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東海の秦氏 その3


久能山はかつて日本平の一部を成していたのですが、浸食によって堅い部分が残り、断崖絶壁に囲まれた独立峰が形成され、難攻不落の地となりました。ロープウエイからもその切り立った崖や、深く切れ込んだ谷を見ることができます。

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久能山の解説板です。

秦氏の久能忠仁とはっきり書かれていました。久能山を開発したのは秦氏だったのです。久能忠仁は『駿国雑志』によれば、秦川勝の二男秦久能とされています。ここでも秦川勝の影が見え隠れしています。それはさておき、せっかく久能山に来たのですから、東照宮をお参りしていきましょう。

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解説板です。

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石段の下より。

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社殿です。

さすがに豪華な造りです。二年前に改修工事が行われたので、余計にきらびやかに見えます。現在は国の重要文化財ですが、国宝に指定されるそうです。

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もう一枚。

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さらに一枚。

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苔むした石組。

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家康の手形です。小指がやけに長い点が特徴的です。

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家康の神廟です。

この裏手の丘に秦久能を祀る久能神社があるとか。通常は立ち入りできないようですが、いずれにせよ、徳川家康の神廟のさらに上に秦久能が祀られているのですから、彼の立ち位置が良く見えるようです。

鉄舟寺の熊野十二社神社には摩多羅神が合祀され、日光東照宮においても、家康の像の傍らに摩多羅神が置かれています。秦氏と徳川家康。一体どんな関係があったのでしょう?

ネットを検索すると、徳川家の家紋が三つ葉葵で、下鴨神社が双葉葵であり、家康は賀茂氏と関係がある、しかも下鴨神社は秦氏の影響が強いことを理由に家康は秦氏だと解説する向きもありますが、かなり無理があると言わざるを得ません。いずれにせよ、徳川家康が駿河の地を自ら治め、久能山に東照宮を作らせたのは、秦氏の存在を強く意識していたからと見て間違いなさそうです。

だとすれば、家康の駿府城周辺にも秦氏の痕跡があるはず。ということで、日本平から下り静岡市内に向かいましょう。

                  ―東海の秦氏 その4に続く―
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