FC2ブログ

呪術都市鎌倉探訪記 その11


前回で、北鎌倉駅から県道を建長寺に向かって歩くとJR横須賀線の踏切があり、その踏切を渡った右手に安倍晴明の屋敷があったという説をご紹介しました。この説は間違いと書いているのですが、そうであっても一つの説には一定の根拠があるはずです。

ということで、JRの踏切に向かいます。十王堂橋から県道を鎌倉方面に進むと、ほどなくして、JR横須賀線の踏切に差し掛かります。踏切を渡った右手には「五山」というお蕎麦屋さんがあります。


大きな地図で見る
位置を示すグーグル地図画像です。

お蕎麦屋さんを通り過ぎた隣は駐車場となっていますが、その手前の一角に…。

038_convert_20110304140121.jpg
安倍晴明の石碑です。

石碑を見て、瞬時に違和感を覚えました。石碑の左右を見てください。それぞれくり抜いた半円を合わせたような二つの石があります。笛田の三嶋神社で見たものと同様、これは鳥居の基礎部分と断定できます。

でも、この位置に鳥居があったとすると、現在の石碑に間違いなく当たってしまうはず。そこに違和感を覚えたのです。

これは何を意味するのでしょう?答えは簡単です。石碑は鳥居の基礎よりずっと新しく、しかも位置を手前に移動して建てられたものなのです。であれば、石碑の後ろに何か古い痕跡が残っているかもしれません。

では、裏に廻って痕跡を探ってみましょう。

039_convert_20110304140256.jpg
石碑の裏側。

石碑の裏には、明治39年7月と刻まれています。この石碑は、建てられてから100年程度しか経過していない新しいものでした。ということは、石碑のやや後ろに本来の石碑があったはずです。その痕跡がないか調べてみましょう。すると調べるまでもなく…。

040_convert_20110304140404.jpg
石碑の後ろには平石が置かれています。

この平石の上に石碑があった痕跡が見られます。痕跡からすると、かなり分厚い石碑だったと思われますね。本来の石碑はこの平石の上に建てられていたのです。時代の経過とともに碑が損壊、明治になってから現在の場所に新たな碑が建てられたのでしょう。

古い石碑が新しく変わるのは良くあることで、取り立てて意味はなさそうにも思えますが…、この平石の形を良くご覧ください。

八雲神社で見た晴明石と形状が似通っていませんか?もう一個あるはずなのに行方不明となっていた晴明石。それはこの場所にあったのです。

明治になってなぜ平石の上に再び石碑を建てなかったのか?それはこの石が晴明石だったから、当時の村人は祟りを恐れ新たな碑を平石の上に設置できなかったのです。でも、なぜ十王堂にあった晴明石の一つがここに置かれたのでしょう?

それは置かれた場所に関係があると思われます。やはり水の関連で…。石碑は、浄智寺の谷戸、横須賀線の走る谷戸、巨福呂坂の谷戸、明月院の谷戸が会合するいわば水の集結点のような場所近くに所在しています。晴明石は多分、後代の陰陽師によってここに置かれたのでしょう。(石碑がこの場所に置かれた理由は他にもあると思われ、別途検討します)

行方不明となった晴明石も捜索を終えましたので、周囲を見回してみます。なぜって、お稲荷さんが鎮座していないかチェックしたいのです。周囲にはないのでほんの少し鎌倉側に歩くと…、路地の奥にありました。

042_convert_20110304140517.jpg
お稲荷さんです。

画像上ではP(駐車場)隣の建物とその隣の建物の間の小道を入ったところ。手入れが行き届き、地元の崇敬を受けているよう見受けられます。社の背後には巨木が聳えています。車がひっきりなしに通る県道とJR横須賀線に挟まれた場所だとはとても思えません。

以上で北鎌倉における安倍晴明関連の謎は、JR踏切脇に石碑が設置された理由は別として、全て解けました。

             ―呪術都市鎌倉探訪記 その12に続く―

スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
02 | 2011/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる