FC2ブログ

東海の秦氏 その9


今回は島田市初倉を見ていきましょう。静岡県榛原郡、現在の島田市初倉には秦氏が居住しており、谷口原にある敬満神社は、秦氏の租神である功満王を祀っているとされます。周囲は牧ノ原台地の茶畑が広がり、隠れ里的な場所を好む秦氏にしては、やや場違いとも思える広々としたエリアです。敬満神社については以下Wikipediaより引用します。

現在の祭神は「敬満神」(けいまんのかみ)である。明治以降、祭神を少彦名命としていたが、昭和13年に敬満神に訂正された。元々の祭神はこの一帯に勢力を持った秦氏の祖の功満王であるとする説もあるが不詳である。
社伝では垂仁天皇26年の創建と伝えられる。文徳天皇実録・日本三代実録に記載があり、延喜式神名帳では名神大社に列している。最終の神階は正四位下で、遠江国内では最高位である。徳川幕府から社領を寄進されるなど、皇室・武家からの信仰も受けた。


かなり歴史の古い神社と思われますが、秦氏がこの地に入植し地元の神社を取り込んだため、功満王を祀ると言う説が出たものと考えられます。

042_convert_20101112150408.jpg
解説板です。

045_convert_20101112150745.jpg
鳥居と拝殿。

043_convert_20101112150514.jpg
手水舎(てみずや・ちょうずや)です。

さすがに大井川沿いの神社。見事な溜り石のように見えます。欲しくなりました。

044_convert_20101112150636.jpg
敬満神社拝殿です。

話は急に変わりますが、NHKの龍馬伝も終盤に差し掛かっています。ドラマ終了後のアナウンスは、決まって「龍馬暗殺まであと何カ月」で、これは視聴者の期待感を盛り上げようとするNHKの策略かなどと思ってしまいます。その龍馬を暗殺したメンバーの一人に、今井信郎と言う人物がいます。この人物に関しては以下Wikipediaより引用します。

今井 信郎(いまい のぶお、天保12年10月2日(1841年11月14日) - 大正7年(1918年)6月25日)は、幕末から明治時代初期に活躍した武士で、徳川方に着き、京都見廻組に参加しており、近江屋事件で暗躍したとされている。維新後は、明治11年(1878年)に榛原郡初倉(現在の静岡県島田市初倉地域)に入植し、自由民権運動を展開した三養社に携わり、初倉村の村長を務めた。平成15年(2003年)、地元有志により牧之原入植後の業績を顕彰しようと、居住跡に石碑が建立された。


本人は見張り役で実際に手を下してはいないとのことで、裁判所も認めているそうです。そして龍馬の生まれ育った土佐は、元々土佐の在地豪族であった長宗我部氏の支配地でした。長宗我部氏は、ご存知の方も多いと思いますが、秦川勝の子孫(諸説あり)とされています。

そのせいか、高知市には北秦泉寺、中秦泉寺、西秦泉寺、東秦泉寺、秦南町など秦氏ゆかりの地名が多く見られます。長宗我部氏が秦川勝の子孫でなかったとしても、地名の数からして相当数の秦氏がこの地に入植していたのは間違いないと思われます。

長宗我部氏は関ヶ原の戦いにおいて西軍に与し、江戸時代は下士として忍従の生活を強いられます。ひょっとしたら、土佐藩の郷士(下士のカテゴリに入る)であった龍馬にも秦氏の血が流れているのかもしれません。

そんな龍馬暗殺に加わったメンバーの一人が、秦氏の居住地の村長さんになるとは、何とも皮肉なというか不思議な歴史の巡り合わせと思わずにはいられません。なお、龍馬暗殺の首謀者にも諸説あって、薩摩藩であったと言う議論まであります。謎解きの対象としては面白そうにも思えますが、時代が近すぎて却って難しくなりそうです。

ところで、龍馬伝は幕末の激動期を描いており、現代からは遠く離れた時代のようについ思ってしまいます。けれども、暗殺メンバーの今井信郎が亡くなったのは大正7年。当時酔石亭主の祖父が30歳台半ばでしたから、祖父の中では今井信郎と酔石亭主の時代が一連のものとして繋がっているのです。

過去は遠いように思えて、実は意外に近いものなのです。うんと遠いはずの鎌倉時代でさえ、120歳の人を6人並べれば到達できる程度の過去に過ぎません。だとすれば、現代に残る過去の痕跡から、昔の人の息遣いを間近に感じ取ることもできるはず。そう思うと歴史探訪も楽しくなってきませんか?

041_convert_20101112150254.jpg
神社近くの大井川にかかるとても有名な木橋です。

040_convert_20101112150056.jpg
もう一枚。

日本一長い木橋で、時代劇の撮影などにも使われています。名前は蓬莱橋。誰がこの橋を蓬莱橋と名付けたのでしょう?名付け親は秦氏との関連を認識していたのでしょうか?意識せずにそう名付けたとしたら、秦氏のマインドコントロールかも…。いずれにしても、秦氏いるところ蓬莱ありですね。ひょっとしたら、どこかに徐福伝承が埋もれているかもしれません。

注:蓬莱橋があるのは島田市宝来町です。解説板によれば、島田と初倉の経済交流が活発化したので、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願いを出し、許可され、1879年(明治12年)に完成したとのこと。県令が現在の川勝知事であれば、秦川勝系の秦氏が蓬莱橋と命名せよと言ったのかも、と書けるのですが、そこまでうまくはいきません。

               ―東海の秦氏 その10に続く―
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2010/11 | 12
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる