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秦さんはどこにいる? その3


今回は中国地方の秦姓を見ていきます。前回、前々回は事前予想を裏切られる事態となりましたので、今度は想定通りだといいのですが…。

山口県:全体で51人と少ない。山口市13人。防府市11人。
広島県:全体で182人。広島市安芸区29人。呉市22人。尾道市22人。
島根県:全体で276人。出雲市が圧倒的で118人。安来市61人。松江市49人。雲南市25人。
岡山県:全体で38人。倉敷市9人。
鳥取県:全体で49人。西伯郡南部町23人。米子市12人。

九州、四国のみならず中国地方も当初の想定を裏切る結果となっています。中国地方においては、秦氏地名が集積している岡山(主に備前国)の人数が最も多いものと思っていました。ところが、結果は正反対。岡山が最も少ない結果となっています。秦氏が多いと思われた備前国に関しては以下Wikpediaより引用します。

備前国(びぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陽道に位置する。現在の岡山県の東南部に香川県小豆郡と直島諸島、兵庫県赤穂市の一部(福浦)を加えた地域にあたるが、成立時はこれより広かった。

備前国の中でも邑久郡一帯は秦氏地名が多く、平城宮木簡には「備前国邑久郡旧井郷秦勝小国白米五斗」などと書かれたものもあります。

岡山県西部に当たる備中も秦姓は多いと思われましたが、総社市など僅か1人でした。総社市には「秦」、「上秦」などの明確な秦氏地名まで残っているにもかかわらず、です…。本当に頭を抱えたくなります。


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総社市秦を示すグーグル地図画像。

総社市一帯は備中国下道郡秦原郷に属し、「秦」には飛鳥時代のものと思われる秦原廃寺があります。また、廃寺のすぐ近くの高梁川には湛井堰(たいいぜき)があって、高梁川を堰き止め水を東岸の水田に流していました。秦氏が造った京都大井川(=大堰川)の堰と同一パターンの土木建設工事であり、湛井堰の工事も秦氏が担当したものと思われます。彼らはどこへ消え失せたのでしょう?

倉敷は9人と一桁ですが、全体が少ない中では、意味のある人数と言えます。倉敷市浅原の安養院には徐福伝承があります。朝原(浅原は旧朝原郷)は秦氏系の名前で、秦和賀が朝原忌寸に改名したものです。

さらに倉敷市には「林」と言う秦氏系の地名があります。林家は秦川勝の息子の一人を祖とし、雅楽の家元になっています。また近くには、徐福の長男と同じ名前の福岡神社が鎮座しています。


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林と福岡神社を示すグーグル画像。

そこで、岡山県の林姓を検索してみます。すると、1642人中倉敷市は377人と群を抜いていました。倉敷市の秦氏は、その多くが林姓に改名したのかもしれませんね。

島根県は逆の意味で驚きです。秦姓が最も多い出雲市には、秦医院、秦イトオテルミー療養所、秦重機、秦鉄工所、秦造園、秦鍼灸院、秦商店工場などがありました。

出雲市は出雲国造の支配地域なのに、なぜこんなに秦姓が集中しているのでしょう?京都には加茂川西岸に沿って出雲路があり、出雲族が入っていると思われます。亀岡は養蚕が盛んな地で、それを伝えたのは京都の秦氏。一方出雲氏は山陰道を経由して亀岡に入り、この辺りで秦氏と遭遇、出雲氏から、出雲はいい場所だよと聞かされ、秦氏が入植したのではないでしょうか?

京都の秦氏が出雲に大挙して向かったとすれば、彼らにとって最大の拠点だった京都でも秦姓は少ないことになります…。   

雲南市には赤秦社があり、秦氏の痕跡も見られます。祭神は秦氏とも密接だった猿田彦。 いずれにしても、古代神話の地である出雲はあまりにも複雑な場所なので、一定の理解を得るには半年程度かけて一帯を廻る必要があります。ですが、とてもそんな余裕はないので、現時点で深入りはできません。

鳥取県の西伯郡南部町には秦石油店、秦酒店がありました。近くの安来市にも秦善商店、秦精工、秦大吉大吉食堂、秦本店、秦茂人商店などが見られます。

ここまで九州、四国、中国地方を見てきました。しかし、どの秦氏の拠点にも秦姓の方は居られませんでした。これは何を意味しているのでしょう?以下、大胆な仮説を提示したいと思います。

以前、秦氏の謎解きで、平安初期以降の秦氏は全国に散らばり姿を隠したと書きました。日本人の意識構造を決定付けた呪術系の秦氏は、自らの意思で歴史の表舞台から去り、下級陰陽師、傀儡子、あるいは七道者とされる猿楽、アルキ白拍子、アルキ御子、金タタキ、鉢タタキ、アルキ横行、猿飼などへと変容したのです。

秦氏として残ったのは、朝廷の使い走りとなった財務官僚系や、土木建設などを担う技術系の面々でした。彼らは、朝廷の指示であちこちに赴任させられたものと思われます。そうしたメンバーの入植地が、現在秦姓の多い地域だと推定されます。

以上から次のような結論が得られます。

秦氏の主要拠点に居住し、日本人を呪縛する役割を担った呪術系秦氏は、平安時代初期以降に姿を隠した。よって、現在それらの地域に秦姓はほとんど見られない。現在秦姓の多い地域は、財務官僚系や技術系の秦氏が入植したものである。(結論ではなく、あくまで現時点における仮説です)

秦氏と一口で言っても呪術系、徐福系、財務官僚系、土木技術系に加え、彼らの傍系あるいは彼らから技術を学んで改名した、羽田、秦野、波多野、八田、羽鳥、服部など多様な姓を持つ系列氏族が存在しています。全く一筋縄ではいかない相手ですね。

なお、次回から秦氏関連地域の多い関西を書いていきます。ただ、このシリーズは全体を大ざっぱに見ていくのが目的です。細かい部分は、鎌倉の謎解きのように何度も同じ場所や図書館に足を運び調べる必要があるので、現時点では実行できません。将来可能なら取り組んでみたいとは思っています。そうした前提で引き続き本シリーズをお読みいただければ幸いです。
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