FC2ブログ

東海の秦氏 その5


賎機山から西に向かい安倍川本流に架かる安西橋を渡ると、羽鳥(はとり=藤沢の羽鳥と同じ。以前は服織と呼ばれた)地区に入ります。羽鳥自体が秦氏に関連する地名で、安倍川と藁科川に挟まれ、背後を山に囲まれた一帯も秦氏の支配地域と思われます。

服織中の先を左手に折れると藁科川に架かる橋があり、その少し上流部の中州はこんもりした森のようになっています。

084_convert_20101029113601.jpg
藁科川の中州にある森の写真です。

この森は木枯の森と呼ばれ、古墳のような丘の上には木枯神社(八幡神社)が鎮座しています。社殿には楊枝をくわえた木枯紋次郎の像が祀られて…、なんてことはありません。

086_convert_20101029113839.jpg
社殿です。補修されているようです。

085_convert_20101029113723.jpg
解説板です。

解説板の内容だけでは、どんな由来の神社なのか全く不明です。しかし、秦氏の支配地域内にある以上、必ず意味があるはず。酔石亭主は木枯という言葉に着目してみました。

この言葉はどこかで聞き覚えがあります。あれは確か大酒神社。ということで、京都太秦の大酒神社にワープしましょう。かつて大酒神社の傍らに鎮座していた神社に木枯神社があり、現在は大酒神社に合祀されています。

「広隆寺縁起」にはこの神社の由来が記載されており、広隆寺の旧本尊薬師如来像を乙訓郡より広隆寺へ迎えたとき、門前の大槻(おおつき=大きなケヤキのこと)が枯れたので、神霊を移して祀ったところ木が蘇ったので木枯明神と称したとされ、歌枕になった神社として知られています。ケヤキの名前にも「おおつき=大月」と来るのですから、秦氏はよほど月に思い入れがあるのでしょうね。

静岡の木枯神社も同様に、かつては歌詠みの名所として知られ、「枕草子」にも「木枯の森」と歌われていました。以上から木枯神社は、秦氏が太秦の木枯神社を持ち込んだものと推定されます。全く静岡市内は秦氏だらけですね。深掘りすればもっと面白いものが出てきそうな気もしますが、残念ながら時間がありません。

木枯の森の周囲には河原が広がっており、あちこちに鉄丸石や馬蹄石が見られます。まだ羽鳥地区で見たい場所があるのですが、先に探石したいと石の蟲がうごめき始めました。こうなったら、欲張って秦氏探訪と探石の二兎を追うしかなさそうです。

                 ―東海の秦氏 その6に続く―

スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2010/10 | 11
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる