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日本に秘められた謎を解く その3


空海の日本における活動領域は、なぜか中央構造線に沿った地域が多いとされます。そして中央構造線沿いには水銀鉱山、丹生族、虚空蔵尊などが多く分布し、空海の関与も見られます。二、三例を挙げてみましょう。(以前の記事に書いた内容も含まれます)

渥美半島から伊勢湾を横切った中央構造線は、三重県の神前岬(こうざきみさき)に上陸します。続いて、伊勢の外宮、内宮の間を抜け、櫛田川に沿って西に向かい、紀ノ川沿いに紀伊水道へ出て、四国に入ります。

空海は、伊勢神宮の鬼門を鎮護する朝熊岳―この直下を中央構造線が走る―の金剛證寺で『虚空蔵求聞持法』を修行しました。また櫛田川沿いにある丹生大師は、宝亀5年(774年)、空海の師である勤操大徳によって創建されています。唐から帰国した空海は諸国を巡拝、丹生大師にも立ち寄り、弘仁6年(815)七堂伽藍を完成させました。ここからは、奈良時代の和銅年間(8世紀初頭)に、水銀が発見されています。そして高野山は、空海が水銀の女王である丹生都姫から譲られた地で、奥の院は丹砂を産するそうです。

紀伊半島に続く四国は空海の生誕地ですが、四国八十八ヶ所の中で、別格七番、八~十三番、四十六~四十七番、六十~六十七番は中央構造線上の銅山や鉱山に沿っています。また二十~二十一番、四十一~四十二番は水銀鉱山の近くにあるのです。

ここまでは既によく知られたことで特に問題はないのですが、空海の思想を考えていくと、なぜか本質的な矛盾に突き当たります。例えば、真言密教の根本は即身成仏にあります。即身成仏とは、厳しい修行により生身の体のままで悟りを得て、大日如来と一体化することを意味しています。つまり、空海の思想の中心には大日如来があるのです。

一方で空海は、即身成仏とは正反対の、他力思想的な弥勒信仰を重視しているようにも見受けられます。空海の「御遺告」には、自分の死後、兜率天に往生して、五十六億七千万年の後、弥勒とともに下生する―と記されているのです。

「御遺告」は後世の改ざんだとの説もあるのですが、空海の中に弥勒信仰があるのは間違いありません。すると妙なことになってしまいます。厳しい修行による即身成仏(=大日如来との一体化)と、衆生救済の弥勒信仰とは、水と油の整合するはずのない思想だからです。水と油の二つの思想は、空海の中でどう整理されているのでしょう。ここに大きな疑問があります。

また空海は、何度も書きましたように『虚空蔵求聞持法』をも重視していました。この法は、記憶術や不老不死薬を作る錬金術に特徴があります。

つまり、空海の中には大日如来、弥勒信仰、虚空蔵信仰とおよそ異なる思想・考え方が同居しているのです。

上記の三者は、空海の中でどのように位置付けられているのでしょうか?空海が奉ずる真言密教の中核は大日如来。一方弥勒信仰や虚空蔵信仰は、基本的には秦氏の思想です。空海の背後には秦氏の存在があるから、弥勒信仰と虚空蔵信仰が入り込んでいるとも言えるのですが、それだけでは説明がつきません。空海ほどの人物なら、自分の考えに整合しない思想を、たとえ相手が秦氏と言え重視するはずがないからです。

ではどう説明を付ければいいのでしょう。空海にとって、大日如来は宇宙全体を包含する真理であり、それ以上のものはないはずです。逆に空海が弥勒と虚空蔵を重要視すると言うなら、両者は大日如来を凌ぐ存在でなければなりません。そこで、空海にとって弥勒と虚空蔵は大日如来以上に重要であった、という観点から議論を進めていきましょう。まず検討したいのは、『虚空蔵求聞持法』についてです。

虚空蔵は、秦氏にとって極めて重要な思想である点に十分留意ください。それは、秦王国のあった豊前最古の寺が虚空蔵寺であったこと、『虚空蔵求聞持法』を担ったのが秦氏系の勤操、護命、道昌であることからも窺えます。

さて空海が著した『三教指帰(さんごうしいき)』によれば、延暦11年(792年)19才のとき、彼は一人の沙門から『虚空蔵求聞持法』を伝授されました。この法を学ぶことで、空海の人生は一定方向に自己展開を始めるのです。この地点が、空海にとって全ての出発点と言っていいでしょう。これ一つ取っても、虚空蔵が空海にとっていかに重要だったか理解できますね。

そこで、『虚空蔵求聞持法』の内容を見ていきましょう。この法は二つの大きな特徴を持っています。虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えて集中力・記憶力を高め、広大無辺の福徳・智慧を授かる秘法と、雲母や牛酥(ぎゅうそ=牛の乳を精錬した飲料、酒で、牛蘇でもある)を用いた不老不死薬を作る錬金術です。

彼は『虚空蔵求聞持法』を体得するため、必死になって四国をさまよいました。また秦氏の秦楽寺で修行し、『三教指帰』を著し、高野山では、死と再生を象徴する水銀の丹生族とも交流します。

ちなみに、伊豆の温泉地として有名な修善寺は空海が創建しています。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われたそうです。修善寺が創建された場所は桂谷で、流れる川は桂川、何と嵐山もあります。空海の行く先々には秦氏に関連するキーワードが出現しており、空海と秦氏の密着ぶりが窺えます。

さて、空海が唐語やサンスクリット語を理解し、唐の青龍寺で恵果から真言密教の秘伝を短期間に伝授されるには、『虚空蔵求聞持法』による記憶力の増進が不可欠でした。彼が長安に入ってから、僅か五ヶ月の間に、般若三蔵や牟尼室利(むにしり)からサンスクリット語を学び、マスターしたのは、この法を学んだ当然の帰結と見做すべきですね。

またそれが真言密教の奥義を究め、高野山を開山することにまで繋がっていくのです。空海が自分の人生を方向付け、豊な実を結ばせるためには―でも実は、それこそが秦氏の目的であったのですが―『虚空蔵求聞持法』をマスターすることが必須条件だったのです。

空海関連の書籍によると、『虚空蔵求聞持法』を授けたのは一人の沙門=秦氏の勤操(ごんぞう)だとする説があります。しかし僧侶にも二種類あります。自分で出家した私度僧と官許の僧です。沙門とは官からの許可を得ることなく自分で勝手に出家した僧を指します。

一方勤操はどんな立場の僧だったのでしょう?彼は奈良仏教の長老で、秦氏系の寺である大安寺の高僧です。とすれば、私度僧ではありません。勤操は空海が勤操から教えを受けたなら、勤操と書くべきだし、そうできない事情でもあれば、ある高僧とでもすべきです。ではこの問題を、どう考えればいいのでしょう?

この問題を矛盾のない形で再構成するには、勤操は表の秦氏であり、一人の沙門とは裏の秦氏であった、としたらいいのです。裏の秦氏である一人の沙門は、彼らの真の思想を体現した人物だったと推定されます。

一人の沙門は、この法が持つ真の意味を隠す必要がありました。それが平安期に明かされたとしても、誰も意味を理解できず、時代が早すぎると思ったのでしょう。沙門は、後世になり私たちが宇宙の姿をより詳しく知るまで待つつもりだったのかもしれません。またこの沙門は、自分の名や存在が表に出ることを極端に嫌ったはず。故に、空海に『虚空蔵求聞持法』を授けた人物は、自分の名を秘するよう空海に強く要請したのでしょう。

従ってこの人物は、空海の人生において一大転機となる存在であるにも拘わらず、一人の沙門とのみ記されたと推測されます。

現代の私たちは、宇宙の姿について平安期の人々より詳しく知っています。つまり秦氏の思想を理解できる段階に至っているのです。ということで、虚空蔵の本質に、言い換えれば秦氏の思想の中核に迫ってみましょう。

まず、『虚空蔵求聞持法』とはどんな思想だと思いますか?ヒントはもう出しています。虚空蔵とは、虚空すなわち虚無であり、蔵は蔵する保存するということです。

この法が持つ二つの特性は現代科学の知見に合致しています。ビッグバン宇宙論によれば宇宙は収縮と膨張を繰り返します。旧宇宙が収縮し消滅した後、ビッグバンによって新たな宇宙が開闢します。その際、新たな宇宙が自己展開するための設計図が必要となるはずですね。

旧宇宙の設計図すなわちデータは超空間に保存され、新たな宇宙の開闢と同時に起動します。虚空蔵とは、虚無なる宇宙空間に森羅万象のデータを保存する特殊な場。『虚空蔵求聞持法』の最も重要な本質とは、単なる記憶力増進法や、錬金術ではありません。その本質は、データを保存した特殊な場=虚空蔵にアクセスできる技術にあったのです。

虚空蔵こそが末来の記憶を保持する特殊な場でした。この秘法を学ぶことの真の意味は、世界の実相を悟ること。それは宇宙の輪廻転生、死と再生であり、これが『虚空蔵求聞持法』によって人間界に置き換えられると、不老不死薬の調整法の形を取るのです。またデータを保持するシステムを人に置き換えると、記憶力増進の秘法となります。


つまり空海は、『虚空蔵求聞持法』の表面部分について究極まで極めましたが、その奥の本質部分にまでは至っていなかったのです。秦氏にとって、空海がこの法の表面部分を知ることは、自分たちの目的を達成するために非常に重要でした。けれど、法の裏に隠された真の意味は、この時点では空海に悟られないようにする必要があったのです。次に秦氏の弥勒信仰を見ていきましょう。

注:秦氏の弥勒信仰と虚空蔵信仰に関する基本事項は、大和岩雄氏の『日本にあった朝鮮王国』(白水社)に詳しく記載されています。氏は秦氏研究の第一人者で、秦氏に関する基礎的な部分を学ぶには同氏の書籍を参考としてください。

密教思想と弥勒信仰は既に書いたように水と油の関係にあり、この相互に矛盾するものが、空海の中に同居しています。では、両者を統合する視点はどこにあるのでしょうか?

宇宙の設計図を保存する場が虚空蔵だと書きました。でもそれが保存されているだけでは、新たな宇宙として起動できません。新たな宇宙が起動するには、起動させるための媒介が必要となるはずですね。

その媒介こそが弥勒菩薩だったとは考えられないでしょうか。弥勒菩薩すなわちミトラ神は世界の神々を変容させ、また神々の媒介になる神だと以前に書きましたが、その本質はここにあったのです。

以上で大日如来、虚空蔵、弥勒菩薩の関係が明らかになります。空海の大日如来が宇宙を遍く照らし、万物の根源となるには、虚空蔵に蔵された記憶と、それを顕現させる媒介としての弥勒菩薩が必要だったのです。弥勒菩薩は、新たな宇宙の自己展開を解発する誘因(リリーサー=解発因子)でした。一方大日如来は、弥勒菩薩の媒介により新たに開闢した宇宙の自己展開であり、宇宙の原理そのものなのです。つまり旧宇宙が閉じ、ビッグバンによって再び開闢し、虚空に保持されていたデータが再起動して始まる再生宇宙の全過程は、虚空蔵、弥勒菩薩、大日如来の三者によって顕現していたのです。

言い換えれば、虚空蔵と弥勒がなければ、空海が奉じる真言密教の教主大日如来は存在できないのです。これで、空海にとって虚空蔵と弥勒が大日如来よりも重要だったことを証明できました。


なぜ空海は、死の直前になって、弥勒菩薩とともに下生する、と言ったのでしょう? そこに答えがあります。空海は即身成仏により、大日如来と一体になりました。もし大日如来が宇宙の究極の原理なら、大日如来と一体化した空海が弥勒菩薩とともに下生する必要はないのです。

それを弥勒菩薩とともに下生すると言ったのは……、空海=大日如来は媒介である弥勒菩薩なしには存在できないからなのです。そして、開闢後の宇宙において、宇宙の原理である大日如来から顕現し、流出したものが、我々のいる現象世界ということです。

空海は死の間際に、虚空蔵と弥勒の本質を秦氏から聞かされたのだと想像します。しかしその詳細を書き遺すことはできず、ここに重大な矛盾が生じました。秦氏は、後代の私たちが空海の矛盾する部分を検討することで、彼らの思想を解き明かせるように仕向けたのです。空海はその手駒に過ぎなかったとも言えるでしょう。

以上、空海における虚空蔵、弥勒菩薩、大日如来の三者が、秦氏を介在させることにより、矛盾することなく整合しました。

どうやら空海と秦氏の謎が、宇宙開闢の謎すなわち第一の世界が開けた特異点にリンクし始めたようです。全宇宙を包含する秦氏の思想は圧倒的な高さと広がりを持っていました。秦氏が持つ壮大な宇宙論。それは、空海の思想を遥かに凌駕するものだったのです。

          ―日本に秘められた謎を解く その4に続く―
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