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新田義貞鎌倉攻めの謎を解く その13


新田義貞鎌倉攻めの謎解きもようやく最終回です。とは言え、最も厄介な部分すなわち、義貞は本当に龍神に祈り太刀を海に投げ入れたのか、それにより潮は引いたのかという伝説の真偽に決着をつけなければなりません。また、由井の民はなぜ義貞を支援し連携したのか、という疑問にも答える必要があるでしょう。

まず、新田義貞が龍神に祈り太刀を海に投げ入れたことの真の意味を探ってみましょう。酔石亭主の理解では、義貞は太刀を投げ込んでなどいません。それは伝説にすぎないのです。しかし単なる伝説として切り捨てるのも、また間違った考え方です。なぜなら、伝説とされる物語の背後には、ほぼ例外なく伝説に対応する具体的事実・真実が隠されているからです。

では、義貞の行為は何を意味しているのでしょう?この答えを得るキーワードは由井の民、鉄製品である太刀、そして龍神です。この三つを並べたとき、答えがはっきりと浮き彫りになってきます。

義貞が龍神に祈り太刀を海に投げ入れた伝説は、産鉄・鍛冶の特殊技能民である由井の民に太刀を渡して協力を要請したという事実を反映しているのです。産鉄族の象徴はヤマタノオロチに代表されるように龍(蛇)であること、また渡したものが太刀であることがその証明になります。(ヤマタノオロチの胎内から出てきたのが有名な草薙の剣です)

しかし、由井の民はなぜ縁もゆかりもないはずの義貞に協力したのでしょう?その理由は明らかです。由井の民が義貞を支援した背後には巨大な存在がありました。そう、後醍醐天皇です。太刀を義貞に下賜した後醍醐天皇は各地の特殊技能民と深い繋がりがあったとされます。例えば後醍醐天皇の忠臣に秦武文(はだのたけぶん)がいます。

武文は後醍醐天皇の一宮・「尊良親王」が土佐国の幡多郡へ配流されたとき、お供をしました。さらに、一宮の御息所(みやすどころ)を土佐へお連れしようと尼崎から船出するのですが、海賊・松浦五郎に襲われてしまいます。御息所を奪われた武文は腹を十文字に掻っ切って海の底へ沈みます。その後彼は怨霊となって…、と話は続きますが、その先は長くなりますので「太平記」巻十八「春宮還御事付一宮御息所事」をご覧ください。

尊良親王が配流された場所は土佐の幡多郷でした。幡多郷は秦氏の居住地と考えられ、そこへ秦氏系の人物がお伴しているのです。この物語からも、後醍醐天皇と秦氏など特殊技能民との深い関係が浮き彫りになってくるでしょう。

また天皇は真言密教から分派した立川流というおどろおどろしい闇の信仰を護持していました。立川流に関しては以下Wikipediaより引用します。

立川流は鎌倉時代に密教僧である仁寛によって開かれ、南北朝時代に後醍醐天皇の護持僧となった文観によって大成されたといわれる。


立川流の内容は読んだだけでも吐き気を催すので引用しません。興味のある方はWikipediaやその他のブログでどうぞ。

酔石亭主の藤沢市には清浄光寺(通称遊行寺)という時宗の総本山があります。寺には寺宝として後醍醐天皇の肖像画が残されているのですが、何と天皇は密教の法衣を身にまとい、密教の法具を手にしているのです。ここからも、後醍醐天皇が裏社会(現在で言う意味とは異なります)に通じた、かなり特殊で異能な人物であったと理解されます。

裏社会に通じた後醍醐天皇は、事前に由井の民に協力を要請しており、その証として義貞に黄金の太刀を託し、由井の民に下賜したのです。義貞は取り次ぎ役のようなものだったのですね。この要請に当たっては、秦氏が密使として動いたのかもしれません。義貞が由井の民に支援を受けた背景には、上記のような事情があったものと推察されます。

龍神に祈り太刀を海に投げ入れたという伝説が、由井の民の協力を象徴するものであったとすれば、同様に潮が引くことも、義貞が海側から鎌倉に入れたという事実を象徴する伝説であったと言えるでしょう。つまり、龍神に祈り太刀を海に投げ入れたから潮が引いたという事実はなかったのです。

歴史の表には絶対に現れない由井の民の協力が、龍神に祈り海に太刀を投げ入れたため、潮が引いたという伝説の形となって語られたのです。


次に、由井の民の協力が真に意味するところを鎌倉史全体の中で俯瞰してみましょう。

ここでサブカテゴリ「鎌倉の謎を解く」の、タイトル「鎌倉の地名由来を考える」(2010年6月22日)を参照してください。藤原鎌足が由井の里で霊夢を見て鎌を埋めたことから鎌倉の地名ができました。鎌倉の始まりは鎌すなわち鉄製品だったのです。

そして鎌倉の終焉もまた太刀という鉄製品であり、由井の里の民が関与していました。しかも稲村ケ崎に注ぐ極楽寺川からは砂鉄が流れ出し、それが稲村ケ崎に集まってその砂鉄から名刀正宗が造られているのです。これらの相互関係は決して偶然とは言えません。

鎌倉を引き裂いたのは、目には見えない太刀つまり鎌鼬(かまいたち=鎌に太刀)の呪力だったのです。鎌鼬に関しては以下Wikipediaより引用します。

鎌鼬(かまいたち):魔風を起こすイタチの妖怪、またその現象。


古来、知らないうちに皮膚が切れているのは鎌鼬のせいだとされてきました。この語源は鎌倉を切り裂いた鎌と太刀だったのではないでしょうか?

