北鎌倉の安倍晴明再考 その7


前回で晴明と藤沢の関係について探りました。陰陽道の師である賀茂保憲と自分の母(伝説によると実母は葛子に化けた白狐)に当たる葛子が流されたのは、桓武平氏始祖の地である藤沢だったのです。晴明がその地に行ってみたいと思うのは自然の感情のようにも思えてきます。だとすれば、藤沢に晴明の旧跡があってもおかしくはないですね。

次に村岡と北鎌倉を繋いでみましょう。兜山にはかつて七面宮がありました。兜岩の写真を拡大すると岩の上に石碑が見えます。

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兜岩の上にある石碑。見にくいのですが、七面大明神と彫られています。

当初兜岩の上あるいは横にあった七面宮も現在では村岡御霊神社境内に鎮座しています。

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現在の七面宮。右が七面宮です。お隣は折笹矢竹稲荷。

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折笹矢竹稲荷の解説石板。

兜山では日蓮も雨乞いの儀式を執行しており、その関係を呪術都市鎌倉探訪記 その2にて書いています。では、七面宮と晴明の間にどんな関係があるのでしょう?

七面宮は日蓮宗が重視する吉祥天を祀っているのですが、今回は晴明との関係から見ていきます。それには、安倍晴明が編纂したとされる「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでん おんみょうかんかつ ほきないでん きんうぎょくとしゅう)」をチェックする必要があります。(実際は晴明没後に編纂されたと考えられています)

簠簋内伝(書名が長いので以下これで統一)の第一巻はなぜか「牛頭天王縁起」となっています。きっと理由があるはずなので内容を見ていきましょう。

「牛頭天王縁起」によると、吉祥天を前身とする商貴帝と言う王がいて、帝釈天に仕えていた頃は「天刑星(てんぎょうしょう)」と言った。この天刑星が人間界に転生し名前を牛頭天王に改めたとあります。

晴明塚(兜岩)に吉祥天を祀る七面宮が鎮座していた必然性が見えてきました。吉祥天の転生した姿が牛頭天王だったのです。

そこで北鎌倉へ…。北鎌倉の晴明石は現在八雲神社(スサノオノミコトを祭神としており、かつては牛頭天王社と呼ばれていた)に置かれています。晴明が編纂したとされる簠簋内伝の最初が牛頭天王に関する記述。晴明石はかつての牛頭天王社に置かれている…。

驚くべきことに、きちんと筋道が立っています。これで安倍晴明に関して村岡から北鎌倉へと繋がる線が出てきました。

ではもう少し細かく村岡から北鎌倉へのルートを探索してみましょう。兜岩から歩き柏尾川を渡るとすぐに菅原道真を祀る天満宮があります。


大きな地図で見る
天満宮一帯を示すグーグル地図画像。鎮座地は上町屋町内会館の脇です。

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鳥居越しに見た天満宮。

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扁額です。賽銭箱に菅原道真の梅紋が。

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寛文10年の庚申塔もありました。

社伝によれば天慶年間(937年から947年)に平良文が霊夢を見て天満宮を勧請したのが始まりとされています。ここでも平良文でした。(実際の創建はもっと遅い時代だと思います)

続いて柏尾川に沿って大船方面に向かいます。ちょっとした山が見えてくるのですが、これが北野神社(山崎天神)で菅原道真を祀り、歴応年間(1338年から1342年)夢窓疎石が京都の北野天満宮を勧請したものとされています。そして北野神社にも牛頭天王が祀られています。

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鳥居越しに見た北野神社。

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北野神社拝殿。

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拡大画像。

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手水舎。神紋は梅です。天満宮と同じ。

短い距離の間になぜ菅原道真が二度も出てくるのでしょう?平安時代における怨霊の最高峰は菅原道真で、貴族たちは彼の祟りをいたく恐れました。延長八年(930年)清涼殿に雷が落ちて建物が焼け落ちます。晴明はこれを道真の眷族の祟りと喝破し、帝は北野神社を建立し道真を祀ったのです。

そんな経緯があったから、晴明の行き先に二つの道真を祀る社があると考えるのは、考えすぎでしょうか?

考えすぎだとしても、七面宮→吉祥天→牛頭天王→山崎の北野神社(牛頭天王も祀る)→北鎌倉の八雲神社(かつての牛頭天王社)と繋がっていきます。しかも山崎の北野神社は北鎌倉の八雲神社と関連があります。

八雲神社例大祭における 「行合の神事」は、山ノ内の八雲神社と山崎の北野神社の御輿とが行き合い、夫婦の御輿となって練り歩き天王屋敷にて男神の「八雲御輿」と女神の「北野御輿」が交わって懐妊する神事です。両社の関係が見て取れますね。

両社の創建は安倍晴明の時代よりずっと後だとの意見もあるでしょうが、そもそも晴明伝説は両社の創建よりもっと後になって成立したものです。簠簋内伝の最初に牛頭天王縁起があり、八雲神社境内に晴明石があり、牛頭天王は陰陽道の最高神泰山府君と同神です。いかがでしょう?この三者に共通する内的な回路(地下水脈)があると思えませんか?

ところで、安倍晴明は白狐の子です。狐はもちろん稲荷大神で秦氏となります。秦氏に関連するタブーが白狐になるのです。今でもお年寄りは稲荷社を勝手に動かすと祟られると言います。強力な禁忌が時代を越えて機能しているとわかりますね。

一方、スサノオ(牛頭天王)に関連するタブーは白瓜です。スサノオを祀る祇園社では、祇園祭の期間中に瓜を食べてはいけないと言った伝承があります。スサノオを祀る愛知県の津島神社では、御葦(みよし=神葭)放流神事という極秘の神事があります。

この神事は疫神である牛頭天王を葦に仮託して川に流すもので、六月十一日の『御葦刈り』から始まり、『御葦放し』で終わるのですが、津島では、この御葦流し以前は、白瓜を食べてはならないとの禁忌がありました。そして『御葦放し』の最中は、津島の民家は全て灯火を消し静まり返りました。もし灯火をつけている家があれば白瓜を投げ込むのですが、その家は必ず凶事があると人々は恐れました。

白狐と白瓜が強力な禁忌を持っていると理解されます。そして、白狐から獣偏を取ると白瓜になってしまうのです。日本国最大のタブーに関与する白狐(秦氏)と白瓜(スサノオ族)。両者は密接な協力関係にありました。白狐の子である安倍晴明が牛頭天王(スサノオ)を重視する理由はそこにあったのです。

さて、牛頭天王縁起が第一巻となる簠簋内伝ですが、実はこの書物こそが安倍晴明の前史を探る鍵になります。次回はその来歴を見ていきましょう。
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