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富士山麓の秦氏 その20

富士山麓の秦氏
12 /01 2011

本シリーズは早くも20回目に突入ですが、まだまだ終われそうにない気配です。今回は古屋川を遡って渓谷へと足を踏み入れます。すると…。

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山神社の案内板がありました。

宿でもらったパンフレット(その19参照)に出ていたものと思われます。少し坂を登ると…、ありました。

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山神社の石祠です。

阿祖山太神宮跡地同様に奥深い雰囲気があります。巨石の上に祠があるのも太神宮と同じです。由緒はありませんが、大山祇命を祀っているものと思われます。 では、道路に戻りましょう。

すると、山神社案内板のすぐ先に妙なものが???

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不二阿祖山太神宮とあります。

これは大変。今まで南朝碑の奥が阿祖山太神宮だと思っていたのに間違っていたのでしょうか?本当に大明見はややこしい場所です。でも見に行くしかありません。

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不二阿祖山太神宮です。神域は最近整地されたばかりの雰囲気があります。

二人の女性が敷地内を掃除されていました。どうも妙な感じです。富士高天ヶ原王朝の中心となるべき重要な神社が、渓谷の斜面に鎮座しているはずがないからです。社殿も何もかも新しく作られたばかりのように思えます。

調べて見ると、ここは「天住の会」と言う宗教法人が2007年に建てたもので、会の住所は都留市上谷5丁目6-25。創始者は聖主(せいす)様という生き神様だとか。もうこうなると、酔石亭主にとっては完全に理解不能な世界です。

要するに、本来の阿祖山太神宮とは何の関係もありません。それにしても不思議です。南朝碑の三宝法団と天住の会。二つの新興宗教が大明見と言う狭小な場所に入り込んでいるとは…。これら二つの教団は、宗教法人のデータベースにも載っていない小さな団体でした。

どうも大明見は新興宗教を引き寄せる奇妙なパワーがあるようです。これも土地の持つ呪力なのでしょうか…???

さらに奥へ進むと杓子山から湧き出る奇跡の霊泉、不動湯があります。この湯は地元ではとても有名です。富士吉田一帯ではかつて染色業が盛んで、作業に従事される多くの方が染色助剤により悪性の皮膚病に悩まされました。医者ですら治せないこの病気も、不動湯に行くことで治癒したため、奇跡の水である、霊泉であると評判になったのです。

効能あらたかな不動湯に酔石亭主も日帰り入浴しました。なかなかいいお湯です。

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不動湯のロビー。明るい雰囲気のロビーです。

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昭和59年の昔、ビンに詰められた水です。不動湯の水は腐らないと証明しています。

不動湯の名前は硯水不動尊にちなんでいます。

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不動尊の位置関係を示す案内図。

以下不動湯のホームページより引用します。

源頼朝公が富士の巻狩りの際、不動尊の境内よりわき出る石清水に矢立の筆をひたして妻の政子の方に便りを書いて送り、それからこの不動尊が、硯水不動尊と呼ばれる様になったと伝えられております。非常に古い時代からこの湧水が万病に効く霊水であると里人から大切に守られて参りました。


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不動尊。

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石碑。上記とほぼ同様の内容や不動湯の詳細が刻まれています。

実は、古屋川を遡った目的は入浴ではなく硯水不動尊に残る頼朝の伝承でした。富士吉田市新町御敷屋の頼朝伝承、硯水不動尊の伝承。そして頼朝が鎌倉幕府創設の1年後(1193年)に催した富士山麓の巻狩り。これらは何を物語っているのでしょう?「その6、7」において、「長池地区に和田義盛伝説があり、彼は長池に隠れ棲んでいた。義盛は頼朝に同行して阿祖山太神宮を訪問した可能性がある」と書きました。

不動尊は阿祖山太神宮のすぐ上流部です。酔石亭主は富士山麓の巻狩りは名目で、真の目的地は阿祖山太神宮ではないかとしましたが、ここに頼朝の痕跡がある以上、その可能性はより高くなったと言えそうです。

「吾妻鏡」によると、頼朝は建久4年(1193年)5月8日から巻狩りを始め、6月7日に駿河国から鎌倉に向けて帰りました。しかし、6月1日から12日の間で、7日以外の動静は空白になっており、この辺りが怪しそうです。(それにしても、一カ月の長きに渡り幕府を留守にして大丈夫なのでしょうか?)

では、頼朝はなぜ富士山の鬼門に位置する阿祖山太神宮を訪問したのか?この時点ではわからなかったのですが、都留市に行ってその奥深い謎が解けました。もっと先になりますが、追って書きますので乞うご期待。

富士高天ヶ原王朝の中心地である大明見地区は以上で終了です。

                 ―富士山麓の秦氏 その21に続く―
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酔石亭主

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