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呪術都市鎌倉探訪記 その8


今回は北鎌倉で安倍晴明の痕跡を探します。最寄り駅はJR横須賀線・北鎌倉駅です。

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紅梅です。

いかにも北鎌倉らしい雰囲気ですが、こうしたお宅も少なくなっています。ホームと並行する線路脇の道を、円覚寺とは反対の大船方面に向けて歩きます。ホームが終わる少し手前を右に折れ、石段を登った先の丘の上に八雲神社があります。

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石段踊り場に手水鉢が。

三つ頭巴紋が彫られています。巴紋は、水が渦巻くさまを表すとされ、火災除けとしてこの紋が使用されました。また宇佐八幡宮や石清水八幡宮も巴紋が八幡神の神紋として用いられています。ただ鶴岡八幡宮の神紋は鶴丸です。水に関連する巴紋、水に関連する安倍晴明。彼の存在が近くなってきたように感じられます。(安倍晴明は桔梗紋で五芒星です)

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鳥居の手前に倉があります。裏へ回り込んでみましょう。

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とても立派な舟形庚申塔や青面金剛がありました。

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舟形庚申塔。

舟形庚申塔は江の島道沿いにもあって以前ご紹介しています。舟形の製作は寛文年間が多いのですが、この塔は寛文5年(1665年)の銘があり鎌倉最大で最古の庚申塔とされています。こんな場所に古い庚申塔があるとは知りませんでした。一見の価値ありです。庚申塔を見終わり八雲神社に向かいます。

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八雲神社です。

八雲神社は基本的に牛頭天王(スサノオ)を祀る神社です。この八雲神社は山ノ内の鎮守で鎌倉時代の創建。古くは牛頭天王社と称したようです。神奈川県神社庁ホームページでは同神社の御由緒に関して以下記載あります。

元仁元年(1224)12月鎌倉四境の北境に当たる「山ノ内」で疫病祓いの鬼気祭が斎行された。 この斎場跡に祇園八坂の神霊を勧請して村内の安穏を祈願したのが当社の創立。 例祭の神輿渡御は、山崎北野神社と八雲神輿との「行合祭(ゆきあいまつり)」で、二基の神輿が勢いを競いながら街中を練り歩く。


疫病祓いの鬼気祭とは四角四境の鬼気祭のことで、これは陰陽道の儀式であることから、安倍晴明の匂いが濃くなってきました。

なお、「吾妻鏡」では以下のような内容となっています。

元仁元年(1224年)十二月小廿六日戊午。此間。疫癘流布。武州殊令驚給之處。被行四角四境鬼氣祭。可治對之由。陰陽權助國道申行之。謂四境者。東六浦。南小壷。西稲村。北山内云々。

疫病が流行って武州(北条泰時)が大変驚き、四角四境鬼氣祭を執行した。病を収めるべきの由。陰陽権の助国道がこれを申し行った。いわゆる四境は、東六浦、南小壺、西稲村、北山内である云々。

四角四境鬼氣祭に関しては別の機会に詳細を書きたいと思います。八雲神社の鳥居左側が一段高くなっていますので、そこに続く石段を登ります。すると…。

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安部清明神君と表示板が。

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平石です。

長方形に石で囲われています。以前は祠があったのかもしれません。

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石柱。

摩耗していますが、石柱には安部清明(=安倍晴明)と刻まれています。埋められた平石が晴明石でした。この石を知っていてわざと踏むとその人には不幸が訪れ、知らずに踏むと足が丈夫になるとか。それにしても、向こう側には家が見え奥深い雰囲気は感じられません。こんなことになろうとは、さすがの晴明も想像していなかったのではないでしょうか?

ところで北鎌倉の安倍晴明に関しては以下の三つの謎があると思われます。

1.「新編相模国風土記稿」によると、晴明石は二箇所にあり各々三尺程の大きさであるとのこと。もう一つの晴明石は現在行方不明ですが、どこに消えたのか。

2.また「新編相模国風土記稿」によれば、石の傍らに井戸があり、安部晴明が祈祷の加持水として火災を防ぐのに効能があったと伝えられているそうです。では、この晴明井戸はどこにあるのか。

3.安倍晴明の屋敷はどこにあったのか。


今回の探訪で何とかこの謎を解き明かしたいと思うのですが、はてさてうまく行きますかどうか…。

まず八雲神社に現存する晴明石の由来からひも解いていきましょう。この石は以前十王堂橋の脇にあったそうです。

それがいつの頃か天王屋敷に移されたようです。天王屋敷は山崎天神社の相殿に祀られていた牛頭天王の御旅所つまり神輿をお迎えする仮宮があった場所。同様の天王屋敷は満福寺下にもあります。義経まつりの際は龍口寺から腰越天王屋敷(小動神社)までパレードが行われます。

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各場所の位置関係を示す電子国土画像。[1]が八雲神社、[2]が天王屋敷跡、[3]が十王堂橋。

上記仮宮において山崎の北野神社の神輿と八雲神社の神輿が行き合い結婚する儀式が山ノ内八雲神社例大祭で、儀式が行われるのが天王屋敷跡になります。(現在、実際に儀式がおこなわれる場所はスペースの関係からかもっと大船寄りになります)

ところが昭和44年の道路拡張工事により、天王屋敷にあった晴明石は現在の八雲神社境内に移されてしまいました。随分変遷があったのですね。

いずれにしても、最も古い時代に晴明石が置かれていたのは十王堂橋の脇と言うことになります。だとすれば、ここに何らかのヒントがあるはず。早速行ってみましょう。

             ―呪術都市鎌倉探訪記 その9に続く―

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