では、鎌倉を引き裂いた呪力はどのようにして効力を発揮したのでしょう?

それを知るには、「鎌倉の地名由来を考える」及び「歴史の宝庫 本郷台を巡る」(6月26日)、をご参照ください。(できればサブカテゴリ「鎌倉の謎を解く」全体をご参照ください)

本郷台の駅近くにはかつて白山神社が鎮座していました。そしてこの地を流れる川はいたち川です。さらに白山神社の近くには鍛冶ヶ谷という地名があり、上郷町には深田遺跡という大規模な製鉄遺跡があります。もうご存知のように、極楽寺の金山にも白山神社が鎮座しています。鉄製品である鎌といたちがすんなり結び付きましたね。

本郷台のいたち川沿いに鎮座していた白山神社は、1333年の鎌倉幕府滅亡の直前、1324年に上郷に遷座します。鎌倉の鬼門を守るのが由井金山と本郷台に鎮座する白山神社だったのですが、本郷台から上郷に遷座することで鎌倉の鬼門守護のラインが移動し、鎌倉を切り裂くラインに変貌したのです。

001_convert_20101222132059.jpg
電子国土画像。

二つのラインは、由井金山の白山神社と本郷台の白山神社を結ぶライン(左側)と遷座後の白山神社を結ぶライン(右側)を示しています。驚くべきことに、鎌倉を切り裂く右側のラインは由井の里で霊夢を見た藤原鎌足が鎌を埋めた丸山稲荷社(鶴岡八幡宮境内に鎮座)の真上を走っています。右側のラインは鎌倉の始まりを断ち切っていたのです。断ち切られた鎌倉がほどなく終焉を迎えるのは当然のことと言えましょう。詳細は「鎌倉の地名由来の謎を解く」と「鶴岡八幡宮の謎を解く」(6月30日)をご参照ください。

鎌倉の始まりと鎌倉の終焉。それは産鉄・鍛冶の特殊技能民である由井の民の呪力のより綿密に計算されたものだったのです。以上で、鎌倉の始まりと終わりはひと繋がりのものであるという酔石亭主の主張が証明できました。また、鎌倉攻めにおいて新田義貞は稲村ケ崎を渡渉していない点、由井の民の協力があった点も証明できました。

巨大製鉄都市であり、巨大城塞都市であり、交通網が四通八達し、目に見えない巨大な呪力に覆われた呪術都市であるのが、鎌倉の真の姿でした。そして製鉄と呪術を担う由井の民の影の力により鎌倉は始まり、終焉を迎えたのです。

以上は現地調査の上、最初に書いた仮説(義貞は稲村ケ崎の海を渡らなかった、鎌倉攻めには由井の民の協力があった)をベースに組み立て再構成した推論です。ですから、例えば、霊山ケ崎が山頂から200m以上も海に突き出ていた可能性はあるのかなど、地質学の専門家のご意見を聞く必要もあるでしょう。その意味では、論考に抜けた部分も幾つかあります。本論考でご興味を持っていただき、酔石亭主の推論を補強いただけるような検討、あるいは別の視点での検討を進めていただければ望外の喜びです。

最後に誰も書いていない点を少々……。

新田義貞が太刀を海に投げ入れ、それにより伝説通り潮が引いて干潟が現れたとします。では、投げ入れた太刀は潮が引けばどうなるでしょう?重い太刀は引き潮にも流されず、干潟にポツンと置かれた状態になってしまいますね。新田義貞は龍神に捧げた太刀をそのまま置いていったのでしょうか?そのままとしても、後続の兵の誰かが取っていくでしょうし、取るなと命令しておいても、後日太刀を見つけた漁民が一生のお宝として持ち帰るでしょう。伝説の作者は太刀を投げ入れた後どうなるかについて思い至らなかったようで、想像力が欠如していると言わざるを得ません。まあ、龍が咥えて持っていったとするのが最良の答えでしょうけど……。

義貞は当初仮粧坂から鎌倉に入ろうとしましたが、幕府の防御が固く果たせませんでした。その後、大館宗氏が坂ノ下から鎌倉に侵入したとの知らせを受けて極楽寺に向かいます。進軍ルートは片瀬から腰越経由です。このルート上には、「ワンダーアイランド江の島の謎を解く その1」(8月21日)で書いた龍口明神社があり、五頭竜が祀られています。義貞は小動神社の前に、この龍口明神社でも戦勝祈願をしたのではないでしょうか?その間に干潮があったとしたら、江の島は間違いなく陸続きとなります。龍に戦勝の祈りを捧げたら潮が引き干潟が現れるという奇跡が、江の島であればいとも簡単に現実のものとなるのです。それが転化して龍神に太刀を捧げる稲村ケ崎渡渉伝説になった、とも考えられるのですが、いかがなものでしょう?

「新田義貞鎌倉攻めの謎を解く」はこれにておしまい。



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