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呪術都市鎌倉探訪記 その4

呪術都市鎌倉探訪記
02 /22 2011

あきらめて御霊神社に戻ろうと思ったその瞬間。工場の敷地内に何かが見えました。手前には木製の解説板もあります。フェンスにカメラを突っ込んで解説板を撮影しました。

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解説板。はっきり読み取れます。

解説板の背後には巨大な岩が鎮座しています。

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岩です。

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拡大します。

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全体像が見えにくいので、角度を変えて撮影。ジャクレの入った水石のようです。

これが兜山でした。確かに兜のようなごつい岩塊です。兜松はありませんが、昭和22年に枯れたとか。岩の右上に石柱が見られ、七面宮と刻まれているようです。以前この地に七面宮があった物証となるでしょう。

解説板によれば、この地は洲崎の戦いの戦死者を葬った場所で八ツ嶋とも呼ばれたそうです。それを証するかのように、岩の下部窪みには五輪塔が何基も置かれ、その横には供養板が立てられています。供養板には神戸製鋼所と書かれていますので、会社が供養を続けているようです。 (フェンス越しの撮影なので、アップした写真でははっきり見えにくいと思います)

平地に巨大な岩塊がポツンとある。これは人目に付きますね(もちろん鎌倉時代においてです)。だからここに七面宮があり、鎌倉権五郎景政が戦勝の兜を埋め、安倍晴明が雨乞いの五龍祭を執行し、日蓮が雨乞いの祈祷を修し、洲崎の戦における戦死者を供養するなど、多目的に使用されたのでしょう。一個の岩塊にも数多くの歴史が凝縮されていると言えますね。

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神戸製鋼脇の鎌倉街道から御霊神社のある山を撮影。神社は山の反対になります。

兜岩の由来はこれではっきりしました。しかし安倍晴明の雨乞いに関しては、証明する史料がないと指摘されそうです。

ここで御霊神社に関する神社庁のホームページを検索してみましょう。御由緒の最後に兜山(兜松)清明塚、と書かれていました。そう、目の前にある巨大な鎌倉砂岩の岩塊が兜山で、基本史料とも言える神社庁のホームページに兜山が清明塚と記されているのです。

また「新編相模国風土記稿」にも、藤沢市宮前に安倍晴明が雨乞い祭を執行した晴明塚があると記されています。その2で御霊神社境内の七面宮から日蓮、安倍晴明の関連を辿った推理に間違いはありませんでした。

兜山を見ていると、その上に坐し雨乞いの祈祷を修する日蓮の姿が目に浮かぶようです。安倍晴明が雨乞いした場所なら絶対に雨が降ると日蓮は考えたのでしょう。洲崎の戦いでは、勇猛果敢に突っ込んでくる赤橋守時の姿を、新田義貞がこの岩の上から見ていたのかもしれません。

ところで洲崎の戦いに関してその1でWikipediaより引用しているのですが、どうも内容が飲み込めません。次回で、自分なりに新田軍鎌倉攻めの全体像を整理し直してみたいと思います。

             ―呪術都市鎌倉探訪記 その5に続く―

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酔石亭主

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