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鎌倉・藤沢の義経伝説 その23

鎌倉・藤沢の義経伝説
07 /27 2011

弁慶塚は確かに存在する。しかしここに弁慶の首が埋葬された確証はない。ここが頭を悩ます部分でした。で、実際のところはどうだったのでしょう?まず「鶏肋温故」に当たってみます。

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「鶏肋温故」のコピー。

白旗神社の項に「例歳七月十五日当社及八王子権現ノ神輿ヲ仮殿二移シ」、とあります。また、八王子社の項では、武蔵坊弁慶の首塚があるところで、例祭は白旗と同じ、とあります。

この内容から、義経と弁慶は完全にペアになっているとわかります。ペアになったのは以下の理由によると思われます。

「東海道名所記」に義経と弁慶の首が白旗に飛んだと記載あること、歌舞伎で弁慶の存在が重要視されていること。

次に仮殿と言う言葉に注目しましょう。仮殿は「その18」に掲載した明治時代の地図にあるお仮屋のことです。現在白旗神社から出発する義経神輿と弁慶の神輿(八王子権現の神輿)は、江戸時代にはお仮屋に移され、そこから町に繰り出していたのです。

このお仮屋が初めて建てられたのは、宝暦2年(1752年)のことでした。この年号が気になりませんか?そう、弁慶塚に彫られていた年号と同じです。ここから次のような推測が成り立ちます。

お仮屋が建てられた当時、歌舞伎の影響もあり、義経の霊を祀るなら、弁慶も同時に祀るべきだという機運が地元で高まってきて、弁慶塚の建立に繋がった。その前提には、1650年代半ばに書かれた「東海道名所記」の、「弁慶の首が白旗神社に飛んだ」と言う記述がある。

以上より、弁慶塚が建立されたのは歌舞伎と「東海道名所記」などの影響によるものと推測されます。つまり、八王子権現社に弁慶の首が埋められた訳ではないのです。弁慶の神輿が現在は白旗神社にあるにもかかわらず、祭神どころか配神にもなっていないのは、その証明となるでしょう。弁慶の塚は現存するが首は埋葬されていない、それが今回の結論となりました。

なお、義経の首塚に弁慶の首も埋められていると言う見方まであるようですが、これも「東海道名所記」などの影響によるものと思われます。

ところで、「東海の秦氏 その10」2010年11月16日、で取り上げた豊川市菟足神社の大般若経五八五巻は、国の重要文化財に指定されており、長い間弁慶の書と伝えられていました。(実際は違いますが、大般若経は熊野修験の流れと言われています)

この神社は熊野から渡来した秦氏創建の神社とされ、一方弁慶は熊野の出身(新宮市から熊野川を越えた三重県紀宝町には「弁慶産屋の楠跡」石碑がある)だったからそうした言い伝えになったものと思われます。

「東海の秦氏 その10」で、菟足神社にある案内板(豊川市教育委員会設置)を掲載しました。そこには以下のように書かれています。

熊野に渡来した徐福一行は、この地方にも移り住み、その子孫が秦氏を名乗っている。…中略…
三河地方が古来から熊野地方とは海路による往来が行われ、熊野信仰の修験者により熊野に伝わる徐福伝承が伝えられた。

この記事は熊野修験と秦氏の係わりを示しています。(詳しくは「東海の秦氏 その10」を参照ください)
実際には三河地方(特に豊川市小坂井町、豊橋市日色野町)に秦氏姓が多いことから、徐福伝承は熊野信仰の修験者により三河に伝えられたのではないと思われます。

徐福伝承はあくまで秦氏によって伝えられたのです。しかし後年になって、秦氏と混じり合った熊野修験者が熊野から三河地方に渡来した可能性は否定できません。同じ修験道である白山修験の創設者泰澄は秦氏系であることからもそれは窺えます。そうした流れの中で、菟足神社にある熊野修験の大般若経は弁慶の書であるとの伝承が生まれたのでしょう。

これらの複雑な関係から、秦氏の影響を受けた義経と熊野修験の流れを汲む弁慶はやたら深く結びつけられたと考えられるのです。

続いて、八王子権現に関する「鶏肋温故」の記事をもう一度見てみましょう。

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「鶏肋温故」。

八王子権現は常光寺の傍らにあり、武蔵坊弁慶の霊を祀るそうだ。これは白旗明神を義経と言うのに対応しているのである。考えを巡らしてみると、当社は現在白王山荘厳寺にて管理している。しかし、常光寺を八王山と号し、当社を八王子権現と称すれば、これは正しく常光寺一山の鎮守であるべきで、暇があればなお考証が必要である。

八王子権現は荘厳寺にて管理している、しかし常光寺の鎮守であるべき、とあります。矛盾した書き方ですね。でも、なぜ荘厳寺が弁慶塚の関連で出てくるのでしょう。その背後には、何らかの事情があったはずです。「暇があればなおも考証が必要だ」と「鶏肋温故」にも書かれていますので、暇人の酔石亭主が次回にでも考証してみます。

             ―鎌倉・藤沢の義経伝説 その24に続く―
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酔石亭主

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