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東海の秦氏 その4


静岡市の中心部には家康の居城である駿府城があり、その北西に静岡の地名由来となった賎機山(しずはたやま)があって、山の西側を水石の有名産地でもある安倍川が滔々と流れています。駿府城、賎機山、安倍川こそが静岡市を構成する三大要素であろうと思われ、それらを見ていくことが取りも直さず秦氏に繋がっていきそうです。

まず賎機山ですが、賎機の機は、養蚕、機織りを得意としていた秦氏のハタを連想させます。しかも、地図でチェックすると賎機山の東を麻機街道が走っています。駿府城から賎機山までは指呼の間で、簡単に歩いて行けそうな距離にあります。徳川家康はあたかも秦氏の賎機山に寄り添うように駿府城を築城したのです。

そして賎機山の南面から東面にかけてはやたら多くの神社が鎮座しています。主たる神社は静岡浅間神社ですが、その由来は以下Wikipediaより引用します。

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は静岡県静岡市葵区にある神社。通称おせんげんさま。正確には、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3社の総称である。3社はいずれも独立の神社として祭祀が執り行われている。鎮座地は静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に位置する。
鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡の地名発祥の地として知られ、古代より神聖な神奈備山としてこの地方の人々の精神的支柱とされてきた。6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳(国の史跡)も、当社の境内にある。また、静岡市内には秦氏の氏寺である建穂寺、秦久能建立と伝えられる久能寺など当社の別当寺とされる寺院があり、その秦氏の祖神を賤機山に祀ったのが当社の発祥であるともいわれている。


何のことはありません。古代より静岡市の中心は秦氏の支配地域だったのです。では、賎機山の神社群を見ていきましょう。朝早く行ったので、宮司さんたちがお庭の掃除をしたり、巫女さんたちが納戸を開けたりするタイミングで訪問することができました。

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静岡浅間神社三社の解説板です。

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社殿(大拝殿)です。この裏手が神部神社(かんべ)、浅間神社の本殿に当たります。

何とも豪壮な造りで圧倒されそうです。他に類のない重層楼閣造りとのこと。

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朝のお勤めに向かう巫女さんたち。彼女たちとの比較で社殿の大きさがわかります。

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右近の橘です。

左近の桜もあり、大内裏と同じです。橘は不老不死の象徴で、桜はあっという間に散る命のはかなさを象徴していると考えられます。この二本の木で秦氏の死と再生を象徴しているのかもしれません。

上記の神部(かんべ)神社、浅間神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社の解説板は光が当たって読みづらく、以下内容を部分的に記載します。

神部神社:崇神天皇七年(紀元前90年)の鎮座と伝え、倭文機(しずはた)神社・美和明神とも別称され、この地最古の社。
浅間神社:醍醐天皇の勅願により延喜元年(901年)富士山本宮浅間大社の分霊を勧請したと伝え、全国千三百余社の分霊のうち最大最古。
大歳御祖神社:応神天皇四年(273年)の鎮座と伝え、奈古屋社・大歳天神とも別称された。社名は大年神・倉稲魂神(稲荷大神)の母(御祖)神の意を表している。
この三社は静岡市街の北北西の方位、「静岡」の地名の由来となる、賤機山の最南端に神部・浅間両社は東面して、大歳御祖神社は南面して祀られる。


三社の中で神部神社が一番の古株ですが、ちょっと気になったのは、倭文機神社と別称されていることです。秦氏を意味する機を除くと倭文神社となりますが、この神社に関してはWikipediaより引用します。

倭文神社(しとり、しずり、しどり)という名前の神社は日本全国にある。いずれも機織の神である建葉槌命(タケハツチ。天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などとも)を祀る神社で、建葉槌命を祖神とする倭文氏によって祀られたものである。その本源は奈良県葛城市の葛木倭文坐天羽雷命神社とされている。しかし、絹織物の技術は仁徳天皇により導入振興されたとされるも、崇神天皇期(10代)にその創始を唱える倭文神社もあり、日本(倭)においていつ頃どこで絹織物が発達したかを考えるうえで、この神社のある場所や由緒は貴重な資料といえる。


元々は倭文氏が祀る神社に秦氏が例のごとく入り込んで、あるいは乗っ取って、倭文機神社になったのではと推測しますが、いかがなものでしょう?倭文神社の総社は二上山に近い葛木倭文坐天羽雷命神社とされているのですが、その北側には「畑」の地名も見られ、やはりM&Aを特技とする秦氏の関与がありそうに思えます。

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大歳御祖神社です。

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境内社の麓山(はやま)神社です。

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神社は賤機山の上にあり、そこに続く石段です。

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境内社の八千戈神社です。これも小振りながら漆塗り極彩色の豪華な造りです。

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解説板。

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境内社の玉鋒神社です。これは特に彩色のない社殿です。

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境内社の小彦名(すくなひこな)神社です。

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解説板。

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静岡浅間神社脇を走る麻機街道です。秦氏に関係する名前です。

現地に立つと、駿府城から歩いてすぐの距離に静岡浅間神社が鎮座していることが実感されます。家康は毎日参拝していたのでしょうか?

秦氏の痕跡は市内にまだまだありそうで、次回は安倍川と藁科川の合流点付近を探索します。

              ―東海の秦氏 その5に続く―

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