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富士山麓の秦氏 その8


長池周辺に別の徐福関連情報がないか調べてみました。結果は以下の通りです。

山中湖村平野字水ヶ久保(和田のすぐ東隣)山頂には徐福石があるとされています。(注:実物を確認してはいません)

また未確認の情報によれば、山中湖平野にある平野屋には徐福を祀る魔王様神社があり、蚕も祀られているそうです。養蚕の神でもある秦氏のありようがここでも見て取れます。

1923年のことです。長池村の故羽田正次氏が自分の畑を耕していたところ、金色の秦と刻まれた印章を発見しました。これぞ徐福の証明と地元は沸き立ちます。なにしろ、羽田さん秦字の印章を見つけたのですから…。

しかし中国側で調べた結果、この印章は後漢末期(180年頃)のものと判定され、刻まれている文字も秦ではないとのこと。徐福とは400年の時を隔てているので直接の関係はないことになります。ただ、古いことは間違いありません。

探せばまだ出てくるかもしれませんが、長池地区は以上です。この地は現在においてなお徐福伝承が語られている稀有な場所でした。でも、それで徐福の富士山麓渡来を証明できる訳ではありません。徐福の穴を再度発掘して、中から秦時代の遺物でも出てくれば、徐福渡来の有力な証拠となり得るでしょう。学術的な調査が望まれます。

山中湖周辺には御所、北畠と言った地名もあります。御所は富士山麓に来て居住したとされる隠れ南朝の長慶天皇にちなんでいるのかもしれません。山中湖村山中には長慶天皇の伝承陵墓地とされる藤塚陵があるからです。北畠は南朝の後醍醐天皇に従った北畠親房(きたばたけちかふさ)から取ったのでしょうか?彼は「神皇正統記」の著者としても有名です。

「山中湖村、羽田」で検索すると、羽田造園とか羽田水道店とか、地域における重要産業の担い手は全て羽田姓となっていました。この地の羽田さんたちは、伝承通りなら徐福→徐福子孫→秦氏→羽田氏と続くので、何と2200年もの歴史を持っていることになります。また、山中湖村ホームページに記載ある山中湖村指定給水工事業者38社のうち、7社の代表者が羽田さんとなっています。

「同姓同名探しと名前ランキング」で検索してみると、山梨県における羽田姓は全体で586人。うち富士吉田市375人、山中湖村134人、都留市20人、甲府市19人、忍野村13人となっています。甲府市を除いても、山梨県における羽田姓の9割以上が現在でも富士山麓に居られるのです。この事実からすると、羽田姓に改名した秦氏の居住区が富士山麓にあったと考えても良さそうです。

しかし、そうは問屋が卸しません。実はある問題が存在しているのです。秦氏は平安初期以降歴史の表舞台から姿を消し去りました。だから秦氏の痕跡を探ろうとしても、大変な苦労を強いられます。なのに、富士吉田市と山中湖周辺には現在に至るも羽田姓が多数居られるのです。姿を隠したはずの一族が現代においても多数存在する事実を、どう解釈すればいいのでしょう?

もう一つ大きな矛盾・問題があります。秦氏は800年の富士山噴火で富士山麓から避難し、都留市、大月市、上野原市、相模原市、丹沢ヤビツ峠を経て秦野に移住します。別のメンバーは相模川に沿って下り寒川の地に入ったはずです。なのに、今でも多数の羽田さんが富士山麓に居住しているのです。富士山麓を逃れた秦氏の子孫が、今もなお同じ場所に居住する事実をどう説明すればいいのでしょう?

大きな疑問が目の前に立ちはだかりました。富士山麓に現存される羽田氏は、本当に秦氏なのでしょうか?山中湖の伝承では徐福の子孫が秦氏を名乗り、羽田氏に改名したことになっています。藤沢市妙善寺の福岡家における徐福伝承でも、徐福の子孫は秦を称したとされています。秦と羽田は音が同じなので、秦氏→羽田氏と改名したのはごく自然な流れのように思われ、問題はなさそうですが…。さて??

(それにしても今回のシリーズは難しい。うまく纏められるのでしょうか???)

                ―富士山麓の秦氏 その9に続く―
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