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日本に秘められた謎を解く その10

日本に秘められた謎を解く
08 /16 2010

今日は伏見稲荷大社から入り、秦氏の謎を検討していきましょう。以下Wikipediaより抜粋します。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされる。宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神(しのおおかみ)を配祀して、五柱の神として祀るが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。
和銅年間(708〜715年)(一説に和銅4年(711年)2月7日)に、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まる秦氏にゆかり深い神社であるが、秦氏来住以前の原信仰が基礎となったとされる。和銅以降秦氏が禰宜・祝として奉仕したが、吉田兼倶の『延喜式神名帳頭註』所引の山城国風土記逸文(但しこの風土記は延長3年(925年)に編纂の始まったもの)には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下の様に記されている。


伏見稲荷大社に関して『山城国風土記』逸文には、餅を的にして(弓を射たので)餅は白鳥となり飛んでいったという説話が見られ、ほぼ同様の話が、秦氏の支配地域である豊後国の風土記逸文にも見られます。この説話には矢の存在が暗示され、矢は蛇神=ヤハウェ神を象徴しています。

そこで、伏見稲荷大社の特徴を見ていきましょう。この神社は日本における庶民信仰の頂点であり、お稲荷さんの総元締めとしても有名です。しかも稲荷社は、日本全国で3万2千社あるとされ、村々に配置された祠も含めれば数限りないと言えましょう。では、秦氏系や秦氏の影響がある各神社に似たようなものがないでしょうか?

宇佐八幡宮は武家にまで広がった八幡信仰発祥の地で、八幡社は全国に2万5千社。日吉大社は日吉山王信仰発祥の地で、全国3,800社の日吉神社や日枝神社の総本社になります。日吉社参詣といって天皇も何度か行幸しています。また上賀茂・下鴨神社は古い時代から葵祭りがあり、実に盛大なものでした。松尾大社は全国の酒造業者から絶大な信仰を集めています。

これらの事実は何を示唆しているのでしょう?秦氏系の神社はなぜか、天皇から貴族、武家、民衆など、日本の最上層から最下層に至るあらゆる階層にまで浸透しており、その数も天孫系神社と比べ圧倒的に多いのです。加えて、広く人口に膾炙した空海の弘法大師信仰や聖徳太子信仰までも、裏で秦氏が担った形跡があります。

秦氏の神社は日本全国を覆い尽くしていました。平安京遷都の後、自ら姿を隠してしまった彼らの動きと、秦氏系神社が日本を覆う現実との間には、相反するものがあるのです。では、この矛盾をどう整合させ、矛盾のない形に再構成できるのでしょう?またしても別の謎が出てきて、混乱は広がるばかりです。

秦氏の謎もほぼ出そろったようです。

日本人の特殊性の謎、すなわち日本人の意識構造が反転し特殊な性質を持った謎。(日本人の特殊性の謎を解く その3、4はぜひ事前にもう一度目を通しておいてください)
天武天皇が構築した二重仕掛けの体制の謎。
平安京の壮大な怨霊封じの仕掛けと、その仕掛けにも拘らず、魔界都市へと変貌した謎。仕掛けを作って後、秦氏がイスラエル十支族のように、歴史の表舞台から消え去った理由。
秦氏が平安京遷都以前に怨霊封じとは関係なく強力な防御網を構築した謎。
秦氏は消えたのに、秦氏系神社が貴族から武家、民衆にまで浸透したことの意味。


幾つもの奧深い謎が現れました。どれを取っても一筋縄ではいきそうにありません。けれども、これらの謎に対応する秦氏の仕掛けは基本的に一つだけのような気がします。つまり、一つの謎が解ければ後は芋づる式に、残り全部の謎が解かれていくのではないでしょうか?いよいよ秦氏が日本に仕掛けた巨大な謎を解くタイミングが到来したようです。

              ―秦氏の謎を解く その1に続く―

注:構想を練った上で秦氏の謎を書く予定ですので、しばらくお待ちください。その間は別の謎解きにも挑戦します。

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酔石亭主

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