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日本に秘められた謎を解く その1


日本に秘められた謎を解くのは一筋縄ではいきません。まずは、日本にちりばめられた様々な謎を追うことから始めましょう。今日は東大寺のお水取りについて考えてみたいと思います。

以前、スサノオはスサの王と書きましたが、彼の名前には別の見方もあります。ス、シュはいずれもシュメールの崇高な神を意味しますが、スサノオをシュサノオに置き換えたらどうなるでしょう?そう、朱砂王で水銀の王となります。

朱砂は別名辰砂(しんしゃ)とも言います。ちょっと面白いと思いませんか。朱と書いた場合、シュメールとスサノオに関連するように見え、辰とした場合は秦で、秦氏に関連するように見えてしまいます。しかも、巨丹の『丹』は辰砂の赤を意味し、水銀との関連が推測されます。また水銀は不老不死の秘薬である金丹の原料で、既にご存知のように死と再生を象徴する最も重要な金属でした。

一方で水銀は水銀毒という害をもたらします。東大寺大仏の建立には金メッキを施す目的で大量の水銀が使用され、人々はその毒に長く苦しめられたそうです。水銀中毒に関しては以下Wikipediaを参照ください。

古代より錬丹術などで見られるように水銀は永遠の命や美容などで効果があると妄信されており、秦の始皇帝は永遠の命を求め、水銀入りの薬や食べ物を摂取していたことによって逆に命を落としたと言われており、他にも多数の権力者が水銀中毒で死亡したと伝わっている。
奈良の大仏建造の際、作業者の間に原因不明の病気が流行し死者が発生したと記録されているが、これは当時の金メッキが、水銀と金のアマルガム合金を塗布した後に加熱して水銀を蒸散させる工法であったため、作業者が水銀蒸気を吸引したことによる水銀中毒と考えられる。


スサノオ族は疫病を持ち込み殺戮された神と推定されますが、疫病と同質の害を引き起こす水銀の王でもあったのです。

さて、東大寺には有名なお水取りという行事があります。二月堂の修二会は、東大寺を開山した良弁の高弟である実忠により、大仏の開眼供養が催された同年の、天平勝宝4年(752年)から始まりました。お水取りでは、十一面観音に香水(こうずい)または閼伽(あか)と呼ばれるお水を供えます。

この行事で、実忠は神名帳を読み、全国の諸神を勧請したのですが、若狭の遠敷(おにゅう)明神は漁に忙しく遅れてしまいました。この神は、お詫びのしるしに十一面観音にお供えする閼伽水を送ろうと約束。その方法は神通力を発揮し、二月堂の下まで若狭の水を導き、大地をうがって白と黒の二羽の鵜を飛び出させるというものでした。

こうして、神は二つの穴から香水を湧き出させたのです。その場所は若狭井と呼ばれており、東大寺は遠敷明神の功績をたたえ、二月堂横に遠敷神社を祀りました。以上がお水取りの由来です。

この行事は誰でも知っている有名なものですが、その本質は、若狭側の『お水送り』を見ていかないと掴めません。お水送りは奈良東大寺のお水取りに先駆けて、神宮寺と遠敷川(おにゅうがわ)・鵜の瀬で実修されます。

行事は下根来(しもねごり)八幡宮での山八神事から始まります。供物の赤土饅頭をつけた棒で宮役が外陣の柱に山、八と書いて豊作を祈願。夜には、神宮寺本堂の回廊から赤装束の僧が大松明を振りかざす達陀(だったん)の行となります。次に、松明行列が鵜の瀬へ向かい、竹筒からお香水を遠敷川に注ぐ送水神事が行われます。

お水送りの行事は3月2日で、香水は10日で東大寺・二月堂の若狭井に届くから、奈良でのお水取りは3月12日になるのです。ところで、水のことをサンスクリット語で閼伽(あか)と言います。

『あか』から連想されるものといえば、『赤』。赤い色は神社や鳥居の色。それに水銀の原料である辰砂の朱色……。そして東大寺大仏の建立には大量の水銀が必要とされました。東大寺の初代別当良弁は若狭の秦氏とされ、水銀は良弁、実忠のラインで、大仏建立に使用する目的で若狭から運ばれてきたものと推測されます。これらを総合すると、お水取りが持つ裏の意味が次第に浮かび上がってきます。

遠敷川と遠敷明神はいずれも(おにゅう)と読み、小丹生のことです。丹生とは正しく水銀の原料である辰砂を意味しています。つまり、お水送りとお水取りの行事全体の裏には、水銀が隠し込まれていたのです。

お水送りの神事で使われる供物は、(赤土)饅頭です。達陀の行は(赤)装束の僧が行います。神宮寺を建立したのは、(赤)麿とされています。水銀を示す(あか)がさり気なく、行事に組み込まれていると気付かされますね。

水銀には真言密教の空海も関与してきます。空海は辰砂採掘の一族である丹生都姫から高野山を譲ってもらっただけでなく、彼らを資金面のスポンサーにしていました。高野山にしても、空海が巡った四国八十八ヶ所にしても、水銀の産地と直結しているのです。

中央構造線沿いある丹生大師は、774年(宝亀5)光仁天皇の勅願により、空海の師である秦氏の勤操大徳によって開創されていますが、奈良時代の和銅年間、ここで水銀が発見されています。唐から帰国した空海は、この地に七堂伽藍を完成させたそうです。水銀で秦氏、丹生族、空海が絡み合っているとわかります。

丹生族に関しては資料が乏しく実体がよく把握できません。一族の総本社である丹生都比売神社については以下Wikipediaを参照します。

丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社である。式内社(名神大社)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社となっている。別称天野大社、天野四所明神。日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社である。また、高野山と関係の深い神社であり、(以下略)

水銀の神である丹生都姫には、スサノオと胡瓜の関係と同質の話が『紀伊続風土記』や丹生総神主竃門氏の伝承に見られます。紀伊続風土記によると「6月晦日天野神主社人6人を率いてこの瀧に胡瓜を供す是より前胡瓜を食うことなし村中小児其供せし胡瓜食へは疱瘡軽し河虎(かっぽ)の患を免るとて皆是を食ふとそ」とあります。

胡瓜と河童が出てくることから、丹生都姫は水銀の王でもあるスサノオと同族あるいは支族で、その原料になる辰砂採掘担当者だった可能性も指摘できそうです。ただ、『紀伊続風土記』は江戸時代に書かれたもので、内容の信憑性は何とも言えません。

東大寺お水取りの行事で、当時の王権は若狭から水銀を簒奪しました。お水送りの遠敷(おにゅう=小丹生)明神は丹生族で、彼らはスサノオと関係のある一族と推定されます。スサノオが日本において疫神とされたのは、深刻な伝染病を持ち込んでしまったから、としか考えられません。河童、津島神社、東大寺お水取りの全てにその反映が見られます。

死と再生の象徴である水銀には、スサノオ、秦氏、丹生族、空海が係わっていました。空海が死んだのは水銀毒によるものだとの説もあるほどです。

そこで次回は空海について詳しく見ていきましょう。秦氏はあまり表に出ない一族であるため謎に包まれているのですが、その謎を探るには、彼らと親交のあった空海の軌跡と思想を探るのが早道だからです。

           ―日本に秘められた謎を解く その2に続く―
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