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新春の鶴岡八幡宮


アップが遅くなってしまいましたが、新春の1月5日鶴岡八幡宮に行ってきました。

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鶴岡八幡宮。

初詣の人波が途切れることなく続き、境内は華やいだ空気が漂っています。参道左手に巨大モニターが設置されており、何やら行事の模様が映し出されていました。

急いで舞殿まで歩くと人垣が。新年の行事である除魔式見物の人垣です。

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除魔式。

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もう一枚。

除魔式とは、年の始めに年中の魔を除く目的で執り行われる行事です。鶴岡八幡宮の場合、的の裏に鬼という字を封じ込め、十五間(約27m)の距離から射抜く神事となっています。矢には魔を除く呪力があるとされ、破魔矢も同様のものと言えましょう。

もうご存知のように矢(=ヤ)は也であり、也は蛇の形を示す象形文字でした。旧約聖書創世記においてアダムとイブに禁断の林檎を食べさせたのが、蛇に変身したヤハウェ神だったのです。(詳細はカテゴリ「旧約聖書の謎を解く」を参照ください)旧約の絶対神であるヤハウェのヤが聖なるもの、魔を除くものとされたのは当然のことです。このため、邪馬台国、大和、矢幡、八幡、八岐大蛇など古代の日本で重要な存在はどれもヤが頭に付くことになりました。ヤが蛇であるのは八岐大蛇や、蛇を大分県ではヤアタロということからも明らかです。頭の尖った蛇の形も矢と同じですね。

一つの行事にも、その深源には奥の深い世界がありました。鶴岡八幡宮については既に見てきましたが、「新相模国風土記稿」にわかりやすく記載があるので以下参照します。文字が小さくなっている部分もありますが、これは風土記の記述が大文字の主文の間に小文字の引用や説明を入れているためで、それを同じ形で踏襲したものです。訳文は引用の前後に―を入れて読みやすくしておきました。(誤訳があるかもしれませんが、ご寛容のほど)

抑此地ヲ鶴岡ト唱フル事ハ。治承四年。源頼朝。由比郷鶴岡ニ鎮座アリシ。若宮 鶴岡若宮ト号ス。ヲ爰二移シ。舊ニ依テ鶴岡若宮ト号ス。又建久二年。若宮ノ背後。松ヶ岡 詞林采葉集曰。昔大蔵冠鎌足。イマタ鎌子ト申セシ頃。宿願ノ事二依。鹿島参詣ノ時。此由井里二宿シ給ヒケル夜。霊夢ヲ感シ。年来所持シ給ヒケル鎌ヲ。今ノ大蔵ノ松ヶ岡二。埋給ヒケルヨリ。鎌倉郡ト云。按スルニ。當所後背ノ山ヲ。今モ大臣山ト称スルハ此故ナリ。二稲荷 松岡明神ト号ス。社アリシヲ。北方丸山二移シ。其蹟二宮祠ヲ建。八幡ヲ勧請シ。是ヲモ鶴岡八幡宮ト称ス。

なおこの地を鶴岡と唱えるのは治承四年(1180年)源頼朝が由比郷鶴岡に鎮座していた若宮―鶴岡若宮と号す―をここに移し、以前通り鶴岡若宮と号したことによる。また建久二年(1191年)若宮の背後松ガ岡―詞林采葉集によれば昔大蔵冠鎌足がいまだ鎌子と言っていた頃宿願があって鹿島に参詣の時、この由井里に泊まった夜霊夢を見て、年来所持していた鎌を今の大蔵ノ松ヶ岡に埋めたことより鎌倉郡と言うようになった。考えるに、この場所の後背の山を今も大臣山と称するのはこのためである。―に松岡明神と号する稲荷社があったものを、北方の丸山に移し、その跡に宮を建て八幡神を勧請して、これを鶴岡八幡宮と称した。


大きな地図で見る
グーグル画像です。

画像にある丸山稲荷社が松岡明神を移した後の社となるはずです。つまりこの地に元々鎮座していたのは、秦氏系の稲荷社であったということです。
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