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富士山麓の秦氏 その23


武内宿禰関連での難問は他にもあります。それを見ていく前に武内宿禰に関して以下Wikipediaより引用しましょう。

武内宿禰(たけうちのすくね・たけのうちの-・たけしうちの- 、景行天皇14年(84年) - 仁徳天皇55年(367年)4月?)は、『古事記』『日本書紀』で大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇の時期)に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる伝説的人物。建内宿禰とも表記される。…中略…
第13代成務天皇と同年同日の生まれという。 第12代景行天皇の時に北陸・東国を視察して、蝦夷の征討を進言した。


武内宿禰でちょっと気になるのは景行天皇の時に北陸・東国を視察したとあることです。日本武尊はもしかしたら、武内宿禰の行動が下敷きになって創作されたものかもしれません。だとしたら、武内宿禰は現地に機織りを伝える一方、富士高天ヶ原王朝を討伐したのでしょうか?またも混乱しますね。

この問題は判断不能なのでさて置いて、武内宿禰の子に葛城襲津彦と言う人物がいます。以下Wikipediaより引用します。

葛城襲津彦(かつらぎ の そつひこ、曽都毘古・沙至比跪、 生没年不詳、4世紀後半~5世紀前半頃?)は大和葛城地方の古代豪族葛城氏の祖として『記紀』に記されている。編年がほぼ正しく同時代史料が元となったと考えられる百済三書のひとつ、百済記にその名が見えるので、実在の可能性が高い。


葛城襲津彦は弓月君とその民を日本に連れてくるよう応神天皇から指示されています。長くなりますが、弓月君に関しては以下Wikipediaより引用します。(引用ばかりで済みません…)

弓月君(ゆづきのきみ/ユツキ、生没年不詳)とは『日本書紀』に記述された秦氏の先祖とされる渡来人である。『新撰姓氏録』では融通王ともいい、秦の帝室の後裔とされる。
帰化の経緯は『日本書紀』によれば、まず応神天皇14年に弓月君が百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。弓月君は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況下にあった。しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて本邦に帰還することはなかった。そこで、応神天皇16年8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した。

弓月君は、『新撰姓氏録』(左京諸蕃・漢・太秦公宿禰の項)によれば、秦始皇帝三世孫、孝武王の後裔である。孝武王の子の功満王は仲哀天皇8年に来朝、さらにその子の融通王が別名・弓月君であり、応神天皇14年に来朝したとされる。渡来後の弓月君の民は、養蚕や織絹に従事し、その絹織物は柔らかく「肌」のように暖かいことから波多の姓を賜ることとなったのだという命名説話が記されている。(山城國諸蕃・漢・秦忌寸の項によれば、仁徳天皇の御代に波陁姓を賜ったとする。)その後の子孫は氏姓に登呂志公、秦酒公を賜り、雄略天皇の御代に禹都萬佐(うつまさ:太秦)を賜ったと記されている。


上記から、秦氏の先祖である弓月君と武内宿禰の子である葛城襲津彦は深い関係があることになります。と同時に羽田八代宿禰は徐福と関係が深いことになります。

そもそも応神天皇は秦氏の大王ともされ、宇佐八幡宮に祀られています。日本における秦氏の事実上の始まりは応神天皇時代と言って差し支えないのです。そして天皇の背後には武内宿禰の存在がありました。応神天皇の子は何度も書いたように大山守皇子で、富士山麓や徐福に関係します。途方もなく錯綜していますねぇ~。ホント、ため息が出そうです。

応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の子供であると「古事記」には書いてあります。しかし、「古事記」を読んだだけでも、仲哀天皇の死は明らかに謀殺と思われ、応神天皇の父は武内宿禰であると考えられます。(注:父は海人系の住吉大神との説もあり、海人系の案内で各地を移住した秦氏の姿を反映しているようにも思えます)

いかがでしょう?これらを総合すると、大和朝廷の系統が仲哀天皇で途切れ、秦氏系に入れ替わったような印象さえ受けます。それを仕掛けたのが武内宿禰…。武内宿禰一家の秦氏への関与は尋常ではありません。

武内宿禰とその子供は、秦氏の大王ともされる応神天皇のみならず、日本に渡来した当時の秦氏に深く関与があり、徐福にも関与があり、徐福の子孫を自称する秦氏が改名した羽田氏にも関係があるのです。武内宿禰一族は徐福や秦氏にとって影の参謀のような存在ですね。

いずれにせよ、武内宿禰とその子供の存在は「富士山麓の秦氏」をより複雑なものにしてしまいます。なぜなら羽田氏は、もうご理解いただけるように徐福→徐福の子孫である秦氏→羽田氏以外に、武内宿禰→羽田八代宿禰→羽田氏の2ラインあることになってしまうからです。長池村の羽田氏は羽田八代宿禰ラインなのでしょうか?あるいは、徐福ラインなのでしょうか?

様々な情報の洪水に溺れそうな気分です。上記の問題は資料がない以上不明とするしかありません。でも、富士山麓に居住する羽田氏は徐福子孫である秦氏が改名したものかどうか、決着を付ける必要があります。既に書いた部分もありますが、次回で再度整理してみます。

                 ―富士山麓の秦氏 その24に続く―

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