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富士山麓の秦氏 その10


「その9」まで続けて、ようやく最初の地域である山中湖周辺の記事が終了しました。前回で提起した富士宮に徐福系秦氏がいない謎については、富士山麓の調査が終わった段階で検討します。

では、山中湖周辺地域を後にして、富士吉田市へと車を走らせましょう。次の目的地は138号線沿いにある北口本宮富士浅間神社です。神社の少し手前には小倉山があります。


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北口本宮富士浅間神社と小倉山を示すグーグル地図画像。

京都の小倉山は古今和歌集などでしばしば取り上げられ有名です。例えば、紀貫之が大井にてよめる…。

夕月夜 小倉の山に鳴く鹿の 声の内にや 秋は暮るらむ

小倉山の所在地は、秦氏の支配地域である嵐山(嵯峨野)です。さらに、秦王国の豊前にある宇佐八幡宮が鎮座するのも小倉山。小倉山の名は、秦王国から京都へ、続いて富士山麓へと持ち運ばれたようです。それを証明するかのように小倉山北斜面には徐福聖地石があるとされています。(注:実物は確認しておりません)

北口本宮富士浅間神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。主祭神は木花開耶姫命、夫神の彦火瓊瓊杵命と父神の大山祇神を共に祀っている。旧社格は県社で、戦後別表神社となった。浅間神社の1つ。延暦7年(788年)、甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。


この神社は創建の12年後に富士山の大噴火に遭遇することになります。ただ祭祀としては、「景行天皇の40年、日本武尊が東征の折に社殿西南に位置する大塚丘にて霊峰富士を遥拝し、里人が小祠を建て、浅間明神を勧請したことに始まる」とされています。

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解説板です。

あるいは垂仁天皇の御代、勅命により火山鎮護の神、木花咲耶姫を祀ったことが始まりとも…。以上から、北口本宮冨士浅間神社の山宮が大塚丘にあったとするのが妥当な考えのようです。

境内に入ると広い参道の両側にはずらりと石灯籠が並び、その後ろに杉の巨木が聳えています。重厚かつ荘厳な光景で、神社の持つ奥深い歴史が巨木によって象徴されているかのようです。けれども、逆光でうまく写真が撮れずご紹介はできません。一見の価値はありますので、富士山を訪問の際はぜひお立ち寄りください。

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案内パンフレット。以下パンフレットの番号を参照します。

参道を過ぎ随身門を潜ると目の前に神楽殿が姿を現します。

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随身門から見た神楽殿。パンフレット4から5。

随身門を潜り右手は神社の案内パンフレットによると高天原と書かれています。この神社に富士高天ヶ原王朝の痕跡でもあるのでしょうか?高天原の右手には諏訪神社が鎮座していました。

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諏訪神社。拝殿を通して本殿を見ています。パンフレット33、34が諏訪神社です。

そもそもこの地は諏訪森と呼ばれ、諏訪神社が鎮座した場所に浅間神社が勧請されているのです。山中湖の諏訪神社と浅間神社同様、ここでも両社がペアになっていました。主祭神は建御名方神です。でも、なぜここに諏訪神社があるのでしょう?諏訪大社の祭神建御名方命の妃神とされる八坂刀売命は、上社前宮、下社春宮・秋宮の祭神とされています。

八坂刀売命は、姫川から安曇野に入った海人系の安曇族が信仰する神です。安曇族が塩尻峠経由諏訪湖に入り、諏訪大社で祀られたのではないでしょうか。安曇族はさらに南下して諏訪神社を富士山麓に持ち込んだと考えると、浅間神社以前に諏訪神社がここに鎮座しているのは納得できます。

八坂刀売命に関しては以下Wikipediaより引用します。

八坂刀売神(やさかとめのかみ)は神道の女神で、建御名方神の妃神である。諏訪大社他、各地の諏訪神社などに祀られている。記紀神話には見られない神であり、諏訪固有の神とも考えられる。諏訪湖の御神渡は、上社に祀られている建御名方神が下社の八坂刀売神の下を訪れる際にできたものであるという伝説がある。父は天八坂彦命であり妹に八坂入姫命がいるとされる。また綿津見命の娘であり穂高見命の妹とする伝承もある


なお、綿津見命と穂高見命は海人系の神です。諏訪大社も土着(とされる)の洩矢神、海人系、出雲系が重層しているようです。少し話が横にそれたので元に戻します。

拝殿前には樹齢千年とされる「富士太郎杉」、「富士夫婦檜」が聳えています。

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「富士太郎杉」、「富士夫婦檜」。パンフレット7、8。写真では大きさが伝えられません。

それにしてもパワー全開の巨木で、パワースポットとして認定されそうな雰囲気です。ただ樹齢千年と言うことは、800年の富士山噴火から200年後になって植えられたものと考えられます。だとすれば、この神社の社殿が整備されたのも噴火から200年後と推定できそうです。

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拝殿。国の重要文化財です。パンフレット9。

本殿の背後には西宮と東宮があり、拝殿の右手には数多くの摂社が並んでいます。一通り見たので、戻ろうと思いましたが参道から見て大鳥居の先左手に社が…。

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福地八幡社です。パンフレット3。

大山祇命を祀っているのでしょうか?祭神は不明です。境内案内図を見ると、大鳥居の先右手に稲荷社、左手に八幡社となっています。奇妙なことに実物は福地八幡社なのに、案内図では八幡社とのみ記されています。これは何を意味するのでしょう?

福地とは徐福あるいは彼の子孫が居住する地を意味していると思われます。神社側としては、福地を抜かすことで単なる八幡社とさせているような気がしないでも…。稲荷社はもちろん秦氏です。神社入り口を徐福と秦氏で固めているとも受け取れますが、随身門の前と言う一番手前の場所に置いて軽い扱いとしているようにも思えます。

なお神社の境内外には新しい徐福碑があります。神社に関係していると思い聞いたところ、全く関係ないとのことでした。福地八幡社は境内にあるのになぜでしょうね…。やはり徐福系は軽い扱いなのかと思わざるを得ません。碑はつい最近建てられたもので、内容は周知の通りで、徐福は始皇帝の命で船出し、熊野三山から尾張の熱田に至り、富士山麓を安住の地と定めた云々とあります。

結局この地は、諏訪神社と言う海人系神社の鎮座地に福地八幡の徐福(あるいは徐福系秦氏)が入り、その後木花咲耶姫を祀る浅間神社になったと考えられます。

では北口本宮富士浅間神社を出て、元となった大塚丘に行ってみます。場所は神社の裏手を車で少し進んだ辺りです。小さいのでうっかりすると見逃しそうになります。

                 ―富士山麓の秦氏 その11に続く―

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