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関東平氏の鎌倉 その9

関東平氏の鎌倉
05 /20 2011

今日は妙見信仰に関連した石碑などをグーグル地図画像に沿って見ていきます。


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グーグル地図画像。

最初の訪問先は来迎寺の入口手前左にある八雲神社(地図画像には神社の明記がありません)、祭神は須佐男命です。建立がいつかはっきりせず、「風土記稿」によれば字大門の天王社が元だそうです。

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八雲神社。

鳥居を見るとなぜか干しワカメがぶら下がっています。不思議な光景ですね。スサノオとワカメなど結びつくはずがありません。だとすれば、西御門に居を構えた武士と関係がありそうです。そう、千葉氏の一族で下総国海上郡海上庄から名を取った海上氏(うなかみ)です。海上氏にも二つの流れがあり、千葉介常胤の叔父・常衡から派生した海上氏と、千葉介常胤の六男・胤頼を祖とする海上氏があります。

海にちなんだ一族の居館にある社だから干しワカメなのでしょうか?確信はないのですが、そうしておきましょう。神社の裏に廻ると…。

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ありました。妙見大菩薩の石碑です。

石碑の上に何やら丸く彫られています。拡大して見ると…、

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北斗七星です。

妙見は北極星あるいは北斗七星を神格化したものですが、碑に刻まれているのは珍しい。
いつ頃建てられたのかを調べてみると、天保三年(1832年)と裏に彫られています。

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石碑の裏。

約180年前のものでそれほど古くはありません。海上氏は秀吉の小田原攻めの際に北条氏と運命を共にして衰退します。すると石碑は、かつてこの土地にいた海上氏をしのんで地元の方が建てたのでしょうか?あるいは海上氏の子孫がこの地に在住していたとも考えられます。

八雲神社を後にして頼朝の白旗神社前を金沢街道に向けて歩きます。すぐに「岐れ道」バス停付近に出ます。その少し左手先を左折すると滑川に架かる橋に出ます。

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大蔵稲荷橋です。

大蔵稲荷橋を渡るとすぐ左手に鳥居が…。

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大蔵稲荷一の鳥居です。

鳥居を過ぎて境内へ。すると…。

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庚申塔などが数多く目に入ります。その中にちょっと形の違うものが…。

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ありました。妙見大菩薩の石碑です。

いつ頃のものかは不明です。さらに歩くと…。

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二の鳥居でしょうか。その先はかなり急な石段です。石段を登ります。

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三の鳥居と社殿の覆堂。

厳重に管理されているようです。「吾妻鏡」の弘長元年(1261年)には、大蔵稲荷の辺りが騒がしい云々の記述があり、この稲荷社がそれであるとされています。名前からしても古い稲荷神社と思われますが、どんな意味があるのでしょう?裏は岩壁になっているので廻ってみます。

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やぐらというか洞窟状の穴があり、石の祠が置かれています。

これが本来の大蔵稲荷だったのでしょう。もしかしたら、秦氏系の墓だったのかもしれません。

さて、八雲神社の妙見碑は千葉氏系海上氏の関連と見て間違いなさそうですが、大蔵稲荷の妙見碑は何なのでしょう?うんとこじつければ、秦氏も妙見信仰を持っていたからその関連と言えるかもしれませんが、明確な根拠はありません。

そうした場合は位置関係から考えるのが常道です。八雲神社から大蔵稲荷に向けて線を引くと…、何とぴったり南北ラインになります。

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案内板。線を引いてあるので参照ください。

そしてライン上には頼朝の墓ある法華堂の敷地が…。しかも頼朝は、千葉神社(千葉妙見宮)に参詣しています。

このライン構成は明らかに意識的です。だとすれば、大蔵稲荷の妙見大菩薩碑も海上氏に関連した部分があるのかもしれません。もっとこの南北ラインを延長してみます。南には日蓮が立正安国論を著したことで有名な安国論寺がありました。と言うことで、安国論寺へ。

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安国論寺の解説板。

寺の前の右手に進むと、名越の大黒堂が見えてきます。

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大黒堂境内。小さな祠と言った感じです。左手に庚申塔などがあるような…。

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石碑です。

猿田彦大神・北斗尊星・天鈿女尊とあり、文化5年(1808年)に建てられたものです。200年以上前のものですが、さほど古いとは言えません。猿田彦は道祖神と習合し天鈿女尊は猿田彦の奥さんになります。左右を挟まれて北斗尊星も窮屈そうに見えます。

こちらの北斗尊星は日蓮宗の妙見信仰に関連している可能性もありますが、南北ライン上にあるとなると、やはり海上氏の関連でしょうか?今となっては尋ね得ようもありませんが…。

鎌倉における妙見関連の遺構は以上です。数が少なく時代的に新しいのが特徴です。せめて戦国時代以前のものでもあればと思ってしまいます。

               ―関東平氏の鎌倉 その10に続く―

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酔石亭主

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