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とても怖~い、ゴールデンウイークの過ごし方

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05 /04 2011

藤沢には丑の刻参りで有名な―そうした話が好きな一部の方のみに有名な―佐波神社があります。十数年前のことですが、境内の樹木に三体の藁人形が五寸釘で打ちつけられ、藁人形が発見されたときには、名前を書かれた方の親戚が既に変死されていたとかいないとか…。本当ですかねぇ~?

神社所在地は引地川沿いの藤沢市石川で、酔石亭主の自宅からも比較的簡単に行けます。


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グーグル地図画像。

境内の西側は住宅街となっており、過去にそうした恐ろしい事件が起きた(とされる)雰囲気はみじんもありません。

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神社手前から見た引地川方面。写真の左側が神社です。

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佐波神社の入り口。

石柱に佐波大明神と大きく彫られており、その上の神紋は笹竜胆紋と思われます。この紋は、龍胆の花と葉の文様から案出され、葉が笹に似ているところから笹龍胆と呼ばれています。

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解説板。

これだけでは何のことかわかりません。源義朝は源頼朝や義経の父として有名ですが、鎌倉権五郎景政が拓き、伊勢神宮に寄進した大庭の地(大庭御厨)に乱入して強奪を試みた人物。地元にとっては憎っくき輩のはずが神様として祀られているのは解せません。

そもそも佐波神社自体がこの周辺に12社ほどある極めてローカルな神社の一つで、鯖神社とか左馬神社などとも表記されます。左馬神社とするのは義朝が左馬頭であったことにちなむと思われます。いずれにせよ、創建年代が戦国末期なら、神社としては決して古いものではありません。

疑問を抱きつつ、とにかく境内に入ってみましょう。

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鳥居越しに見た拝殿。

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参道脇に置かれた青面金剛です。

足下に三猿を踏まえています。正徳6年ですから1716年の造立になります。他に馬頭観音などもありました。

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拝殿。

まだ新しく神韻というか気品が漂っています。よほど地元では崇敬されているのでしょう。

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部分金張りの大きくて立派な扁額です。

周辺の樹木に丑の刻参りの痕跡がないかチェックしましたが、それらしきものは見当たりません。

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樹木。樹皮が剥がされています。落書きの跡でしょうか?あるいは…。

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老木。

幾星霜を経て木の中心部は空洞となり、表面に醜く歪む義朝の顔が…。宮前の御霊神社に続き、これも死霊の宿る木と認定したいところです。なぜ義朝が死霊となり得るのか?以下Wikipediaより引用します。

そのため父とは別に東国を根拠地に独自に勢力を伸ばし相馬御厨・大庭御厨などの支配権をめぐって在地豪族間の争いに介入し、その結果、三浦義明・大庭景義ら有力な在地豪族を傘下に収める。河内源氏の主要基盤が東国(関東地方)となったのはこの義朝の代であり、特に高祖父の源頼義以来ゆかりのある鎌倉の亀ヶ谷に館を構え、相模国一帯に強い基盤を持った。…中略…
(平治の乱で敗れた)義朝は尾張国にたどり着き宿をとるため家来の長田忠致のもとに身を寄せるが、長田父子に入浴中に襲撃されてあえない最期を遂げた(『平治物語』)。享年38であった。義朝の墓は、その終焉の地である愛知県美浜町の野間大坊の境内に存在する。


野間は知多半島の景勝地で、灯台があることでも有名(あくまでローカル的に)です。酔石亭主が子供の頃には、岩場でタコやウニなどが採れたのですが、最近はどうか知りません。数年前に行ったときは、何もいませんでした。

義朝の墓には数多くの木刀が供えられています。これは義朝が、「木刀の一本もあれば、おめおめと討たれることはなかったのに…」と言って絶句したことにちなんでいます。死霊候補たり得る死にざまですね。

義朝は天養元年(1144年)に大庭へ乱入、人々を苦しめ鵠沼郷は鎌倉郡だと強弁し、しかも恨みを残して遠い他国で死にました。そんな人物が、なぜ藤沢近辺の地で祀られるのかどうもはっきりしません。この間の事情がなおも謎として残ります。

佐波神社と表記される神社は日本各地にあり、「さわ」と読んで沢を表す場合があるようです。例えば伊豆には佐波神社がありました。

近くを引地川が流れ、藤沢の地にあるので洪水を鎮める沢神社となり、義朝の左馬頭と結び付き、荒らぶる川と荒ぶる魂を鎮める左馬神社となって、佐波神社に落ち着いたのでしょうか?

なお、笹竜胆紋は河内源氏の石川氏の家紋で、地名の石川は石川氏との関連が窺えます。ちなみに、鎌倉市の市章も笹竜胆となっています。笹竜胆は源頼朝の紋とされていることからそうなったようです。但し、頼朝は白旗で竜胆紋を使用していないとされています。

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拝殿横には鐘つき堂がありました。

以前は鬱蒼とした森におおわれていたのでしょうが、現在では住宅街に近い感じで境内手前の道路も車が頻繁に通ります。社殿も綺麗に整備され、おどろおどろしい雰囲気はありません。丑の刻参り云々は既に遠い過去の記憶でしかなさそうです。怖いはずが、少しも怖くないゴールデンウイークの過ごし方になってしまいました。



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酔石亭主

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