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新田義貞鎌倉攻めの周辺 その4


今回は推理を離れ、主に「新編相模国風土記稿」(以下風土記とします)から見ていきます。この風土記は江戸時代に編纂された相模国の地誌で、天保12年(1841年)に成立しています。酔石亭主が参考にしているのは一冊の厚さが7cmもある明治時代の完全復刻版で、全4冊となります。もちろん手には入らないので、図書館で借り出したものです。読んでみると結構面白く、時間が経つのを忘れてしまいました。

最初に、鎌倉攻めとは関係ないのですが、佐介ヶ谷の項に面白い記事が見られますのでご紹介します。

寛治元年(1087年)正月。此亭ノ後山二。光物飛行ス。(注:此亭とは北条時盛入道勝圓の亭)

読んでビックリ、隠れ里の佐助ガ谷で光物が飛行したとの内容です。光物とはもともと、人魂や流れ星のことを意味し平安時代から使われていますが、「飛行ス」という表現からして、空飛ぶ円盤のように思えてなりません。光物の前に「皿の如き」、とでも書かれていたら100%そうなるでしょう。いずれにしても、光物の出現場所が秦氏の隠れ里とは、さもありなんですね。

それはさて置き、まず万葉歌にうたわれた見越の崎について風土記ではどう記載しているか見ていきます。見越の崎は稲村ケ崎、小動岬、御輿ヶ嶽(甘縄神明神社の裏山)のいずれかで、現在ではどれが見越の崎に相当するのか不詳とされています。

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万葉歌を彫った石板です。

石板は甘縄神明社境内にあり、この裏山の御輿ヶ嶽が見越の崎という観点からここに設置されたものと思われます。しかし、これは間違いです。

その理由を考えるため、大館宗氏が討ち取られた稲瀬川に関する記述を見ていきます。

源ハ。御輿ヶ嶽ヨリ出て南流シ。村内ニテ。由井ヶ濱二會ス。

稲瀬川はもうご存知のように、大仏の裏山から真南に流れ、長谷駅で左に折れて由比ヶ浜に注いでいます。とすると、御輿ヶ嶽は甘縄神明神社の裏山ではなく、大仏の裏山になるはず。ここで既に甘縄神社裏山説は否定されてしまいます。ちなみに、風土記では以下のような説明となっています。

御輿崎ハ。古風土記。及瓊玉集二據ハ。海二臨メル山觜ニテ。御輿嶽ノ一名ト謂カタシ。萬葉拾穂抄二。見安ヲ引テ。見越崎ハ稲村崎ナリト云フ。鎌倉根元記ニハ。稲村崎。霊山崎ヲ云ウニヤトアリ。サレト御輿嶽ハ大佛ノ後ノ山岳ヨリ。連延シテ。霊山崎ニ至ル迄ノ畳嶂(ちょうしょう)。數百歩ノ間ヲ。總シテ称シ。其山陬海岸ニ接スル處ヲ。御輿崎ト云ヘルナリ。

所々不明な部分もありますが、大意は次の通りです。

御輿崎は古風土記や瓊玉集によれば、海に臨む山の嘴なので、御輿嶽のもう一つの名とは言い難い。萬葉拾穂抄に見越崎は稲村崎なりと言う。鎌倉根元記には稲村崎、霊山崎を言うのではとあるが、御輿嶽は大佛の後ろの山岳より連続して延び、霊山崎に至るまでの高く険しい山が重なる数百歩の間を総称し、その山際が海岸に接するところを御輿崎と言える。

まず御輿嶽は大仏の裏山で、海に臨む山の嘴でもないので、これを見越の崎とすることはできません。だとすると、見越の崎は稲村ケ崎か霊山ケ崎のいずれかということになるのですが、風土記では御輿嶽から連続して続く険く重なる山の、海に接するところが御輿崎(=見越の崎)であると説明しています。

これはかなり苦しい説明で、大仏裏山から霊山ケ崎までとても数百歩では歩けませんし、この間が連続した険しい山とは言えません。(一升枡砦で見てきたように、大仏切通しから長谷配水池を抜け、真南に尾根筋を通り、極楽寺坂切通しを越えて霊山に至るルートを一連の山並みと言えるかもしれませんが、やはり無理があります)

御輿と見越は音の共通性はあるものの、意味は全く異なり、結局、稲村ケ崎を見越す崎、すなわち霊山ケ崎が見越の崎と言うことでまず間違いないと考えられます。

ちなみに、鎌倉時代は長谷門前の由比大通り辺りまで湾となって海が入り込んでおり、そこから先(赤線左角から上)が稲瀬川になっていたようです。なお、稲瀬川の右(東側)にある小河川(昭文社地図では美奈能瀬川)は赤線右角から川になっていたと思われます。

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電子国土画像。

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赤線の左角に当たるこの橋の付近までが鎌倉時代は湾だったようです。

左右を走る通りが長谷駅から大仏に至る通りで、奥側は長谷寺に通じる道、手前側が由比ヶ浜大通りです。風土記には明応4年大波で大仏殿が破壊されたとの記事があります。大仏殿は当時の海抜が10m程度と推定され、ここまで波が来るとは考えにくかったのですが、このような湾だと湾内で海水が高く盛り上がるはずです。その先は狭隘な地形に川が流れているのですから、波はさらに高くなって押し寄せ大仏殿が破壊されたのも頷けます。(注:明応7年の地震による津波との説もあります)

ちなみに、関東大震災においては、津波は稲瀬川から長谷駅より数十メートル奥まで流れ込み、美奈能瀬川からは由比ガ浜駅や県道に達しています。

次に霊仙山(霊山)を見ていきます。

東面海濱ニ突出セリ。山麓を霊山ノ崎ト唱フ。…中略… 此地モトハ。極楽寺境内ナリシト云フ。又此所二仏法寺ト云寺アリテ。

ここで重要な点は海濱に突出した山麓を霊山ケ崎と唱える、とある点です。現在の姿とは大きく異なると理解できますね。

稲村ケ崎も見ていきます。

海岸ニ突出シテ。其形稲ヲ積ミタル如シ。故ニ名ツクト云フ。東面ヲ霊山崎ト唱ヘ。西面ヲ稲村崎ト呼フ。

海岸に突出してその形が稲を積んだようなのでその名が付いた。東面を霊山崎と言い、西面を稲村崎と呼ぶ。

上記から稲村ケ崎も霊山ケ崎も海に突出していることがわかります。この点は新田義貞鎌倉攻めに関する酔石亭主の推論を裏書きするものになります。また、稲村ケ崎と霊山ケ崎が西、東で区分けされている点も重要です。地名由来については、酔石亭主としては稲村ケ崎の根元の村が稲村であることに由来するという説を採ります。

続いて極楽寺坂を見ていきます。

極楽寺坂。坂之下村堺ニアリ。往古重山畳嶂ナリシヲ。僧忍性疎鑿シテ。一條ノ路ヲ開キシト云フ即極楽寺坂切通シト唱フルハ是ナリ。

極楽寺坂は坂ノ下村境にあり、往古は山が険しく重なり合っていたものを、僧忍性が開削して一本の道を開いたという。すなわち極楽寺坂切通しと言うのがこれである。

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極楽寺古絵図です。絵図の下側に仏法寺、請雨池、霊鷲山の記載がみられます。

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極楽寺中古絵図を拡大したもの。

見にくいですが、古絵図の霊鷲山が中古絵図では霊山に変わっています。また、白山神社が白山権現として記載あります。ということで、白山神社が鎮座する金山についての記述を見ていきます。

長吏。戸数八軒小名金山ニ住ス。今其首長ヲ九郎左工門ト云フ往古攝州ヨリ移リテ。此ニ居住シ鎌倉府ノ後鶴岡八幡宮祭祀ノ時ハ。烏帽子素袍ニテ。先立ノ列ニアリト云フ。頼朝ヨリ。配下ヲ定シ證状一通蔵ス。

長吏。戸数八軒が字金山に住んでいる。その首長を九郎左工門と言い、遠い昔摂津より移りここに居住し、鎌倉幕府の後は鶴岡八幡宮祭礼において烏帽子礼服にて列の先頭を歩くと言う。頼朝より配下を定めた朱印状を一通蔵している。

長吏とは非人の頭を意味し、傀儡子、猿楽、陰陽師、鋳物師、鉢叩、傾城屋(=遊郭)など様々な職種の特殊技能民を配下に従えています。また鶴岡八幡宮の祭礼で列の先頭を歩くのですから、彼らは極めて特殊な地位にあったと理解できます。風土記には朱印状の詳細もありますが細かいので省略し、以下Wikipediaより引用します。

『弾左衛門由緒書』等に依れば、秦から帰化した秦氏(波多氏)を祖先に持つとされ、平正盛の家人であった藤原弾左衛門頼兼が出奔して長吏の頭領におさまり、1180年、鎌倉長吏頭藤原弾左衛門が源頼朝の朱印状を得て中世被差別民の頭領の地位を確立したとされる。しかし、江戸時代以前の沿革についての確証はなく、自らの正統性を主張する為のものとみられている。しかし、江戸幕府がこの主張を認めたのは、太郎左衛門より弾左衛門を支配者にした方が都合が良く、その点で両者の利害が一致したからではないかといわれている。


祖先の秦氏とは秦武虎のことです。江戸時代の弾左衛門すなわち金山に居住する由比の民の子孫は秦氏を先祖だとしているのですが、これは白山神社と秦氏の関係から、そうした伝承が発生したものと推測されます。

なお徳川家康の時代になり、当時の長吏が武州の府中にて、家康の駕籠に拝伏し、鎌倉以来の由緒を聞き届けてもらい、やがて長吏以下の支配を命じられた。これより後、江戸浅草に居住して弾左衛門と称したと、風土記には記載あります。

隆慶一郎氏の傑作時代小説「吉原御免状」、「かくれさと苦界行」(新潮長文庫)は長吏の話に想を得て書かれたと、酔石亭主は密かに思っています。波乱万丈のストーリーは実に面白く、また勉強になる蘊蓄が数多く散りばめられているので、是非ご一読ください。

以上、ざっと「相模国風土記稿」の内容を検討してきましたが、新田義貞鎌倉攻めの謎解きにおける推論を変更する必要はなさそうです。


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