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あの世はあるのか?

日々の雑感
09 /27 2010

ネット上の質問欄を見ていたら、あの世はあるのか、という質問に対してあるという答えが多数あって驚きました。もちろん個人としてそのような考えや信仰心を持ち、心正しく生きておられるのは素晴らしいことだと思います。

ただ、信仰心や心の持ち方とあの世の実在性はまた別の議論になるはずで、この問題を少しばかり考察してみることにしました。まず、あの世が存在するとした場合の疑問点を幾つか書き出してみます。

あの世が実在するのであれば、それはどこにあるのでしょう?地球を取り巻く空間上に霊的に存在するのでしょうか?あるいは、全く別の異次元に存在するのでしょうか?あの世があるなら、論理的にはこの世の前にも前世があったはずですが、そんな記憶はありません。だとすれば、あの世に行ってもこの世の記憶はなく、それがないなら自己意識の継続性もないので、あの世があってもないと同様にならないでしょうか?

あの世に気象変化はあるのでしょうか?花は咲いているのでしょうか?花が咲いているなら虫もいるのでしょうか?あの世は物理法則が支配しているのでしょうか、あるいは異なった法則があるのでしょうか?

あの世では物質的な楽しみや、エンターテイメントは何もないでしょうが、どう永遠に続く退屈をしのぐのでしょうか?霊魂だけになれば、目も耳も口も鼻もなくなりますが、口がなくてもあの世での会話は成り立つのでしょうか?食事をしなくても霊魂の栄養摂取はできるのでしょうか?耳がなくても声が聞こえるのでしょうか?

日本人のあの世と中国人のあの世は同じ場所にあるのでしょうか、それとも別なのでしょうか?あの世で殺人犯と殺害された人が出会ったらどうなるのでしょうか?あの世殺人事件が起きて、あの世で殺された側の人は、あのあの世にでも行くのでしょうか?この世で食べた牛の霊とあの世で出会ったら、この野郎よくも食いやがってと追いかけられないでしょうか?

この世で尊敬されていた人はあの世でも特別な地位が与えられているのでしょうか?現世で貧乏だった人はあの世でも貧乏なのでしょうか?要はあの世に現世と同じ階層があるのでしょうか?階層があるなら、あの世に行ってもかの国の将軍様はふんぞり返っているのでしょうか?

あの世でも人は衣類を着用しているのでしょうか?あの世ではもちろん衣類など必要ないはずで、誰もが裸だとすれば、もよおす人がいるのではないでしょうか?あるいは、魂だけになって性差はなくなっているのでしょうか?もやもやした魂だけなら、肉体に起因する気質の違いも消滅し、どれが誰の魂なのか分からなくなりそうですが、ちゃんと見分けがつくのでしょうか?

あの世では人間は永遠に年をとらないのでしょうか?あの世には自分の御先祖様がいるのでしょうか?いるとすれば、その先祖をずっと辿っていくとヒトとサルの共通祖先に行き着きますが、共通祖先にもあの世はあるのでしょうか?もっとさかのぼって、サルの祖先とされる白亜紀の哺乳類にもあの世はあるのでしょうか?

さらにさかのぼり、魚類にもあの世はあるのでしょうか?ゴキブリや蚊はどうでしょうか?もし彼らもあの世にいるなら、それこそ膨大な数のゴキブリや蚊があの世を這いまわり、飛び交っていることになってしまい、あの世に行ったばかりの若い女性はきゃあきゃあ騒ぎ立てるのではないでしょうか?また細菌やウイルスはどうでしょうか?石鹸で手を洗って殺した何億もの大腸菌の霊とあの世で出会ったら、この野郎よくも石鹸で殺してくれたな、と追いかけられないでしょうか?

あの世は地獄と極楽に分かれているのでしょうか?先祖が地獄にいても子孫は極楽に行けるのでしょうか?私の父は悪い人だったが、もう魂だけの存在だから極楽に入れて欲しいと頼んだら(誰に頼むのかわかりませんが)、極楽入りが可能なのでしょうか?

まだ疑問な点は山ほどあるでしょうが、上記の疑問に限っても論点をずらすことなく答えられなければ、あの世の実在証明は不可能に思えます。もちろん酔石亭主には答えられません。

あの世が存在し、それが絶対的に平等な世界であるとすれば、過去から現在、未来に至る全ての生命は、ゴキブリや細菌も含めて、あの世に行けるはずです。それが本当に実現したら、もうあの世はてんやわんやの大混乱となるでしょう。

こうして書いていくと徐々に浮き彫りになるのですが、結局あの世も人間中心の世界観だということです。地球上にある無数の他の生命は、無意識裡に置き去りにされているのです。

言い換えればあの世は、人間が是非あってほしいと願うことにより、あの世に関する観念の領域が形成され、創り出されたものとも言えるでしょう。

酔石亭主は「人類進化の謎を解く」で、大地溝帯が発する気により本能に基づく行動原理が崩壊し、その中で生存を確保するために心的領域が形成されたと書きました。生きる現実があまりにも厳しい中、心的領域を持ったヒトは救いを求め、結果あの世という観念の領域ができ、私たちはあの世があると思うようになったのです。

あの世の存在以外に、神がいるかどうかもしばしば議論の対象になりますが、大地溝帯が発する気により共通祖先がヒトへと進化して、神やあの世に関する観念の領域を持てたのですから、その原因となった大地こそが神と呼ぶにふさわしい存在であると考えられます。ここまでの結論では、あの世はヒトの観念により創られたもので、実在はしないということになります。

しかし一方で、「秦氏の謎を解く その14」(9月8日)において、以下のように書いています。
宇宙の心は、虚空蔵にあるのです。虚空に蔵せられた心が、宇宙の働きを決定します。心の働きが物質の働きを決定し、統制するのです。宇宙の心とは、『末来の記憶』なのです。全ての情報はあらかじめ虚空蔵に蔵せられていました。

虚空蔵に蔵されていた情報が現象世界に顕現するには媒介が必要です。その媒介が弥勒菩薩であり、弥勒の媒介により起動し、開闢した再生宇宙が大日如来として自己展開するのです。(仏の名前を使用していますが、説明と理解のための一種の方便と考えてください。詳しくは「人類進化の謎を解く」から始まる謎解きの各記事、特に「秦氏の謎を解く その3」(8月6日)をご参照ください。

上記した『未来の記憶』が、ある意味ではあの世といえるものかもしれません。ただし、再生された宇宙の自己展開は一定程度のファジーさを伴うはずで、私たちの存在記憶が虚空蔵に蔵されていても、前の宇宙と全く同様に再生されるとは思われません。(例えば、再生宇宙における酔石亭主のブログは翠石亭主という名に変わっているとか……)

以上から、やはり私たちが考えるようなあの世(=自己意識の継続性が保証されたあの世)はなさそうに思えます。それでは死の恐怖から逃れられないことになりますが、以下のように考えたらどうでしょう。

私たちが生まれる前に無限の時間経過があり、死後も同様に無限の時間経過がある。しかし私たちは、生まれる前の無限の無の時間を恐怖したことは一度もない。であれば死んだ後の無も同様に恐怖することはない。私たちは観念の領域を持って生きているから、様々な死に至る病を恐ろしいと思い、その先にある死をもっと恐ろしく思う。しかしそう思うのは生きているからであり、逆に何かを思う限りはまだ死んでいないのだから問題はない。

いかがでしょう?これであの世問題の答えになったでしょうか?


酔石亭主

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