FC2ブログ

相模国の秦氏 その8

相模国の秦氏
11 /18 2010

さて、猿橋から大月方面に向かって車を走らせると、岩殿山が見えてきます。高月橋入口で右折して桂川を渡り、進行方向左手にある無料駐車場に車を停めます。道路をそのまま歩くと左手に登山口の階段がありますので、山に向けて歩き始めます。と言っても、コンクリの階段で登山という雰囲気ではありません。

046_convert_20101117182427.jpg
中央自動車道は岩殿山の下を通っています。

026_convert_20101117180355.jpg
岩殿山案内図。

歩きだして10分もしないうちに、岩殿山ふるさと館に到着です。公園として整備されていますので、ベンチに腰を下ろし富士山を眺めながら軽く腹ごしらえをします。

025_convert_20101117180242.jpg
ふるさと館からの富士。天気は良いのですが、少し霞んだ感じです。

027_convert_20101117180644.jpg
ふるさと館からの岩殿山。

どんとせり出した分厚い一枚岩に見えます。それにしても…、よくまあ昔の人はこんな険しい山の上に城など建てたものです。その労力たるや如何ほどのものだったのか、登るだけで青息吐息の酔石亭主には想像もつきません。

024_convert_20101117180123.jpg
岩殿山解説板。

岩殿山は修験道と山城の二つの性格を持つ重要な場所であったとわかります。戦国時代は、相模や駿河からの侵攻を武田方にいち早く知らせる狼煙の中継地点でもありました。また武田家滅亡の折、武田勝頼は岩殿城に落ち延びようとしたのですが、小山田信茂の裏切りにより断念。天目山で自害する結末となりました。力のないものは生きられない。戦国の厳しい掟ですね。

一方の小山田信茂にも不運が待ち受けています。主君を裏切るような人物を織田軍が許すはずもなく、哀れにも甲斐の善光寺で処刑されてしまいました。岩殿山落城の折には、一族郎党が尾根伝いに逃げたのですが、泣き声で見つからないよう赤子を断崖絶壁から突き落としたそうです。その崖はいつしか「稚児落とし」と呼ばれるようになりました。この部分は以下Wikipediaより引用します。

甲斐が平定された後、嫡男を人質として差し出すために信長に拝謁しようとしたが、織田信忠から不忠を咎められ、甲斐善光寺で嫡男とともに処刑された。享年44。
千鳥姫と言う信茂側室の伝説もある。千鳥姫は織田家の大軍に包囲された岩殿山城から信茂の次男賢一郎と赤子の万生丸を連れ護衛の小幡太郎らと共に落ち延びたが、万生丸が泣き出したため小幡太郎は千鳥姫から万生丸を取り上げ岩殿山城の断崖から投げ捨てたと言うものである。その場所は稚児落としと呼ばれて伝わっている


岩殿山一帯は戦場を駆け巡った武将たちの夢の跡であり、また戦国の悲話に彩られた場所でもありました。

一休みしたら再び歩き出します。急な階段を登るのは、年のせいか結構つらいものがあります。登山道脇の岩盤には無数の小石が挟まっており、これが君が代に出てくるさざれ石(礫岩)かと思いました。地質的には面白そうな場所ですが、詳細は専門家にお任せしましょう。30分ほどで山頂に到着します。

033_convert_20101117180803.jpg
山頂から見下ろした写真。

岩盤の膨らみのせいかそれほど高度感や恐怖感はありません。桂川が大地を深くえぐって流れています。

034_convert_20101117180913.jpg
東側。桂川と中央自動車道がほぼ平行しています。

040_convert_20101117181432.jpg
大菩薩の峰々です。

038_convert_20101117181316.jpg
大月市街と富士山。もう少しすっきり見えたらいいのですが…。

041_convert_20101117181552.jpg
大きな南天の赤い実。重さで垂れ下がっています。

044_convert_20101117181705.jpg
山を降りる途中に小さな石祠が。(場所がどの辺りか忘れました)

祠の前に木彫りの稚拙な像が置かれています。誰のものなのでしょう?お坊さんらしき姿のようですが、お顔が少し怖い。

今回は一般的なハイキングレポートになってしまいました(笑)

             ―相模国の秦氏 その9に続く―
スポンサーサイト



酔石亭主

FC2ブログへようこそ!