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秦さんはどこにいる? その9


今日は山梨県と神奈川県の秦さんです。山梨県は行政上の分類によると関東地方又は首都圏となり、地理上の分類では中部地方(甲信地方又は甲信越地方)で帰属が曖昧です。ただ、富士北麓地域は遠い昔相模国に属していたこともあり、関東と考えて山梨県と神奈川県を並べることとしました。秦氏が800年の富士山大噴火で富士北麓から相模国に移住したことからも、山梨、神奈川の関係が見て取れます。

山梨県:秦姓は全体で44人。都留市に16人で、後はそれぞれ数人程度。
神奈川県:全体で207人。全体ではまずまずの人数です。都市別では厚木市が13人、海老名市が12人、横須賀市が11人、横浜市旭区が10人、相模原市緑区は8人です。

今回は従来の捉え方と異なり、秦氏の移動経路に沿って秦姓がどう分布しているかを見ていきます。富士山麓の徐福伝承は南都留郡山中湖村、富士吉田市、南都留郡富士河口湖町一帯に見られます。(詳細は「富士山麓の秦氏」を新たな記事カテゴリ―として書く予定)

そこから秦氏は、山中湖を源とする桂川に沿って西桂町、都留市、大月市、上野原市、相模原市緑区へと移動します。川の名は相模湖から相模川に変わり、秦氏は海老名市から厚木市を経て寒川町の寒川神社に至りました。(…としておきます)


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移動経路全体を示すグーグル地図画像。適宜拡大してご覧ください。

上記の移動経路に沿って秦姓の分布をチェックしてみます。まず、当初の秦氏居住区すなわち徐福伝承の所在地とされるエリアです。驚くべきことに、秦姓は河口湖町1人、山中湖村1人、富士吉田市4人の結果となりました。最初の移住地と想定される都留市は16人で山梨県下の最大数となっています。続く大月市はゼロ。上野原市は4人でした。

続いて神奈川県に入ります。相模原市緑区(秦氏の三柱神社のある旧藤野町小渕が含まれる)は8人です。(藤野町小渕が相模原市緑区だなんて、どうしても実感が湧きません。かなり不適切な気がします)

そのまま相模川沿いに下り、厚木市が13人、海老名市が12人となっています。ほぼ移動経路に沿って秦姓が分布していると理解されます。ところが最終目的地とされる寒川町の秦姓は1人です。

以上が秦姓の全体像ですが、あまりにも奇妙な結果となりました。出発地点に秦姓がほとんど存在せず、到着地点にも秦姓が見られないからです。なのに、移動経路に沿って一定の数が分布しています。移動経路における数は山梨・神奈川の他地域より多い、意味のある人数だと判断できます。(大月市がゼロは都留市に含まれると見ていいと思います)

疑問は一旦横に置き、次に富士山北麓から寒川神社に至る経路を具体的に見ていきます。都留市大幡川沿いには機(はた)神社(所在地:都留市大幡4940番)があり、周辺には高畑、大幡、横畑、加畑など秦氏系の地名が多数見られます。都留市には秦設備工業、秦さんが経営される金属熱処理の会社がありました。


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機神社一帯を示すグーグル地図画像。

上野原市には ㈱角屋ハウジングがあり経営者は 秦さんです。

続いて神奈川県に入りましょう。秦氏の三柱神社が鎮座する相模原市緑区小渕には(有)秦製作所が存在しています。相模湖のすぐ下流部には奥畑の地名や嵐山があります。嵐山の相模川を挟んだ対岸には、ミシュランの星が付いて有名になった高尾山(八王子市)があります。

大和岩雄氏の「日本にあった朝鮮王国」によれば、高尾山は「鷹尾」山で、秦氏の本拠地の葛野郡には高尾(雄)山寺があり、秦氏が創建したものです。河内の知識寺の北には秦寺と呼ばれた教興寺があり、高尾山一帯は秦氏系の金知識衆が居住していました。よって、八王子市の高尾山も同様に秦氏が命名したものと思われます。

戦国時代から江戸前期にかけて堤防の復旧、金山開発、全国の金銀山管理などで活躍した大久保長安は秦氏の流れを汲む人物です。彼は自ら家康に申し出て八王子代官となり、高尾山の山林保護に努めました。長安がそうしたのは、この山が秦氏の命名によると知っていたからではないでしょうか。

海老名市では中新田3丁目に秦建具店、秦酒店、スカイハイツ秦A、Bなどがありました。中新田は海老名市における秦姓の中心地と思われます。

中新田の西が厚木で真南が寒川神社のある寒川町となります。具体的に見ても、移動経路には秦氏地名や秦さんの存在を確認できました。

上記の全体像から何が読み取れるでしょう?山梨県は関東における徐福伝承の中心地です。なのに、秦姓の全体数は44人。明らかに少な過ぎます。その中で唯一、二ケタなのが都留市となります。都留の語源は徐福が亡くなって鶴と化したことに由来します。

山梨県に徐福伝承がある以上、秦姓はもっと数が多いはず。けれども、実際の秦姓は極めて少ない。ここに最初の矛盾があります。これをどう考えればいいのでしょう?

酔石亭主は、秦氏が改名を繰り返している点に注目します。そこで、秦姓から派生した羽田姓で見ていきましょう。

すると、山梨県の羽田姓全体で586人に跳ね上がりました。都市別では富士吉田市がダントツの375人、南都留郡山中湖村が134人で人口比から考えるとこれもダントツと言えましょう。他には都留市20人、甲府市19人、南都留郡忍野村が13人となります。羽田姓において明確な傾向が現れました。富士山北麓の秦氏は皆羽田姓に改名したかのように見えます。

これで問題は解決です…、とはなりません。都留市の羽田姓は20人いるものの、大月市は2人、上野原市はゼロと急減します。相模原市緑区の羽田姓は1人、厚木市は7人、海老名市2人とごく少数です。最終地点寒川町の羽田姓はたったの1人。

富士山麓において秦姓が羽田姓に改名されたのは、現時点では正しそうに見えます。ところが移動経路に秦姓はいるのに、羽田姓はほとんど見られません。目的地だったはずの寒川町に至っては秦姓、羽田姓ともにいないも同然なのです。

以上から、桂川に沿って移動した秦氏は寒川の手前で立ち止まったように見えます。秦氏が改名した羽田氏は、伝承では相模国に向かったはずが富士山麓から外に出なかったように見えます。これはどうしたことでしょう?

秦氏に関しては説明できる部分がありそうです。当時の寒川神社の領域はもっと広かったと思われます。中新田と寒川神社の間に社家(海老名市)と言う地名があるのですが、これは寒川神社の神官の屋敷があったことから名付けられたものと推測されます。そう考えると、秦姓に関してはかなり苦しいものの何とか辻褄は合いそうです。それでも羽田姓は、現段階で説明が付きません。


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社家一帯を示すグーグル地図画像。

どうも、富士山麓から寒川神社にかけての秦姓・羽田姓の問題はそれほど簡単ではなさそうです。と言うか、非常に厄介な問題のように思えます。

富士山麓に秦姓は少なく、羽田姓が極めて多い。移動経路には秦氏地名があって秦姓が分布し、一方羽田姓は少ない。目的地の寒川町に至ると秦姓・羽田姓共にほとんどいない。この込み入った謎をどう解けばいいのでしょう?

秦姓と羽田姓の分布は過去の歴史ではなく、現実のものです。ある現実には必ずその現実に対応した事実あるいはストーリーが矛盾なく存在しているはず。それを深掘りすれば答えに到達できるかもしれません。この問題は、富士山麓の秦氏を別途検討する中で考えていきたいと思います。

神奈川の秦氏については、以前「相模国の秦氏」でかなり検討したつもりです。なのに、姓から入ると全く違う景色が見えてくるのも面白いですね。面白いと言うか、大いに悩まされるところです…。

ついでに秦野姓をチェックします。秦野姓は神奈川県全体で94人、藤沢市が16人、横浜市戸塚区が15人でそれ以外は一桁です。秦野市には4人しか居られません。秦氏が改名した秦野氏は秦野市から藤沢市に移住したのでしょうか?藤沢市の秦氏関連を見ていくとその可能性もありそうです。なお秦野市の秦姓は4人、羽田姓は3人で、いずれも有意性のない人数となっています。

次回は東京都です。東京の秦姓に関しては何も特記する事項はないはずで、簡単に済ませられそうに思いました。ところが、あにはからんや、東京の一地域だけでかなりの記事本数が必要になりそうな気配。本当に秦氏は一筋縄ではいかない一族です。


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