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関東平氏の鎌倉 その10

関東平氏の鎌倉
05 /23 2011

今回は藤沢市における妙見信仰を見ていきます。藤沢の鵠沼地区には結構な数の庚申塔などがあって、「鵠沼を語る会」と言う地元の会が詳しく調べ上げており、その中に妙見碑も出てきます。所在地は藤沢市鵠沼海岸2-12 国分㈱鵠沼寮駐車場だとか。

鵠沼海岸と知って、ちょっと妙な気がしました。そこは海岸線に近く、戦前の別荘やお屋敷があった一帯。妙見碑があるとは考えられません。しかし実際にあるなら、あれこれ考える前に行ってみるしかないでしょう。では、チャリンコを転がして探索に…。

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途中には湘南らしいお店が…。

かなり大きな鵠沼稲荷神社も海岸近くにありました。(良く神社前を通るので以前から知っていましたが…)鎌倉では大蔵稲荷の境内に妙見碑があったので、ひょっとしたら同じような関係でしょうか?

ところが由緒を調べてみると昭和18年に伏見稲荷大社の分霊を勧請して創建されたとあり、関係なさそうに思えます。あるいは、妙見碑も新しいのかもしれません。

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鵠沼稲荷神社。

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鵠沼和貴水とあります。

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湧き水のことでした。

清冽な水が流れ出ています。原発事故の後利用された方も多かったのでは、と思います。鵠沼稲荷から妙見碑まではすぐの距離です。

藤沢市の文化財になりそうな大きな洋館が見えてきました。国分さんの表札があります。
とすれば、この裏手辺りに寮の駐車場があるのでしょう。

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国分さんの洋館。


大きな地図で見る
グーグル画像。

画像で2丁目と表示されているのが国分さん宅で、寮の建物も見えます。日本離れした広大な敷地です。南へ少し歩くと湘南海岸に出ます。

駐車場の中に妙見碑がありました。かなり新しそうに思えます。

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妙見碑。

「鵠沼を語る会」によれば、これは鵠沼で最も不可解な碑だそうです。ここは江戸時代には鉄炮場で、明治になり徳島藩の藩主の次男が購入。現在の所有者は缶詰で知られる総合食品メーカー国分㈱の代表取締役会長兼社長國分勘兵衛氏とのことです。

なるほどそれで国分さんの表札があり、3000坪の敷地の一部が社員寮の駐車場になっているのです。

不可解な碑であればあるほど酔石亭主にとって挑戦し甲斐があると言うもの。早速碑文の内容を見てみましょう。

碑の中央には、「北辰妙見星」と彫られています。その上部には山形の上に丸が彫られています。そして右上に「日」、左上に「月」の文字が見られ、右側には「三十霊明神」、左側には「七曜九曜廿八宿富士大行名山」と彫られているようです。

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拡大して撮影。

左上の「月」に対して右上の「日」がよくわかりません。もしかしたら「日」は「星」の書き間違いではないでしょうか?そして山形の上の丸は星と富士を表しているなら、千葉氏の月星紋の変形とも推測されます。多分、富士信仰の要素が入って変形させたのです。

七曜は、火星、水星、木星、金星、土星、太陽と月の7つの天体を指しています。九曜はこの7つに架空の計都(けいと)星と羅睺(らごう)星を加えたものとされています。廿八宿に関しては以下Wikipediaより引用します。

二十八宿(にじゅうはっしゅく)とは、天球における天の赤道を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。二十八舎(にじゅうはっしゃ)ともいう。またその区分の基準となった28の星座(中国では星官・天官といった)のこと。中国の天文学・占星術で用いられた。


妙見信仰は北極星への信仰から星辰全体へと広がっているようです。ところで国分さんの国分株式会社創業は、同社ホームページによると1712年(正徳2年)と大変古いものでした。4代國分勘兵衛宗山が土浦に醤油醸造工場を設け、大國屋の屋号で開業、同時に江戸・日本橋本町に店舗を開設したとのこと。

国分さんの歴史は古い。だったら千葉氏と関係があったのかもしれない。そう閃き、Wikipediaでチェックしたところ以下の通りでした。

国分氏(こくぶうじ、こくぶし)は日本の下総国国分を本拠にした武士の一族で、桓武平氏千葉氏流に属す。平安時代末期の惣領千葉常胤には7人の男子がおり、庶子にもそれぞれ所領を分与した。五男胤通は、下総国葛飾郡国分寺領(現在の千葉県市川市国分)を分与され「国分」を称した。


何と、鵠沼で最も不可解とされる妙見碑は間違いなく千葉氏の支流である国分氏が建てたものだったのです。建てた時代は不明ですが、国分氏がこの地を購入したのと時を同じくして建てられたのでしょう。住宅が昭和初期のものとすれば、妙見碑もその時期と言うことになります。鵠沼で最も不可解な碑の謎がこれで解けました。

実はこれと全く同じ書体の碑文が小田原市の大稲荷神社にあります。国分氏は戦国時代になって北条氏に従い、秀吉の小田原攻めで所領を没収されます。そうした関連で国分氏は小田原にも同様の碑を建てたのでしょう。

ちなみに、国分氏の家紋は九曜紋で千葉氏は月星紋です。この場所にはもう一つ小さな妙見碑があります。

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妙見碑

文字が読み取りにくく、こちらの方が古い碑のように思われます。

               ―関東平氏の鎌倉 その11に続く―

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酔石亭主

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