂・石・鉄を食い、霧・雨・風を自由に操り、矛・戟・斧・盾・弓矢を次々に生み出せました。砂・石・鉄を食いとは、鉱山の開発を意味しています。風を操るのは製鉄の際、鞴(ふいご)で風を送ることを意味するでしょう。矛や盾を作るのは鍛治仕事になりますね。

蚩尤の特徴は残らず産鉄族のものであり、鉄を製造する漢族ではない異民族を表したものです。とすれば、蚩尤は西域から中国に渡来した神になります。そして、蚩尤=兵主は日本に入りました。以上より西域の異民族である蚩尤、兵主と河童は同族と考えられます。河童は日本独自の妖怪と思っていましたが、そうではなかったのです。

次に日本の河童伝承を見ていきましょう。長崎県北松浦郡田平町の伝承によると、河童のふるさとは、シルクロード沿いのパミール高原にある渓水の一つであり、タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流地帯に位置しているそうです。

ある日のこと、河童一族は西隊と東隊に分かれ、西隊は欧州方面へ、東隊は中国の東部を目指して出発、まずヤルカンド川を下り、楼蘭(ろうらん)を通過、4世紀(応神天皇の頃)になって蓮来島(ほうらいじま=日本)に渡ることを決意。苦難を乗り越え、彼らは日本の土を踏んだとか。

いかがでしょう?日本の伝承でも、一気に西欧まで関係してきました。河童の故郷ヤルカンドは、西域に位置し、具体的な年代まで示されています。ヤルカンド川は巨丹の西方約300kmに位置しており、河童と巨丹を軸にして欧州から日本までが直結し始めました。

けれども、河童とスサノオを同族と考える根拠がまだ薄いとの反論が出るでしょう。では次回で、河童とスサノオについて、背筋も凍る恐ろしい神事から検証してみます。

        ―歴史に秘められた謎を解く その6に続く―
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
06 | 2010/07 | 08
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる