FC2ブログ

千畳敷カールへ行きました その2


ミシャグジ神以上の難物が守矢家のモレヤ神です。ミシャグジ神と同体視する説もあるようですが、どう考えても別物と思えますし、日本の神にモレヤ神に相当する神を見出すことはできません。にもかかわらず御頭御社宮司総社は、神長官守矢屋敷に近い丘の上にあって、守矢家とは切っても切れない関係にあるようです。これはどう整理すべきなのでしょう?

守矢家が祖先神をモレヤ神として祀り(私的信仰)、それに地元の石神であるミシャクジ神が習合して現在の形になったと考えれば最も簡単ですが、守矢家の長い歴史と祭祀を考慮すると、それだけではとても片付けられないような気がします。酔石亭主としてはもっと奥深いものがありそうに思えるのですが…。

以前にも書いたと思いますが、洩矢の矢は也であり、蛇神でヤハウェ神のヤとする見方があります。また、御頭祭が旧約のイサク奉献伝承と酷似している点、神体山である守屋山がイスラエルのモリヤの山と同じ読みである点、死海と諏訪湖のいずれもプルアパートベイズンであり相似している点、イサクの次男であるヤコブは天使と相撲を取ったが、建御名方命は建御雷神と力比べをしてこれが日本における相撲の起源となっている点などを考慮すると、イスラエルとの関連を否定できそうにありません。

モリヤの山:神がイスラエルの祖であるアブラハムを導いた山で、ここでアブラハムは神に息子であるイサクを生贄として捧げようとしました。のちにダビデがモリヤの山にソロモン神殿を築きます。

建御名方命の相撲に関してはWikipediaより以下引用します。

建御雷神が大国主に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主は息子の事代主が答えると言った。事代主が承諾すると、大国主は次は建御名方神が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽の海まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。この建御雷神と建御名方神の力くらべが後に日本の国技となる相撲の起源となったと伝えられている。なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』での葦原中国平定にあたる部分に彼の名は見えない。

モレヤ神とイスラエルの関係に幾つかの根拠を並べてみましたが、この神はまだまだ謎が多いようで歯が立ちません。いずれにせよ、ほとんどの伝承が失われてしまった現状を考えると、将来にわたり謎が解かれることはないと思われます。

次の謎が水眼川(すいが)の蛙狩神事です。これは上社本宮毎年元旦の朝に、本宮前を流れる御手洗川で冬眠している蛙を捕え、神前にて小弓を射ってお供えするものです。どんなに寒い年であっても、蛙が獲れるため、七不思議の一つとして数えられているそうですが、まず川の名前が奇妙です。水眼とは一体何を意味しているのでしょう?

ネットであれこれ検索しても答えはありません。答えのない謎を考えるのが一番面白いのですが、酔石亭主の見解は次の通りです。

まず水眼ですが、訓読みすると「みずめ」となります。似た言葉に「みずち」があります。
以下Wikipediaより引用します。

蛟(みずち)は、本来は、竜の一種を表す漢字である。
日本では「みずち」の訓が当てられたが、ミズチ(古語ではミツチ)は本来は、八岐大蛇(八岐大蛇は川の神とされることがある)に代表される日本の水神、蛇神、龍蛇神である。ミズチのミズは水であり、チは霊的存在・霊力の意であるとされる。
日本においては、本来の意味の蛟も「みずち」と訓じ、ミズチと蛟は習合、混同される。ミズチには、蛟のほか、虯、螭などの漢字も当てられる。


すなわち水眼とは龍の眼を意味し、諏訪湖を水源として流れる川が天竜川であるのも、その傍証になるかもしれません。蛇に睨まれた蛙は恐ろしさに身が竦んで動けなくなります。そこにも何らかの寓意がありそうです。

ただ蛙狩神事の場合の龍とは、杖突峠に駆け登る龍脈すなわち中央構造線を意味していると考えられます。グーグルアース画像でも蛇のようにうねる谷筋が見られますね。龍脈の神に生贄を捧げ、蛇神が暴れ出さないように(地震が起きないように)祈るのが蛙狩神事だったと推測するのですが、いかがなものでしょう?

まだまだ諏訪大社の謎は尽きません。次は神長官守矢家の一子口伝で代々伝えられ、既に廃絶した蟇目(ひきめ)祈祷と鳴弦(めいげん)法です。諏訪大社における蟇目鳴弦は単なる悪霊退散の神事ですので別物と考えます。蟇目とは普段見慣れない言葉ですが、音を発する鏑矢(かぶらや)の一種です。

鏑矢、丹塗矢は秦氏の関連でも出現しており、非常に重要なアイテムです。蟇目という名前は空いている穴が蟇蛙(ガマガエル)の目に似ていることから名付けられたようですが、神事の名前に矢と蛙がともに含まれていることから、蛙狩神事と同系列の神事であると判断されます。

次の謎は神体山に関するものです。諏訪大社は神体山を宮山としており、守屋山は神体山とされておりません。これはどうなっているのでしょう?守屋山は守矢家にとっての神体山でしたから、モリヤ神が建御名方との戦に敗れ建御名方系の大祝により諏訪大社が成立した時点で神体山から外されてしまったと考えられます。

しかし、中央構造線が諏訪大社上社前宮の真下を走り、守屋山の足下を抜けて高遠に向かっている点を考慮すると、守屋山が真の神体山であるのは間違いないでしょう。

守矢家は中央構造線から発せられる気を感知できる一族だったから、糸魚川・静岡構造線で分断され気が一旦死んだ中央構造線が再び続いていく、すなわち気が再生するこの地に社を築き、様々な神事や祭祀を執行したのだと考えられます。Wikipediaも諏訪大社について以下のように記載しています。

本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。

記紀神話が伝えるところでは、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の長男である建御名方命が、国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。


面白いことに、通常はピラミッド型の遠くから見て目立つ山が神体山となっているのですが、守屋山は諏訪湖側から見てもどれがそうかさえはっきりしません。にもかかわらず守屋山が神体山とされるのは、その直下を中央構造線が走っているからに他ならないのです。

まだまだ諏訪大社については色々ありそうですが、そろそろ杖突峠に到着したようなので、次に進みましょう。

       ―千畳敷カールへ行きました その3に続く―
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
06 | 2010/07 | 08
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる