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秦さんはどこにいる? その4

秦さんはどこにいる?
09 /03 2011

今回から関西エリアに突入します。秦姓が飛び抜けて多い兵庫県と大阪府を最初に見ていきましょう。

兵庫県:全体で223人。南あわじ市30人。豊岡市20人。神戸市西区18人。西宮市18人、宍栗市15人、加古川市13人、姫路市11人など。
大阪府:全体で326人。貝塚市31人。東大阪市18人。豊中市と吹田市が16人、茨木市、高槻市、八尾市が9人など。

データだけだと秦姓は多いように思えます。けれども、人口比からすると必ずしも多いとは言えず、各地域の集中度もそれほどではなさそうです。

兵庫県は予想に反しています。赤穂市坂越には秦川勝終焉の地とされる大避神社があります。
大避神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

大避神社(おおさけじんじゃ)は兵庫県赤穂市坂越(さこし)にある神社。祭神は大避大神(秦河勝)・天照皇大神・春日大神。…中略…
坂越浦に面して鎮座し、秦河勝、天照皇大神、春日大神を祀っている。 神社の創立時期は明らかではないが、千種川流域を開墾したとされる秦河勝が大化3年(647年)に没し、地元の民がその霊を祀ったのが始まりとされる。


秦氏の最重要人物の墓があるなら、当然赤穂市は秦氏の拠点と思われます。「日本三代実録」には「播磨国赤穂郡大領外正七位下秦造内麻呂借叙外従五位下」などの記述があり、有年牟礼・山田遺跡からは秦と刻まれた須恵器が出土しています。その他にも様々な秦氏関連の記述が見られます。

ところが赤穂市の秦姓は僅か1人。全体数は多いのに肝心の赤穂市がこれでは、一体どうなっているのでしょう?赤穂市には聖徳太子によって開かれ、慈覚大師により創建された普門寺があります。元々は大避神社のほぼ真西に当たる雄鷹台山にあったそうです。


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坂越一帯を示すグーグル地図画像。

秦川勝と聖徳太子はペアのようなものですから、赤穂市に聖徳太子ゆかりの寺があっても不思議ではありません。ただ兵庫県には、両者がペアになっていない場所もあります。赤穂市から東の揖保郡にある、聖徳太子ゆかりの揖保郡太子町です。

聖徳太子が推古天皇に法華経など講じ、その報償として天皇より播磨国の水田を下賜され、太子はこれを法隆寺に寄進。法隆寺の荘園である法隆寺領播磨国鵤荘(いかるがのしょう)となりました。寄進の時期は推古14年(606年)とされています。この歴史を踏まえ町名が太子町になりました。


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太子町を示すグーグル地図画像。

よく調べれば太子町に秦氏の痕跡があるかもしれませんが、行ったこともないのでわかりません。太子町からさらに東の加古川市には秦氏の痕跡が残ります。例えば鶴林寺です。

お寺の公式ホームページによれば、聖徳太子が秦川勝に命じて建立したのが始まりとされています。また、泊神社は宮本武蔵ゆかりの神社ですが、これにも秦川勝が関与しています。

加古川一帯は聖徳太子と秦川勝の関連が多いようで、加古川の五カ井堰は594年に聖徳太子が造り、そこには秦川勝がいたと平成17年6月の加古川市議会会議録に記されています。


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加古川を示すグーグル地図画像。

一帯はグーグル地図画像でもわかりますが、ため池だらけです。ちなみに兵庫県におけるため池の数は約4万3千と日本一です。

ところが加古川町内にはため池が存在していません。理由は簡単。川の上流に堰が設けられ、用水路が加古川町内の5地域を潤しているからです。よってこの堰は五カ井堰、用水路は五カ井と称されました。

加古川の堤防内には太子岩(加古川大堰の近く)と言う岩があって、この岩が用水を掘る基準点になっています。具体的には、太子岩(上の太子岩)と日岡神社西の大野地内にある太子岩(下の太子岩)、鶴林寺三重の塔の3地点を結んで五カ井の用水路が掘削されたそうです。

加古川東岸一帯は聖徳太子の賜田だったので、秦川勝も協力したのでしょう。堰を設け、用水を掘削するのは間違いなく秦氏の技術ですね。

結局、瀬戸内海に面した赤穂市から、姫路市、加古川市、神戸市西区、西宮市にかけて秦氏が幅広く分布していたと考えられます。また各地で聖徳太子が出てくるのは、秦川勝が聖徳太子の名代として事業を推進したからだとも推定されます。

それ以外の独立した地区では、南あわじ市が30人と多くなっています。南あわじ市には秦組本店、秦クリーニング、秦鉄工所などがありました。地名としては三原郡幡多郷があり、古代における秦氏の存在は確認できそうです。まあ、淡路島は神話の時代から出てくる古い場所ですし、海路九州から大和に至る中継地点でもあり、秦氏がいてもおかしくはありません。

豊岡市には畑上や但東町畑などの秦氏地名があります。この地に秦姓が多いのは天日槍(あめのひぼこ)との関係かもしれません。宍栗市の秦氏は蹈鞴製鉄と天日槍の関係でしょうか?

大阪府も大きく予想を裏切っています。寝屋川市(旧河内国讃良郡)は秦氏地名が集中し、秦川勝にちなむ川勝町まであります。また秦山には伝秦川勝の墓もあります。


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寝屋川市を示すグーグル地図画像。

「古事記」によると、仁徳天皇が秦人に茨田堤を造らせています。場所は現在の寝屋川市。なお茨田郡は現在の守口市全域、門真市全域、寝屋川市の一部、枚方市の一部、大東市の一部、大阪市鶴見区の一部に相当しています。

天皇は茨田郡幡多に居住していた秦氏に工事を担当させたのでしょう。以上から寝屋川市には、さぞかし多くの秦姓の方が居られると思ったのですが、僅か3人にすぎませんでした。

池田市も秦氏が多くいたと思われます。かつてこの地は摂津国豊嶋郡に属し、豊は秦氏を象徴するもので、秦上郷、秦下郷など秦氏地名もありました。現在でも、秦正製材、秦自動車などの社名が見られます。なのに、池田市の秦姓は3人しか居られません。彼らはどこに消えうせたのでしょう?全く不可解ですね。

秦姓の多い貝塚市半田(半田も秦氏地名)には秦鮮魚店、貝塚市麻生に(株)西秦などがありました。岸和田市には行政書士秦総合事務所があり、また大阪府交野市にある機物神社(=秦物神社)は七夕祭りで有名ですが、秦氏の神社です。大阪府の場合、秦を冠した社名はあちこちにあり、秦姓の方も多いと言えるでしょう。

秦氏は、河内国茨田郡・高安郡・丹比郡・安宿郡・讃良郡・大県郡・摂津国西成郡・豊嶋郡・嶋上郡・河辺郡・和泉国などに分布していたとされ、大阪府なら細かく調査するとどこにでも痕跡がありそうに思われます。しかしその割には、秦姓の全体数も地域毎の数も少ない結果となっています。

読み返してみると、どうも纏まりのない説明になってしまいました。現地を見ないと地についた文章は書けそうにありません。関西方面の秦氏を知るには、腰を据えて半年程度実地調査する必要があるでしょう。


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酔石亭主

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