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関東平氏の鎌倉 その8

関東平氏の鎌倉
05 /17 2011

鎌倉党は頼朝以前の相模国を支配していました。しかし彼らの命運は頼朝の時代にあえなく尽きてしまいます。一方、良文の子孫で長い命脈を保った一族も存在しています。彼らの名を千葉氏と言い、千葉県の地名由来になっていることからも、その繁栄振りが見て取れるでしょう。また分家や支流もただならぬ数となっていました。以下Wikipediaより引用します。

千葉(ちば)氏は、坂東八平氏・関東八屋形の一つに数えられる下総の豪族で、守護大名・戦国大名となった一族である。桓武平氏良文流。通字は「胤」


彼らの系図を見ていきましょう。

良文―忠頼―忠常(千葉氏の祖)…常重―常胤(つねたね)

常重は千葉氏の実質的な初代当主。常胤は頼朝に従い、鎌倉幕府成立後は御家人の筆頭となりました。頼朝の信頼が極めて厚かったと理解できます。彼の生没年は1118年~1201年とこの時代には珍しい80年以上の長寿を全うしています。

千葉氏の一族に特徴的なのは、彼らが妙見信仰を持ち続けたことでしょう。妙見信仰は元々良文の母親が持っていた信仰で、それが時代を越えて一族に伝えられてきたとは、ちょっと驚きです。

妙見信仰は中国の道教における北極星や北斗七星への信仰が日本に入り広まったものです。道教では北極星(北辰)を太一神として崇め、北辰・北斗を神格化したのが鎮宅霊符神で、安倍晴明が北鎌倉で鎮宅霊符を貼った家が後に頼朝の仮住居となりました。仏教にこの信仰が流れ込むと北辰妙見菩薩となり、神道では天御中主神と習合しています。

日本においては道教、陰陽道、密教、神道、仏教(主に日蓮宗)などあらゆる宗教に妙見信仰が見られるのは面白いですね。

千葉氏の信仰の拠点は千葉神社(千葉妙見宮)です。平良文は妙見尊に祈願して戦に勝利していたので、千葉氏は一門の守護神として深く信仰してきました。このため忠常により分霊が祀られ、長保2年(西暦1000年)、『北斗山金剛授寺』という寺号の寺が開山されます。

大治元年(1126)には常重により、千葉城にて祀られていた御尊体を金剛授寺に遷し、ここが千葉氏における妙見信仰の中心となり、その後武家のみならず庶民からの崇敬も集めることになりました。

千葉妙見宮には源頼朝も参詣し、自筆の願文、太刀、武具などを奉納したとされています。また日蓮も参籠し、有難い奇瑞を得たことから、妙見尊を宗門の守護神としました。

千葉氏は鎌倉幕府創設の立役者であり、幕府の筆頭御家人となりました。彼らの屋敷ももちろん鎌倉にあります。例えば日蓮宗の妙隆寺は千葉氏の屋敷跡に建てられたとか。

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妙隆寺の位置を示す案内板。

寺は画像左上。なお案内板は右側が北になっています。案内板は西御門に設置されているもの。

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妙隆寺の解説板。

以上からすれば、鎌倉や藤沢には妙見信仰関連の遺跡が多数あるはず。と思ったら意外に少なくて驚きました。次回はそれらを訪ねてみたいと思います。

               ―関東平氏の鎌倉 その9に続く―

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酔石亭主

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