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八雲神社例大祭の謎 その1

鎌倉の謎を解く
03 /23 2011

北鎌倉に安倍晴明の痕跡を訪ねた折、八雲神社の例大祭に関して少し触れました。(サブカテゴリ「鎌倉の謎を解く」の「呪術都市鎌倉探訪記 その8」3月2日をご参照ください)この祭りは7月に行われ、まだ見たことはないのですがなかなかに面白そうです。

八雲神社例大祭は別名を「行合祭」(ゆきあいまつり)とも言い、建長寺、円覚寺などで読経を受けた八雲神社の神輿が天王屋敷において北野神社(山崎天神社)の神輿と合流し行合う神事となります。(神社の祭礼なのに、なぜここでお寺が出てくるのでしょう?何か意味がありそうな…)

この祭りの中心は、天王屋敷において神様の神婚儀礼が執り行われることで、神事の後には北野神社の神輿胴部分に白い晒(さらし)が巻き付けられます。次に赤ん坊を神輿の下に潜らせます。この儀式から北野神社側の神輿が女神であるとわかります。晒を巻くとは妊娠を、赤ん坊を潜らせるとは出産を象徴しているものと思われます。

奇祭とも呼べるお祭りなので、この祭はどのような経緯で行われるようになったのか調べてみたいと思いました。そのためには、北野神社(山崎天神社)側を見ていく必要がありそうです。

ということで、早速北野神社に向かいましょう。(実際には大震災以前に訪問したものです)藤沢から柏尾川に沿ってチャリンコを走らせます。すると御霊神社近くに古舘橋があります。ここは鎌倉権五郎景政の屋敷があった場所とされています。だから地名が古舘(古い館)なのでしょう。

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古舘橋。

橋を渡り柏尾川を左手に見ながら走ります。町屋橋手前に小山があって山の上はお墓となり、下はやぐらが数基あります。

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やぐらです。

全て塞がれています。ここは洲崎の戦いが繰り広げられた地域に含まれると思われ、やぐらはその戦死者を供養したものかもしれません。そこを過ぎしばらくすると道路は右にカーブして柏尾川から離れます。この辺りは三菱電機の工場群があります。工場のフェンス越しに山が見えます。その山が天神山で北野神社が鎮座している場所となります。

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電子国土画像。[1]が町屋橋、[2]がやぐら、[3]が天神山。

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電子国土画像。[4]が古舘橋、[5]が御霊神社。

北野神社に行くには山を廻り込む必要があり、Y字路を右に進むとすぐ、JR大船工場へと続く廃線を渡ります。そして右に折れ山を廻り込むと神社への参道が現れます。

北野神社に関しては、神奈川県神社庁のホームページより以下引用します。

暦応年間(1338~1342)に夢窓疎石が京都の北野天神社を勧請した。貞治元年(1362)12月円覚寺塔頭黄院主が当社を再建した。 岩瀬村の五所明神に合祀されていた相殿の牛頭天王は延宝年間(1673~1681)に、神託により当社に合祀された。


岩瀬は横浜市栄区(歴史の宝庫本郷台で取り上げた地区)に接する鎌倉市の最北部に当たり、神社は岩瀬平島の鎌倉女子大北側に鎮座しています。鎌倉御家人の岩瀬与一太郎により建久年間(1190年頃)に創建されたとのこと。この神社は稲荷神社です。

ちょっとわかりにくくなりました。通常神婚儀礼は男神と巫女との間で執り行われるものです。儀礼の深源を探るには神話世界にまで遡行する必要があり、奥が深いのでこの記事では触れません。ご興味ある方は大和岩雄氏の「天照大神と前方後円墳の謎」(六興出版)を参照ください。

ところが、八雲神社例大祭の場合は男神(牛頭天王)同士の神婚儀礼に見えてしまいます。「おかま神」の神婚儀礼など聞いたことはありません。

そもそも北野天満宮は菅原道真を祀る神社です。菅原道真と言えば日本最強の怨霊でもあり、女性的要素は皆無のはず。ただ、牛は天満宮において神使とされているので、山崎の北野神社に牛頭天王が合祀されたのは理解できます。しかしそれだけでは、依然としてこの神婚儀礼の意味は不明です。神道以外の要素から解いていく必要があるのかもしれません。

             ―八雲神社例大祭の謎 その2に続く―

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酔石亭主

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