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新田義貞鎌倉攻めの周辺 その6


今回は聖が谷と聖福寺の関連を調べます。

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聖が谷に相当する場所。

大きなお屋敷があります。某旧家のお屋敷です。屋敷裏の小堂には、相模の準四国八十八ヶ所第82番観音堂(明治初期に廃堂)にあった大師像が収められているとか。

旧家から少し北に歩くと二股に分かれた道があります。

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分岐点です。分岐点に何やら解説板らしきものが…。

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解説板です。

何と、北条時頼が大庭の地に聖福寺を創建したのがこの地であると言われているが、確かなことはわからない、とあります。解説板も「吾妻鏡」をその根拠としているようです。しかし聖が谷(解説板では聖ケ谷)は某旧家の範囲内と思われお寺とするには狭すぎます。当時は引地川の湿地が道沿いまで迫っていたはずで、この説には無理があると思われるのです。

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道路から一段下がった田畑。かつては湿地帯でした。

ともかく周辺を歩いてみます。

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分岐点に置かれた庚申塔。

文字が彫られています。

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解説板のように「右ふじ沢」、「左ひき志」と彫られています。ひき志とは引地川のことです。

山に向かう「左ふじ沢」の藤沢道を進みましょう。すぐに社が出てきます。

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伏見稲荷大社です。秦氏が勧請したのでしょうか?

さらに進むと石段があり少し登った左側にまた社が…。

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社。

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内部。大口真神社とあります。

これは大変珍しい神社です。藤沢にこんなものがあるとは知りませんでした。かつてこの山に狼が出没していたのでしょうか?神社からさらに石段を登ると旧家の墓地がありました。一族の氏神なのかもしれません。

大口真神に関しては以下Wikipediaより引用します。

真神(まかみ)は、現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したもの。大口真神(おおぐちまがみ)とも呼ばれる。
真神は古来より聖獣として崇拝された。大和国(現在の奈良県)にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。しかし時代が流れ、人間が山地まで生活圏を広げると、狼は人と家畜を襲うものだという認識が広まった。そして狼の数が減っていくにしたがって、真神の神聖さは地に落ちていったという。


聖福寺跡地を探しているうちに予想もできない神社に出くわすとは、歴史探索の面白さでもあります。この先は何もなさそうなので戻ります。分かれ道の近くには双体道祖神もありました。

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双体道祖神。

以上から、大庭に聖福寺があった可能性はゼロではない、しかし聖が谷は狭すぎて適当でないことになります。では大庭の聖福寺はどこにあったのでしょう?
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